文芸素人講釈

古今東西の文芸作品について、講釈垂れさせていただきます。

夏目漱石は猫であった話。

 

私の個人主義 (講談社学術文庫)

私の個人主義 (講談社学術文庫)

 

 

えー、相も変わりません。本日もばかばかしい話を一席、お付き合いいただきたく。

 

本書はですね、有名な学習院大学漱石先生がまだ若い学生たちに向かって語った講義なのでございますね。

 

まあその講義をですね、本日は最初から最後まで私なりに解剖しちゃおうかと思っている次第でございますが、まず最初に漱石先生が始めるのは、この講義をするに至ったいきさつの話なのですね。

 

で、この講義の前に「岡田さん」という方が先生の紹介をして、漱石先生は登壇されるわけですが、漱石先生曰く、この岡田さんから話があって、一度は断ったもののそれを受けることとなった、と。

 

引き受けたはいいものの、まあ色々あって、病気にもなったりしてこの話はなくなったものだろうと勝手に思い込んでいたら、岡田さんが長靴を履いて現れて十一月にはよろしく頼む、ということで、ああそうなのかとまた引き受けた、と。

 

でも面倒臭いから何を話そうか考えてなかった、その間絵を描いて不愉快な思いをして暮らしていたから、何の話をしようかまったく考えていませんでした、というのが最初の話でございます。

 

これがもうすごいなと。さすが漱石先生は元教師でいらっしゃると私は思うのでございます。

 

いや、と言っても、はっきり言って私この最初の話全然面白いとは思わないんですよ。どこが面白いんでしょうね。第一岡田さんて誰やねん。

 

でも、きっとこの講演では違ったのでしょう。大体ですね、学生に一番ウケるネタと言えば、それはその学校の先生ネタなのでありまして、だからおそらく、この最初の話の部分でも「岡田さんが長靴履いて現れたんです」ってところでもう、会場はドッカンドッカン爆笑の嵐だったのでしょう。きっとね。

 

まあそうやって最初から掴みはオッケーなところが、私がさすが漱石、と勝手に思っているところでございます。

 

で、この次の話というのが、秋刀魚の話なのですね。この秋刀魚の話というのが、漱石先生が昔落語家から聞いた話なのだそうですが、ある大名が鷹狩りに行った、と。で、お腹が空いたから百姓の家に行って何か食わせてくれ、と頼んだら、秋刀魚が出てきた、と。その秋刀魚がとてもうまかったので大名が帰ってから家来に作るように命じたのですが、この家来は大名様が召し上がるものだからと丁寧な調理法で料理をしたものの、大名はこれが美味しくない。そういう話でございます。

 

で、漱石先生は言うのですね、あなたがたにとっては私なんてものはこの秋刀魚のようなものでしょう、と。つまり私の話はあなた方の関心ごと、成功とか、出世とか、そんなものには何の役にも立ちませんよ、と言っているわけですね。

 

この秋刀魚の話というのが、ちょっとした小話の様でありながら実は後の話の伏線になっているわけですが、そのことはまた後ほど。

 

で、ここまでがいわば前置きのようなものですね。落語で言えばまくらです。もし漱石先生が落語家だったならば、ここで羽織をシュッと落とすところでございます。

 

さて、ここからこの講演の本題が始まるわけですねえ。
 


その本題というのが、まず漱石先生の若かりし頃の話から始まります。学校を卒業して、教師になって、イギリスへ留学して、帰ってきて作家になったという話でございます。

 

まあこれがね、一言で言えば「私、ずっとふらふらと生きてきました」という話なのですね。ちゃんと計画を立ててきたわけでもないし、真面目に生きてきたわけでもない。何となく、適当に生きてきたんです、というわけです。

漱石先生は言います。

 

「私はこの世に生まれてきた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当が付かない」

 

何かしなきゃいけないと思いつつ、何をしたらいいのか分からない、これは、今で言うならば中二病というやつですね。モラトリアムだったわけでございます。で、そのモラトリアムは学校を卒業しても続き、留学しても続いたのだ、と。

 

ところが漱石先生、留学先のロンドンで気づくのですね。

 

「この時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自力で作りあげるよりほかに、私を救う途はないのだと悟ったのです」

 

結局のところ、何をやってもつまらなく、何をやっても物足りなかったのは、誰かに合わせようとしていたからだ、と。人の言う「文学」を受け入れなければならないと思っていたから「文学」を勉強すればするほど「文学」とはなんなのか分からなくなったのだ、と。

 

で、漱石先生はある種の悟りを得て帰国するわけですが、帰ってきてから第二のモラトリアムに突入するわけです。

 

というのは、そう思っているのは自分だけでどうも周りは違うようだ、ということに気付くからなのですね。まあ、一言で言えば浮いちゃったわけです。空気を読まない奴になってしまった。

 

でも、このことが「吾輩は猫である」につながるわけですね。「文学」をするのが「人間」なんだったら、俺は「猫」でいいよ、と。というか「猫」の「文学」が俺の「文学」なんだよ、と。そんな漱石にとっての「個人」としての叫びこそが「吾輩は猫である」だったのでしょう。「吾輩は猫である」と言える人(いや猫?)こそが漱石にとっての「個人(いや個猫?)」だったわけです。

 

で、このことを漱石は問い続けていくわけです。例えば「草枕」とか、面白いですよね。だってあの小説もまた、主人公はある種「悟って」いるわけです。

 

草枕」の主人公の煩悶は、「文学とは、芸術とは何か」じゃないんですよね。あの主人公にとって、もう自分の中に「俺の文学」や「「俺の芸術」がすでにあるわけです。でもそれを実現するのが難しい、という苦悩が描かれている。「吾輩は猫である」の「猫」が「猫」として自我を確立しているのと同じなんですよね。

 

だからこそ漱石先生は言うのです。

 

「たとえばある西洋人が甲という同じ西洋人の作物を評したのを読んだとすると、その評の当否はまるで考えずに、自分の腑に落ちようが落ちまいが、むやみにその評を触れ散らかすのです。つまり鵜呑と云ってもよし、また器械的の知識と云ってもよし、とうていわが所有とも血とも肉とも云われない、よそよそしいものを我物顔にしゃべって歩くのです。しかるに時代が時代だから、またみんながそれを賞めるのです」

 

そうして、本当は「個人的」ではないくせに西洋からの「個人」という概念を真に受けて「俺は個人だ」という輩がどんどん出てくる、と。でもそれは違うだろう、と漱石先生は言うのですね。

 

「国家」という概念自体を明治時代に輸入した歴史があるにもかかわらず、その「国家」の概念を守ることを「保守」と呼ぶようなものですね。バークだとかチェスタトンとかの名を挙げて「保守主義とは!」とか言ってる人は、まじでイギリス行ってくれよ、という話です。そっちで保守やってくれと。そもそもバークもチェスタトンも日本人じゃねえじゃん。

 

で、最後に漱石先生はこんな話をするのです。それはある兄弟がいて、兄は世間体も良くて立派だと。一方弟はなんだか引きこもっていていけない、と。そこで兄は自分が釣りが趣味なものだから、弟を釣りに誘うわけです。弟は兄に逆らうのも面倒くさいから嫌々従うわけですが、どう考えたって釣りが弟の気性を変えるわけじゃない。弟はまずます引きこもるだけだよ、という、そんな話です。

 

でもそういうことって、今でも世の中に割と溢れているわけですね。例えばよくいるのが「小説ばっかり読んでいてはいけない!」とか、「日本の近現代史を勉強しろ!」とか言う人。ほっとけやという話なんですよね。こういうのは「確立した個人」とは言えないわけです。単なる「独善的」な烏合の衆なわけです。

 

でも、そんな言葉に惑わされてはいけません。というか、そんな言葉に惑わされるから「ああでもない、こうでもない」と煩悶しなければならないことになるわけです。「俺は小説しか読んでないから」なんてコンプレックスを感じなければいけなくなるわけです。そんなのただの趣味の問題なのに。

 

で、漱石先生は学生たちに言うのです。どうか君たちはそんな「困った大人」にならないでくれ、と。「個人主義」と「独善的」であることをはき違えて、他人に何かを押し付けるようなことはしないでくれ、と。「国家」だとか、あるいは「年長者」だとか、「社会」だとか、そういった「権力」を笠に着て人に何かを押し付けるようなことはしてくれるな、と。

 

そしてもし君たちが逆に誰かから押し付けられるようなことがあれば、「お前なんて所詮猫じゃないか」と言われたならば、その時は胸を張って「吾輩は猫である」と言いなさい。あるいは「吾輩は秋刀魚である」と。

 

それがこの講演で漱石が伝えたかったメッセージであり、そして漱石自身がその筆で描き続けたメッセージだと私は思うのでございます。


おなじみ夏目漱石著「私の個人主義」に関する素人講釈でございました。

 

 

私の個人主義 (講談社学術文庫)

私の個人主義 (講談社学術文庫)

 

 

未来の答えは過去にある話。

 

つむじ風食堂と僕 (ちくまプリマー新書)

つむじ風食堂と僕 (ちくまプリマー新書)

 

 

えー、相も変わりません。本日もまた一席お付き合いいただきたいわけでございますが、本日ご紹介したいのは、吉田篤弘著「つむじ風食堂と僕」でございます。

 

本書はちくまプリマー新書の200冊目を記念して書かれたものですが、ちくまプリマー新書とは

 

「子どもたちに、ひとつだけ伝えるとしたら、あなたは何を伝えますか」

 

ということを原稿用紙百枚で表現する、というのが創刊からの基本姿勢なのだそうでございます。で、そんなちくまプリマー新書の創刊当初からずっと装幀のデザインを担当していたのがクラフト・エヴィング商會だったわけで、そんなこともあって吉田さんが本書を書くことになったわけですね。

 

さて、この物語は著者である吉田篤弘さんがこれまでに書いた架空の町月舟町を舞台にした三つの小説「つむじ風食堂の夜」、「それからはスープのことばかり考えて暮らした」「レインコートを着た犬」の「月舟三部作」のスピンオフ小説とも呼べるもので、「それからは……」の主人公サンドイッチ屋さんの息子リツ君が「つむじ風食堂の夜」の舞台となった食堂に訪れる、というもの。

 

リツ君の暮らす桜川と月舟町は路面電車で隣同士の場所にあります。で、リツ君は100円玉10枚をお父さんや店で働くオーリィさんや大矢のマダムさんにカンパしてもらって、週に一、二度食堂にご飯を食べに来るのでございます。

 

決して都会とは呼べない長閑な町ですから、小さな食堂に12歳の少年が一人で来ていると、大人たちが声をかけてくるわけです。「どこから来たの?」とか、「名前は?」とか。

 

いい町ですよね、そうやって大人がちゃんと子供のことを気遣う町というのは。でも、実際子どもの側からすると、そういうのって煩わしかったりするんですよねえ、これが。残念ながら。

 

で、そこでリツ君はいいことを思いつくのです。そうだ、だったらこっちから相手に何かを尋ねればいい、って。

 

いい子ですねえ、リツ君。そして賢い!

 

リツ君は町の大人たちから何かを聞かれる代わりに、彼らにこんなことを尋ねるのでした。

 

「あなたの仕事はなんですか?」

 


リツ君の問いかけに、町のさまざまな大人たちが答えてくれます。文房具屋、八百屋、魚屋、電気屋、花屋といった商店街の人たちから、新聞記者やイラストレーター、ダンサー、コンビニでバイトをしている青年、働いていない女の人まで。

 

将来どんな仕事をしたらいいんだろう、というリツ君の悩みに大人たちは答えます。

 

「それはね、好きな仕事をすればいいんだよ。それがいちばん大事なことだよ」

 

「でも、世の中そんなにうまくいかないからねえ。好きじゃない仕事をしてる人だっていっぱいいるしさ」

 

「やりたくない仕事をしてるうちにそれが好きな仕事だって気づくことだってあるからねえ」

 

「まあ、あんまり考えすぎないのがいいんじゃないの? まだ12歳なんだし」

 

なんて、そんな風にいろんな人の話を聞きながら、リツ君は仕事をすることや、あるいはこの世界というものがどうやって成り立っているのかについて考えるのです。

 


今はまだ働いていない子どもたちはこの物語を読んで、働くってどういうことなのか、一緒になって考えてみてもいいかもしれませんね。別に答えが書いてあるわけじゃないけれど、答えなんて一つじゃないんだって分かることの方がもっとずっと大事なことなんじゃないかと思いますから。

 

一方でもう既に何かの仕事をしている大人の人は、もしも自分が月舟町の住人で、この食堂でリツ君に出会ったらどんなことを言うだろうか、って想像しながら読むのも楽しいのではないでしょうか。

 

私ならきっと、「好きなことを仕事にしたらいいんだよ」って言っちゃうんだろうなあ。何が正しいかとか、何が得なのかということになると主観と一般論のせめぎ合いになっちゃうけれど、何が好きってことの答えは自分自身しか知らないし、自分自身にしか出すことができないのですから。だから何かを信じなきゃならないとしたら、自分の好きなことを信じればいいって。きっとそう言っちゃうな。

 


さて、本書のあとがきで著者は言います。

 

「子供に語りかけるということは、語りかける前に自分自身を見なおすことであり、子どもに語るべきことは大人もまた傾聴すべきことで、大事なのは、子供とか大人とかではなく、初心に戻ること、「最初の思い」に戻ることなのかもしれません。最初に何があったか? そこから自分は逸脱していないか――。」

 

子どもにとって、社会というのは学校ですよね。そして学校というのは閉じた世界であり、どうすれば評価されるかというのがとても明確に決まっている世界でもある。

 

で、学校の中でうまくやるというのは、たった一つの答えを上手に早く導き出すことだったりするわけです。でも、社会の中でうまくやるというのはそうじゃないんじゃないか、と私は思うのですね。というか、社会人としてはそういう「たった一つの答えが導き出せる人」って、本人が思っているほど役に立たないというか、まあ一言で言えば「使えないやつ」な気がします。

 

というか、社会というのは本来たった一つの答えに向かってみんなが進んで行く場所ではなく、みんながみんな好き勝手にバラバラな方向を向いていられる場所であるべきなんじゃないかと。そしてそういう場所をちゃんと確保することが社会人の役目だと私は思うのです。

 

そう考えると、職業の選択だってそういうものなのでしょう。

 

ベストな職業に就くことが幸せなことなのでしょうか。

 

それよりもむしろ、どんな職業だってそれなりにベターだと気づくことの方がもっと大切なことなのかもしれない。

 

なぜなら、何かの職業に就くということはそれ自体が一つの「答え」だからです。

 

でも、現実にはその「答え」の向こうにもまだ物語は続いていくわけです。学校のテストは答案が正解したらそれで終わりだけれど、現実の社会は正解の後にもまだ問題が続いていくのですから。

 

そんな未来という「答えの向こうの物語」の中で、私たちは大人として「答え」を探し続けなきゃいけない。

 

でも、一体どうやって?

 

もしかするとその「答え」は、もう既に通り過ぎた過去、子どもの頃の自分自身にあるのかもしれません。

吉田さんが子どもたちに伝えたいと思ったのは、そういうこと、大人になってからの答え、「答えの向こうにある答え」というのは、実は子どもの頃にあるんだよ、という、そういうことなんじゃないかな、なんてことを思うのでございます。

 

おなじみ吉田篤弘著「つむじ風食堂と僕」に関する素人講釈でございました。

 

 

つむじ風食堂と僕 (ちくまプリマー新書)

つむじ風食堂と僕 (ちくまプリマー新書)

 

 

美妙と春樹とフランケンシュタインの話。

 

いちご姫・蝴蝶 他二篇 (岩波文庫)

いちご姫・蝴蝶 他二篇 (岩波文庫)

 

 

えー、本日も講釈垂れさせていただきたく、またお付き合いのほどをお願いしたいわけでありますが、本日ご紹介するのは岩波文庫の山田美妙著「いちご姫・胡蝶 その他二篇」でございます。

 

この本はですね、初版が2011年となっております。まじですか、ですよ。山田美妙の作品が21世紀まで文庫で読めなかったとか、これはもう、出版社の怠慢と申すほかありません!

 

なんつって、ほんとは岩波文庫、1940年ごろに一度ちゃんと山田美妙の作品を文庫化していたようなのですね。ところが長らく絶版・品切れの状態が続き、2011年にやっと新たな版として再版されたわけです。だからちゃんと仕事してたんだね。ごめんね岩波文庫

 

しかも本書において、岩波文庫はとてもいい仕事をしています。と言うのはですね、本書には美妙の4作品だけでなく、前回も少しお話した「国民之友」の付録として発表された「胡蝶」に関する内田魯庵をはじめとした批評家たちの批評も掲載されているのです。

 

これを読めばですね、美妙がいかにくだらない批評で潰されたかがもう一目瞭然なわけですよ。岩波文庫、グッジョブ!

 

というわけで今回はその「胡蝶」のご紹介と、この作品がどのように受容されたかという話をしたいわけでございます。

 


「胡蝶」はですね、前回ご紹介した「武蔵野」と同じく時代小説でございます。舞台は壇ノ浦、源平合戦ですね。この時、安徳帝が本当は入水しなかった、という稗史が後に多く生まれるわけで(豊臣秀頼真田幸村は本当は死んでいなかった、みたいなやつですね)、そんな稗史の一つをベースとした物語なのでございます。

 

で、今回もまた「武蔵野」に引き続き、地の文は言文一致体で、セリフは古文調で書かれています。

 


さて、ではこの作品に対して批評家たちはどのような批評をしたのでしょうか。

 

まず内田魯庵。彼の批評は三つ掲載されていますが、「女学雑誌」に投稿された批評はこんな文章から始まります。

 

「「いらつめ」創業の功臣硯友社一方の旗頭山田美妙斎大人に奉る一流独特の言文一致体誰かは大人が矢表にたつべき誰かは大人に弓をひくべき」

 

もう、この時点でまずは内田魯庵がなんか勘違いしているのが分かりますね。そもそも批評とは作家と批評家の戦いなのか、別に弓をひかなくてもいいんじゃないかと私は思いますが。「人気者の山田美妙にケンカを吹っかける俺って、超カッコよくね?」みたいな自意識がドバドバ出てるように見えるのは私だけでしょうか。

 

そうやってまず魯庵は最初にとにかく美妙をおだてまくるのです。「いやあなた、ほんとにすごいですよね。飛ぶ鳥を落とす勢いとはこのことで、まるで源義経豊臣秀吉のようですよね」というような感じで。

 

これもなんでしょうね、ご自分はそんな義経や秀吉にたった一人で立ち向かう勇猛果敢な野武士のつもりなんですかね。ケッ

 

ま、いいやそんなことは。問題はどんな批評をしているかです。

 

魯庵は言うのです。「美妙、あんた世間をバカにしてんじゃないのか?」と。なぜそう思うかというと、

 

①短編小説しか書いていない。
②なんで現代をテーマにしないんだよ。

 

ということだそうです。もうなんか、どう考えても言いがかりにしか思えません。魯庵からしたら、「お前が短篇の歴史小説しか書かないのは、歴史からパパッと適当に素材を選んでちょちょっと書いてるだけだからだよね」ってことなんでしょう。ほんと、美妙が世間をバカにしてるんじゃなくて魯庵が美妙をバカにしてるとしか思えないんですけど。

 

で、魯庵はこの後に美妙の主宰する雑誌「いらつめ」にも呼ばれて批評を書いてるんですが、ここでもまた

 

「胡蝶を評せよとお望がありましたが、抜群の趣向、出色の文字。看板に偽なく、精一杯の作と慥かに見へます。が、敵に背を見するも卑怯。お望が有て筆を投るも何とやら……。そこで書て見ましたが、是でも批評の積りです」

 

という一文から始まり、私はもう、「だからなんで敵なんだよ」と言いたくなるわけですが、ここでもまた魯庵は「胡蝶」を「一夜漬けである」と断定したのでした。つまり「中身が薄い」と。

 

ではなぜそう断定するのかについて、魯庵はこう述べています。

 

①これって正史じゃないよね。なんで稗史を選んだの? ちゃんと歴史を調べたの?
②言葉の使い方おかしくない? 助動詞使いすぎなんだよ。

 

もう、これもひどいなと。そもそも美妙は前置きでこの作品が稗史をモチーフにしたものであることを明らかにしているのにもかかわらず、「なんで稗史をモチーフにするんだよ」ときたもんだ。どうしたらいいんでしょうね、こういう場合。

 

で、助動詞使いすぎ、っていうのも、なんていうかそれは言葉のセンスの問題ですよね。そこを言われても、と私は思うのですが。ていうか魯庵にとって小説の本質って言葉の使い方みたいな、そんな表面的なものなのか? と逆に問いかけたくなる批評です。

 

というわけで、他にも石橋忍月や依田学海の批評ものっているのですが、こっちもなんかおかしくてですね、要するにセリフ部分の古語の使い方がおかしい、という話で、いや、それは山田美妙からしたら「そこはどうでもいいんですけど」という話です。

 

もうね、何がおかしいって、じゃあ山田美妙が彼らの意見を受け入れて小説を書いたら、作品がより良いものになるって、批評家連中が本当にそう思って言ってるんですか? ってところなんですよね。ただ文句つけたいだけじゃないのか、と。

 


美妙からすればですよ、そもそも彼がしたかったのは言文一致体の新しい小説を書くことなわけです。で、坪内逍遥は「小説神髄」で言文一致体の導入と同時にこれまでの戯作が描いてきたテーマ、日本的な「もののあはれ」からの脱却を唱えたわけですが、本当にそうなの? と。言文一致体だけど内容は今まで通りの小説でもいいんじゃないの? ってのが、彼の関心ごとなわけです。でも、誰もそんな話はしてくれないわけですね。

 

で、彼らが何を言うかと思えば、やれ「お前みたいな人気作家が稗史をモチーフにしたら、後世の人が勘違いするだろ」とか(しねえよ!)、「昔の人はお前の小説みたいに語尾に「おじゃる」とかつけてない」とか(知らねえよ!)、もう本当に「どうでもいいじゃないか、そんなことは!」ですよ。

 

山田美妙からすれば、お前ら一体どうしたいんだよと。お前ら言文一致体の新しい小説が読みたいんじゃないのか、と。だからこうして書いてるんじゃないか、という話ですよ。

 

……まあね、日本文学自体がまだ誕生したばかりのこの時代にまともな文芸評論を期待する方が間違ってるのかもしれませんけれど、でもねえ、誰か分かってあげられる人がいなかったのかと、心からそう思うのでございます。

 

内田魯庵は美妙が世間に媚びていた、なんてことを言っていますが、むしろまったく逆なんですよね。美妙が媚びていたのは世間ではなく魯庵たち批評家連中なんです。だって、「言文一致体の新しい小説が世に出るべきだ!」と言っていたのは世間じゃなくて文壇の作家や批評家連中なんですから。

 


で、ここでまたちょっと話がずれますけど、前の話の続きでまた村上春樹の話をしたいわけですが、春樹もまた美妙と同じなんですよね。

 

よく春樹作品の批判として挙げられるのが、「話に構造だけしかなくて内容がない」というのと、「翻訳調の文体がクサい」という二点です。

 

でもね、そもそも近代日本文学というのは海外文学の模倣から始まっているわけです。で、当たり前ですが海外文学を模倣する際にその表現を模倣することはできませんよね。だって言葉が違うんですから。となると何を模倣とするかと言えば、海外文学の「構造」を模倣してきたのが近代日本文学の歴史なんですよ。

 

だから春樹からすれば、自分はド直球で「近代日本文学」をやったつもりだったのだと思うのですね。「構造しかない」というのは、春樹作品の欠点ではなくて近代日本文学すべてにおいて言えることなんです。近代日本文学って、結局のところ「どうやったら日本語で海外文学の構造の小説を書けるか」ってことなんですから。

 

ついでに翻訳調の文体に関しても、じゃあその翻訳調の文体をこれまで量産してきたのは一体誰なんだよ、という話なんですよ。それは小説家として飯を食えない作家たちや、海外文学を日本に紹介することで糊口をしのいできた文学者たちじゃないのか、と。そのあんたらが、なんで春樹の翻訳調を批判できるんだ、ということなんですよね。

 


まあ、そう考えるとですよ、実は山田美妙も村上春樹も世間に媚びているのではなく、むしろかなり批評家や学者たちを意識しているわけです。ところが不思議なことに、そんな彼らの方が批評家や学者から嫌われるわけですねえ。

 

これはね、あれですよ。好きな男性の色に染まったら「お前はつまらない女だ」と言われて浮気される女性みたいなもんですよ。ひどい話ですよ。

 


で、これって結局どういうことなんだろうな、と考えていたら、ある作品を思い浮かべたのです。それがメアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」なのですねえ。

 

要するにですね、山田美妙や村上春樹というのは怪物なわけです。で、フランケンシュタインが誰かと言ったら、それは「近代日本文学」なのです。美妙も春樹も、近代日本文学が作り出したモンスターみたいなものなんですよ。

 

モンスターである美妙や春樹は、なんとかして人間である「近代日本文学」になりたくて、「近代日本文学」を模倣しようとするわけですが、もう、それをすればするほど「近代日本文学」側から「なんか不自然だ」「キモイ」と言われてしまう。

 

山田美妙の作品によって、彼らが目指していた「言文一致体の小説」が持つ不自然さや奇怪さがあらわになるのを直視するのが嫌なんですね。村上春樹で言えば、日本の近代小説はずっと構造の話をしてたんだよ、とはっきり言われるのが嫌なんでしょう。自分たちが好きなものを直視するのが怖いんです。

 

まあ、分からないこともないですよ。そういう耳の痛いことは誰も言ってほしくないでしょうから。だから美妙のように「ほら、どうです。言文一致体の小説書きましたよ」という人よりも、二葉亭四迷のように「言文一致体の小説を書きたいけれど、難しいよね。どうしたらいいんだろう」と悩んでるふりをしてくれる人の方が、みんな(この場合の「みんな」は「世間」ではなくて作家や批評家のことです)好きなんですね。

 


でもなあ、私はそういうことを直視することこそが未来へつながると思うですけどね。一体明治20年代に「私たちはどこまで海外のものを取り入れるべきなの? 考え方まで西洋風になることが本当に正しいことなの?」という問題を問いかけた作家が、山田美妙以外にいたんですか? と私は問いかけたいのです。

 

で、この頃にそういうことをちゃんと考えてこなかったから、今みたいにわけの分からん「保守思想」なんかがはびこるんじゃないですかね。自分で自分に自信が持てないから、外国から褒められて喜ぶんでしょう。十数年前まで「春樹なんか文学じゃない」と言ってた連中が、春樹が海外で読まれててノーベル賞の候補にもなってる、とか言われたらもうシュンとして何も言えなくなるんですよ。凛として「世界中の人やノーベル賞の選考委員は日本文学が何たるかを分かっていない!」って言えばいいんですよ。でも、言えるの? そんなこと。言えないですよねえ。そんなこと言ったら「じゃあ坪内逍遥の「小説神髄」は一体なんなんですか?」って話になりますもの。

 


ま、だからこそ近代日本文学にとって最初に山田美妙のような人が現れたことは、とても幸運なことだったと、私は思うのですけどね。でもまあ、私みたいな素人でも一応彼の作品に触れることができているのだから、山田美妙も完全に忘れ去られたわけじゃないのでしょうけれど。

 

って、なんだか本書の内容よりも内田魯庵の批評の批評みたいになってしまいましたが(汗)、おなじみ山田美妙著「いちご姫・蝴蝶 他二篇」に関する素人講釈でございました。

 

 

いちご姫・蝴蝶 他二篇 (岩波文庫)

いちご姫・蝴蝶 他二篇 (岩波文庫)

 

 

日本初のベストセラー作家の話。

 

武蔵野

武蔵野

 

 

えー、本日も一席、お付き合いいただきたいわけでございますが、本日ご紹介いたしますのは山田美妙の「武蔵野」でございます。

 

この山田美妙という人がどういう人かと申しますと、日本の近代文学における最初のベストセラー作家なのでございまして、それに加えて実はこの人こそが、日本文学の言文一致を最初に完成させた人なのであります。

 

でもそんなことを言うと、「え、ちょっと待って。言文一致と言えば、二葉亭四迷でしょ」と思う方もいらっしゃるかもしれません。でもその二葉亭四迷もまた、この山田美妙から大きな影響を受けていたのでございますねえ。

 

とりあえず現在ではほぼ忘れられた作家となってしまっているこの山田美妙ですが、彼の作品がどんなものであったかを実感していただくために、ちょっとしたイントロクイズをいたしましょう。

 

次に4つの作品の冒頭部分を紹介します。この4つの作品と、その作品の発表年代を並べ替えてみてください。

 

では、いきますよ。

 


A:「さまざまに移れば変る浮世かな。幕府さかえし時勢には、武士のみ時に大江戸の、都もいつか東京都、名もあらたまの年ごとに、開けゆく世の余沢なれや。」

 

B:「ああ今の東京、昔の武蔵野。今は錐も立てられぬほどの賑わしさ、昔は関も立てられぬほどの広さ。今仲の町で遊客に睨みつけられる烏も昔は海辺ばた四五町の漁師町でわずかに活計を立てていた。今柳橋で美人に拝まれる月も昔は「入るべき山もなし」、極の素寒貧であッた。」

 

C:「千早振る神無月ももはや跡二日の余波となッた二十八日の午後三時頃に、神田見附の内より、塗渡る蟻あり、散る蜘蛛の子とうようよぞよぞよ沸出て来るのは、孰れも顋を気にし給う方々。しかし熟々見て篤と点検すると、これにも種々さまざま種類のあるもので、まず髭から書立てれば、口髭、頬髯、顋の鬚、暴に興起した拿破崙髭に、狆チンの口めいた比斯馬克髭、そのほか矮鶏髭、貉髭、ありやなしやの幻の髭と、濃くも淡くもいろいろに生分かる。」

 

D:「石炭をば早や積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒なり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌仲間も「ホテル」に宿りて、舟に残れるは余一人のみなれば。」

 

 


さて、お分かりになりましたか? それでは回答を発表いたしましょう。

 

まずAの答えは坪内逍遥が春廻屋朧名義で1886年、明治19年に発表した「当世書生気質」でございます。

 

ではB、これは山田美妙のほぼデビュー作と言っても良い短編「武蔵野」でございまして、「当世書生気質」の翌年、1887年の明治20年に発表されたものでございます。

 

そしてC。これも同年1887年に二葉亭四迷が発表した「浮雲」でございます。ただこれは逍遥の手が随分加わっているのではないかと言われております。

 

最後のDは、分かった方も多いことでしょう。森鴎外の「舞姫」でございます。この舞姫が発表されたのは1890年、明治23年のことですから、「武蔵野」や「浮雲」よりも3年遅れての発表となりますね。

 

ということで答えはA、BとC、Dの順番になります。

 


で、どうでしょう、こうやって他の作品と見比べてみると、「武蔵野」と「浮雲」が当時の普通の文章と比べれば全く異なる文体であることがよく分かりますね。

 

さて、ところでここで「武蔵野」と「浮雲」を比較してみるとあることが分かります。というのは、「浮雲」は先にも述べたように二葉亭四迷の文章に逍遥が手を加えているわけです。「浮雲」は読者が読み進むことによって徐々に新しい文体に慣れてゆく、という構造になっているわけです。

 

ところが同時期に発表された「武蔵野」はそうではありませんでした。この作品の面白いところは、例えば次の文を読んでみればわかるでしょう。

 

「嬉しいぞや。早う高氏づらの首を斬りかけて世を元弘の昔に復したや」
「それは言わんでものこと。いかばかりぞその時の嬉しさは」
 これでわかッたこの二人は新田方だと。そして先年尊氏が石浜へ追い詰められたとも言い、また今日は早く鎌倉へこれら二人が向ッて行くと言うので見ると、二人とも間違いなく新田義興の隊の者だろう。

 

と、つまりどういうことかというと、この作品は今で言う時代小説なのですね。そこで美妙は地の文は言文一致体でありながら、登場人物たちの言葉はいかにも古風なものに「敢えて」しているわけです。

 

なぜかというと、そうすることによって新しい地の文と古めかしい会話の文を対照的にしてともに印象的になるよう、工夫しているわけです。

 

そう考えるとですよ、四迷と美妙、果たしてどちらがより巧妙に「小説」なるものを築き上げているかと言えば、どう考えても美妙の方なわけですね。普通に考えて「浮雲」風にやった方が楽だし、簡単です。文章や作品の構造のことなんて考えずにすみますから。でも「武蔵野」はそうではないのです。

 

で、実は二葉亭四迷が完全な言文一致体のみで作品を発表するのは「浮雲」の第三編からになりますが、山田美妙はすでにこの「武蔵野」において言文一致体を中心とした小説をものにしてるわけですから、「日本文学で言文一致体を完成させた人」と言えば、それは本来、二葉亭四迷じゃなく山田美妙にならないといけないわけです。

 

実際、二葉亭四迷は山田美妙の文章を何度も読み、参考にしていたとのこと。この二人は確か同郷の生まれで年も近かったこともあり、四迷は美妙をかなりライバル視していたのではないかと思います。

 

さて、で、この「武蔵野」が話題となり美妙は一躍若手作家のトップへと躍り出たのでした。この頃まだ二十歳になるかならないかという頃だったそうです。

 

そして明治22年には徳富蘇峰の主宰していた雑誌「国民之友」の付録として、この美妙の「胡蝶」と逍遥の「細君」という二つの作品が掲載されるのです。

 

この「国民之友」の付録として掲載されるということは、当時の文壇にとってものすごい意味のあることでした。いわば、紅白歌合戦のトリの片方を若手のアイドルがやったみたいなものですね。

 

坪内逍遥に文句を言う人は誰もいませんでしたが、何でもう一人がデビューしたばかりのペーペーにすぎない山田美妙なんだ、と。そういう話になったわけです。(ちなみにこれは余談ですが、翌明治23年の国民之友付録として発表されたのが、森鴎外の「舞姫」でした。)

 

まあそういうわけでですね、山田美妙という人は、二十歳そこそこの若者でありながら既に日本文学を背負って立つような存在へと成り上がったわけでございます。

 

同世代の文学者の中では山田美妙一人が横綱で、あとは四迷も尾崎紅葉もみんな前頭筆頭程度、という状況ですね。

 

だから普通に考えれば山田美妙という人の存在は、日本文学を学ぶ際には逍遥の次に必ず登場しなければならないはずですが、でもどうなんでしょう。知らない、聞いたことがある程度、という人の方が多いのではないでしょうか。

 

まあ要するに山田美妙という人はこの後、いわば「忘れられた作家」となるのです。

 

山田美妙が忘れられてしまった理由を、例えば内田魯庵なんかが「山田美妙斎の小説」というエッセイで詳細に語っています。

 

これはねえ、もう、本当にひどいエッセイです。このエッセイと、そして内田魯庵が山田美妙に対してとった態度を事細かに上げ連ねて思いっきり断罪してやろうかどうか、ちょっと考えているところでございますが、このエッセイの中で魯庵は美妙が文壇から姿を消した理由を、様々に述べておりまして、まあ簡単に言うと

 

1 その作品が結局文学として内容の薄いものだった
2 若くして成功したために天狗になって周りの人々に嫌われた

 

というこの2点になるわけですが、まあ美妙の性格がどうだったかは別として、この「山田美妙の小説は内容が薄い」説には、私はどうかと思うのですねえ。

 


ちょっと話がずれますが、私は山田美妙のことを思うとき、必ず同時に考えるのが村上春樹のことです。山田美妙と村上春樹は、本当によく似ています。

 

一言で言えば、美妙も春樹も、その内容が文学好きに対して「理解されない」のですね。で、「中身がない」と言われてしまう。

 

村上春樹も現在ではノーベル賞候補となっていますので、さすがに今「村上春樹なんて文学じゃない」とか言う人はあまりいないでしょうが、正直20年くらい前までははっきりとそう断言する人がいわゆる文壇とか、大学の教授とか、文学好きの間にはごろごろいました。

 

「最近の学生は卒論のテーマに村上春樹をやりたいとか言い出すから困る」とか、普通に言われていたものです。今じゃこの村上春樹ラノベになってるわけですが。確か柄谷行人なんかも村上春樹を評して「構造だけで中身がない」と言ってたような気がします。

 

で、村上春樹はそういう文壇に辟易し、というかもう彼らに認められることをさっさと諦めて海外に行くわけですね。で、そこで信頼できる翻訳者を「自分で」見つけ、海外で自分の著書が出版される足がかりを「自分で」つくったわけです。偉そうに振る舞うばっかりでなんの力もない日本の文壇なんかシカトしたんですね。

 

村上春樹がいま世界中で読まれているのは実はそういうことなんです。日本の文壇では何がどうなろうと決して認められることはないと気づいた春樹が、自ら外に出て行って海外の読者を開拓していったことが、現在の「世界文学としての村上春樹」という結果につながっているわけです。

 

よく春樹とノーベル賞の話題になった時に「いや、日本にはもっと優れた作家がたくさんいる」とか言う人がいますが、問題はそういうことじゃないんですよ。そんなこと言ったって無意味なんです。問題は、日本の文壇で評価されている作家が海外で大して評価されていない、という事実の方なんですよ。日本の文壇が結局のところ「自分たちが認めたい人しか認めていない、好きか嫌いかでしか判断していない」というレベルの低いものであることが、日本の文壇が評価しない村上春樹が海外で評価されている、という事実によって露呈していることが問題なんです。

 

でもそれは春樹のせいじゃないですよ。日本の文壇自体、もしくは「日本文学」そのものがおかしいというか、限界があるわけで、それを人のせいにしちゃいけない。だから私は春樹の悪口を言う前に、まず自分自身を反省することの方がもっと大切じゃないかと思いますがね。

 


では、なぜ美妙や春樹は文壇、あるいは「文学が好きな人たち」の間で評価されない、というよりもむしろ一言で言えば「嫌われる」のでしょうか。村上春樹を日本文学がまともに評価できないという事態は、実は山田美妙の頃から始まっているわけですが……

 

おっと、本当は私はここから先の話がしたかったのですが、もうここまでずいぶん書いてしまったので、この話はまた次回ということで。

 

おなじみ山田美妙著「武蔵野」に関する素人講釈でございました。

 

 

武蔵野

武蔵野

 

 

浪漫主義と自然主義がデッドヒートを繰り広げる話。

 

 

毎度ばかばかしい話を一席、本日もお付き合いいただければと思います。

 

いやはや、すっかり忘れていたことを思い出しました。私、そう言えば日本文学を刊行年代順に読んでいこうと思っていたのでした。

 

というわけでそろそろ再開したい日本文芸素人講釈でございますが、第二部で取り上げたいのは尾崎紅葉をはじめとした硯友社の面々と幸田露伴なのでございます。

 

そこで今回は第二部の予告編として、「そもそも硯友社て、なんでんねん?」という話をしたいわけでございまして。

 


日本文学の暁の時代に活躍したのが坪内逍遥森鴎外でしたが、実はこの二人、デビュー作を上梓して以降、作家というよりもむしろ評論家、翻訳家としての活動に重きを置き始め、創作の面ではあまり活躍しないんですよね。それは二葉亭四迷もまたそうなのですが。

 

で、夏目漱石の登場をネクストステージだとすると、「小説神髄」から「吾輩は猫である」までおよそ20年の開きがあるのでございます。

 

じゃあこの間一体何があったのか。逍遥や鴎外が新作を発表しない間に作家として活動し、創作の面で日本文学界を支えたのは誰だったのでしょう。

 

その人たちこそ、尾崎紅葉をはじめとする硯友社の面々や幸田露伴であり、その向こうを張ったのが国木田独歩らを中心とした自然主義者たちだったのでした。

 


逍遥と鴎外を「写実主義派」と「浪漫主義派」で敢えて二項対立させてみたように、この間の作家たちも敢えて二項対立としてみると、硯友社の面々はどちらかというと鴎外派、自然主義者たちは逍遥派、と言えるかもしれません。

 


そもそも硯友社とは、「小説神髄」が世に出た1886年、まだ学生であった尾崎紅葉と山田美妙、石橋思案の三人が創刊した「我楽多文庫」に始まります。

 

この三人を中心に創刊された文芸雑誌「我楽多文庫」に川上眉山や巌谷漣(後の小波)、広津柳浪らが集まります。この雑誌は小説はもちろんのこと、和歌や狂歌から俳句、漢文、さらには絵画までもあるといったものでした。いわば文芸サークルの走りのような存在ですね、

 

彼らは戯作者として有名な曲亭馬琴に縁のある地に社を構え、二つのモットーを掲げたのでした。

 

まず一つ目は、芸術至上主義。

 

当時の時代背景を考えると、「小説」なんてものは語るに足らないものだ、という風潮なわけですね。で、そんな「小説」を語るに足るものにするためには、政治や思想について述べるべきだ、と考える人たちがいたわけです。

 

でもそうじゃない、というのが彼らの考えなのでした。その点では彼らの主張は「小説神髄」における坪内逍遥の考えと一致していますね。

 

ただ面白いのは、この「芸術至上主義」のために、彼らは逍遥とは全く正反対の立場を主張したのでございます。

 

それがいわゆる「擬古典主義」と呼ばれる考え方。

 

逍遥は小説を芸術にするために戯作を否定したのでした。しかし硯友社の面々は小説が芸術であるために、むしろ江戸時代の戯作者たちを規範としたのでございます。

 

ノンポリであること、そして戯作者気質。

 

まあ要するに、難しい話はよそうじゃないか、という態度ですよね。理屈で芸術を考えるんじゃなく、「面白ければそれでいいじゃん」という、良く言えば若々しい、悪く言えば「ん? もしかしてお前ら、ただノリがいいだけのバカなんじゃないの?」と疑われかねない金持ちのお坊ちゃんの集まりだったのでございます。

 

で、彼らはみな、今で言うイケメン揃いだったのでございました。いかにも男らしい、兄貴! といった風貌の尾崎紅葉、繊細でキザな芸術家肌の山田美妙のほか、本書の著者である内田魯庵は川上眉山が一番男前だったと言っています。私は巌谷漣が一番男前だと思いますがねえ。まあその辺は興味のある方は画像を検索してみてくださいませ。

 

とまあ、そんな彼らですから、女性ファンも多かったそうで。料亭を借り切って文士劇なんかもやったそうで、その会場には「紅葉さ~ん♡」「漣さ~ん♡」なんて黄色い声も飛びかっていたのだとか。

 

もう、今で言うリア充のパリピですねえ。多分この人たちが現代に生きていたら、決して文学なんぞやらずにダンスでもしてEXILEに入ったに違いありません。そりゃまあ、真面目に「文学とは!」とか「芸術とは!」と考えていた人たちからしたら、ちょっとイラッとするでしょうね。

 


で、この硯友社の活動が同世代の書生たちの間でどんどん話題になり、彼らは一躍文壇のスターとなってゆくわけです。だってこっちの方がモテそうなんですから、仕方がない。

 

とりわけ一番先にスターとなったのが山田美妙でしたが、山田美妙はもう、この真面目な人々の「イラッと(あるいはただのルサンチマン)」の集中砲火を浴びるわけでして、ほんとに、男の嫉妬は女の嫉妬よりもよっぽど怖ろしいのでございます。ま、その話はまた後日することにいたしましょう。

 

美妙が去って後の硯友社は紅葉のワンマン体制となってゆき、親分肌の彼の元にはたくさんの若い人たちが集まってくるようになります。

 

紅葉、美妙、思案を第一世代とするならば、眉山、漣、柳浪が第二世代、で、第三世代が泉鏡花徳田秋声小栗風葉、柳川春葉で、この四人は紅門四天王と呼ばれるのでございます。

 

しかし紅門四天王ってのは、音だけ聞くとなんか強烈に効き目のある痔の薬のようですね。

 

そんな肛門……おっと失礼、紅門四天王というのは、まあ、言うなれば三代目なんちゃらですねえ。ランニングマンを踊っていたかどうかは知りませんが。

 

で、彼らの時代になると、いわゆる浪漫派に転機が訪れるのです。

 


これは他の芸術活動でもそうなのですが、芸術至上主義的な活動というのは、世代を経るにしたがってどんどん過激な方向に進んでいくのですね。

 

例えばウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツなんかは健全な芸術至上主義でしたが、それがアール・ヌーボーになり、そしてオーストリアに伝わってクリムトらに影響を与えるころになると芸術至上主義というよりは耽美主義とも呼べるような、退廃的なものになってゆくでしょう。

 

同じように硯友社の文学というものもどんどんその芸術性が過激になり、泉鏡花は妖美な世界を、徳田秋声は残酷な物語を描くようになっていきます。

 

で、面白いのがこの徳田秋声が得意とした「残酷小説」というところで、本来真逆の立場であったはずの自然主義の立場と鏡花以外の硯友社の面々の立場が見事に結合してしまうのですねえ。

 

これに硯友社のドンであった尾崎紅葉の死もあって、浪漫派的な文学を代表していた硯友社は徐々に衰退し始めます。というか自然主義派に吸収されていく。

 

硯友社系の雑誌から登場した田山花袋自然主義的なものを書くようになりますし、詩人時代は浪漫派と呼ばれた島崎藤村も小説家としては自然主義的な私小説を描くなど、一世を風靡した硯友社の時代は終わりを告げ、今度は逍遥派の自然主義文学が盛り上がり始めるのです。

 


と、本書の話は大体ここまでなんですが、なんだか気分が乗って来たのでこのままさらに話を続けていくと、そんな時代に反自然主義者として夏目漱石が登場し、森鴎外が執筆を再開するわけです。

 

ただ面白いのは漱石や後期の鴎外は反自然主義ではあったものの、浪漫主義でもなかったという点です。漱石や鴎外からすれば、硯友社の面々も自然主義者もどっちも同じだというわけです。どっちもなんか深刻な話ばかりしてうざいよ、と。「お前ら必死すぎてめっちゃウケるんですけどw」という超上から目線の態度ですね。イヤですねえ。

 

そうなると、かわいそうなのは泉鏡花です。漱石や鴎外という強力な助っ人が現れたと思ったらそうじゃなかったんですから。まあでも逆に考えれば孤高の存在でいられるのは作家としてむしろおいしいポジションかもしれませんけれど。

 

で、そういう漱石や鴎外という余裕派と泉鏡花のような浪漫主義や耽美主義を上手に融合させるのが芥川龍之介であり、谷崎潤一郎なのです。さらに同時期に登場する白樺派も最初は人道主義という健全な浪漫主義の立場で登場します。「まあ、確かに自然主義とかなんか貧乏臭くてやーね」と。こうなってくると自然主義はもう虫の息でございます。

 

ところがところが。この新浪漫主義者とも呼べる芥川たちも実は硯友社と同じような運命をたどるのでございます。芥川は自殺してしまうし、白樺派は理想からだんだん現実に目を向けるようになって自然主義的な私小説を書くようになってゆく。で、気がつくと谷崎一人がかつての泉鏡花と同じように耽美主義者として孤立している。

 

そうするとまた自然主義的な文学が盛り返してくるわけですねえ。「ほら、この虫の死骸を見てごらん。つまらんだろう? でもこのつまらなさこそが、私たち人間の人生なんじゃないか?」なんてね。適当に言ってますが。

 

ところがどっこい、浪漫派がまたまた復活してきます。今度は芥川門下から堀辰雄が現れますし、川端康成横光利一と言った新感覚派も登場します。「いや、やっぱ虫の死骸を見ているより軽井沢でセレブが恋愛するとか、そっちの方がいいんですけど」という時代です。

 


……あんまり先走ってもなんですね。

 


そんなわけで次回から再開する日本文芸素人講釈第二部では、そんな浪漫派と日本文学が生んだ最初のスターである山田美妙の話をしようかなと思っているところでございます。

 

なんだか半分以上本書とは関係ない話になってしまいましたが、おなじみ内田魯庵著「硯友社の勃興と道程 ――尾崎紅葉――」に関する素人講釈でございました。

 

 

 

漫画を「ありの~ままで~♪」語る話。

 

 


えー、本日も一席お付き合いいただきたいのでございますが、本日ご紹介したいのは、夏目房之介の「夏目房之介の漫画学」でございます。

 

この夏目房之介という人は、ご存じの方も多いでしょうが、夏目漱石の孫なのでございまして、実は日本の漫画史において彼はとても重要な人物の一人なのですね。今日はそんな話をしたいのでございます。

 


ところで、いきなりですが皆さん漫画は読めますよね。「いや、私、実は漫画は難しくて、どう読めばいいのか分からないのです」という方はいらっしゃらないでしょう。

 

よく子どもでも「字の本は難しいから嫌いだけど漫画なら読むよ」という子もいたりして、うちの甥っ子なんかもそうなのですが、小説のような字だけの本よりも漫画の方が簡単で分かりやすいと多くの人が思っているのではないでしょうか。

 

でもこれ、実は大きな間違いなのですね。なぜそれが間違いなのか、ご説明いたしましょう。

 

まず下の画像1をご覧ください。この画像は本書に掲載されている著者の夏目房之助さんによる「ドラえもんを少女漫画風に描いたらこうなる」というパロディです。

 

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皆さんこの漫画読めますよね。

 

まず最初のコマは雲の見える空が描かれています。それからのび太の家の屋根があり、そしてその家の下の部分が描かれています。

 

同時にこの3コマでは作者の言葉としてナレーションが書かれています。

 

で、「さわやか ドラえも~ん」というタイトルが続きます。

 

でも、ちょっと待ってくださいよ。そもそも私たちはなぜこの漫画を、上から順番に、しかも継続した時間軸で読むことができているのでしょう? どこにも番号なんて振ってないんですけど。

 

恐らくこのページを読んだ人の脳内では、こんな映像が流れているのではないかと思うのです。

 

まず青空があり、カメラがそこからどんどん下へと下降していき、のび太の家の全体像を映し出す。テレビドラマや映画の冒頭でよくあるパターンですよね。つまり、カメラの視点が上空からどんどん下へとゆっくり動いているわけです。

 

漫画というのはそんなカメラの動きを3つのコマを並べるだけで可能にしてしまうのですね。読者は3つのコマを見ただけです。でもその脳内には一つの連続した映像が浮かび上がる。実はすごく複雑なことが行われていることにお気づきでしょうか。

 

しかもこのページ、右側にコマをまたいで青年風のび太君が描かれていますよね。こののび太君は、まさか巨大サイズののび太君だとは、誰も思わないわけです。巨人となったのび太君が自分の家の横に立っている、と思う読者はいないわけですね。

 

でも、このページを正直に、そのまま見るならばそういう風にしか本来感じられないはずではないでしょうか? ところが、読者はそこはちゃんと理屈ではなく感覚的に「取捨選択」するわけですね。

 

さて、では画像2に移りましょう。

 

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このページを読者はこう読んでいくでしょう。

 

①とは思ったものの

②なにせこの背景

③せめて背景を

④たちきりの観葉植物にしてみてもこのキャラクター…

⑤(ポケットに手を入れるドラえもん

⑥ごちゃまぜペン!

⑦このペンを使えば

⑧たちまち――

⑨無重力

 

まずですね、この①のコマは、前のページの背景からつながっていることが分かりますよね。で、②のコマがあって、③ののび太の家の近所の背景へとシーンが移ったことを、私たち読者はこの3つのコマだけで理解するわけです。しかもこのコマの形と並び方で、何とかなく読者が物語の中に入り込んでいくような効果も促しているわけですね。

 

で、④で今度はいきなり室内の風景になりますが、このコマは③のコマと時間的に、あるいは空間的につながっていないことは、誰でも分かるわけです。そんなことどこにも書いていないのにもかかわらず。

 

さらにページの下段に行くとドラえもんが秘密道具のごちゃまぜペンを取り出しますが、ポイントはこの⑥のコマですよ。ドラえもんの手とごちゃまぜペンのまわりに引かれたたくさんの線。これは一体なんでしょうか?

 

でもこれも、この線がいわばスポットライトの役割を示していることは、みんな知っているわけですね。だから「この線何? 周りから針が突出してるの?」とか言う人はいないわけです。でも、そんなこと一体誰に教わったんですか?

 

そして最後の3つのコマですが、よくご覧ください。⑦のコマののび太君と⑧のコマののび太君と⑨のコマののび太君は全部髪の色が違うわけですね。でも、だからと言ってこの3人ののび太君が全部別人だと思う人はいないわけです。じゃあ読者はなんだと思っているのでしょうか。

 

それはこの3つのコマの間で、シーン全体の色彩がうっすらとぼやけていっている状態であることを読者は分かっているのですね。

 

しかもですね、よーく見てくださいよ。⑦のコマと⑨のコマ、よく見たらこれ繋がっていませんか? ということはですよ、上段の①から③のコマの例に沿えば、⑦のコマと⑨のコマは同じ空間、同じ場所でなければいけないことになりませんか?

 

でも、誰もそういう風には読まないわけですね。そんな風に読んでたら漫画は読めないのです。

 


なんていうことを考えていくとですよ、漫画というのは実はものすごい複雑な情報処理を脳内で行いながら読んでいるということが分かるのではないでしょうか。

 

小説は字を読むだけですし、絵画は絵を見るだけですが、それらと比べると漫画というのは様々な脳の機能を働かさないと読めないわけですね。論理だけでも、感覚だけでも漫画というのは読めない表現方法なのです。(漫画という表現が「簡単」で「単純」な「子ども向けの」ものと考えられているから敢えてこういう言い方をしているだけで、別に小説や絵画を乏しめたいわけではありませんのであしからず)

 

で、そういうことを最初に言い出したのが、何を隠そう、この夏目房之介さんなのでございます。

 


ではここで、この夏目房之介さんが登場する前の漫画評論を言うのはどういうものだったのか、ちょっとご説明いたしましょう。

 

漫画自体の起源は、北斎北斎漫画に遡ることもできますし、あるいは鳥獣戯画まで遡ることも可能でしょう、考えようによっては。とは言え現在の私たちにとっての漫画とほとんど同じような意味での漫画というのは、大正から昭和にかけてくらいのことだと思うのですね。

 

で、漫画というのはずっと学問の対象ではないもの、語るに足らないものであったのです。これは、明治以前の戯作が語るに足らないもの、文学ではないものだったのと同じですね。

 

そこに変化が訪れたのは、1970年代になってからでございます。この頃に学生運動をしていた人たちの中に漫画愛好家が多くいて、彼らが漫画を語り出したのですね。

 

とは言えこのから生まれだした「漫画を語る」という行為は、結局のところ大きく分けて2パターンしかありませんでした。

 

一つは、その作品の持つテーマの深遠さについて語るパターン。そしてもう一つは、社会現象、サブカルチャーとして見るパターンです。

 

これは別の言い方をすれば、漫画というのはそのテーマについて語る(文学的方法)か、サブカルチャーとして語る(社会学的方法)しかあり得なかったわけです。

 

でも、ここには漫画の技法とか、漫画という表現における記号の独自性とか、そういうのはまったく介在していないことにお気づきでしょう。

 

1970年代以降、いわゆる「漫画論」なるものは多く出版されており、現在でもそれなりに出版されていますが、はっきり言ってそのほとんどはこの「漫画文学論」か「漫画社会学論」のどっちかです。

 

でも、そうなのでしょうか。漫画は果たして文学なのでしょうか?

 

実際さっき漫画を私たちがどう読んでいるかということを示した時に感じられた方もいるかもしれませんが、実は漫画を読む行為というのは「小説を読む行為」よりもむしろ「映画を観る行為」に近いのですよね。

 

そのことに着目し、映画論の技法を使って漫画を語って見せたのが、確か四方田犬彦だったと思います。多分。ちょっとこの辺記憶があいまいですが。

 

でも、それでもまだ漫画論ではないわけです。映画論としての漫画論なわけで。

 

そんな時に登場したのが、本書の著者、夏目房之介さんだったわけであります。で、彼は様々な漫画作品を自分で実際に模写することによって、誰も語りえなかった漫画論を展開したのでありました。

 

漫画が漫画として、文学でも映画でもない独自の表現形式としてちゃんと語られ始めたのです。社会学的なアプローチが表現方法そのものの価値を表していないことは当たり前(ex.ベストセラーが必ずしも名著とは限らない)ですが、実は物語を語るという方法も、漫画を「漫画として」語ってるんじゃないよね、と。

 

そう考えると、私が著者の夏目房之介さんが日本漫画史において重要人物の一人である、という理由もお分かりいただけたのではないかと思います。

 

多分、漫画について語っている本は多々あれど、漫画を漫画として、映画でも文学でも社会学でも思想でもなく語りえているのは、この夏目房之介さんの著書とあと数冊あるかないかぐらいのものです。(もちろん、社会学的なアプローチや文学的なアプローチが「悪い」と言ってるんじゃないですよ。ただ違うよね、っていう。でも違うことに気付いてる人少ないよね、っていう、それだけの話です)

 


これはですね、いわば明治時代に「日本文学」なるものが「芸術とは何か」という観点からしか語られえなかったということと、実は同じなのですね。

 

で、そうすると日本文学は理論上どうしても「高踏な芸術」を目指す方向なってしまうわけでして、そんな流れに「いや、文学が芸術かどうかとか、そんなことどうだっていいよ。文学は文学だよ。ありのままでいいよ」と言ったのが夏目漱石なわけです。

 

そうするとですね、この漱石の孫である房之介さんも、実は漫画という世界においておじいさんと同じことをやってのけたわけでして、これが私は非常に興味深いと思うのですねえ。

 

で、しかも漱石は芸術から文学を解放したわけですが、房之介さんは文学から漫画を解放したわけです。これも非常に面白い。

 


というわけで、漫画好きなそこのあなた! 本書を読んで「漫画を漫画として」ありのままで考えてみてはいかがかと思う次第なのでございます。NHKで時々やってる 浦澤直樹の「漫勉」が好きな方とかね、楽しめると思いますよ。

 

おなじみ夏目房之介著「夏目房之介の漫画学」に関する素人講釈でございました。

 

 

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プロレスで 短歌を詠んでみたならば なんだか切なく なっちゃう話。

 

 

えー、本日も一席お付き合いいただきたく、ご紹介したい本は夢枕獏の「仰天・プロレス和歌集」でございます。

 

プロレスと和歌ですよ。もう、なんてミスマッチなのでございましょうか。本書はそんなプロレスにちなんだ和歌がたくさん収録されており、それに対する作者の夢枕獏さんの選評がついているのでございます。

 

そんな本書の魅力を十分にお伝えするには、やっぱり本書に収められた和歌をご紹介するのが一番のいいのでしょうが、まあ、それだけではあまりに芸がございませんので、本日はちょっと趣向を変えてお送りいたしましょう。

 


司会者「さあ、始まりましたメインイベント60分一本勝負、特別ルール「和歌デスマッチ」でございます! 司会は私、古たっち伊知郎、解説は山もっと小鉄さんでお送りいたします。小鉄さん、よろしくお願いいたします」

 

解説者「よろしくお願いします」

 

司会者「さあ本日のメインイベントであるこの勝負、特別ルール「和歌デスマッチ」というものなのですが、小鉄さん、これは一体……」

 

解説者「いやあ、私にもよく分かりませんねえ。聞いたこともありません」

 

司会者「そもそも本日は一体誰が登場するのかすら発表されていない、という異例の戦いなわけですが……、お、そんなことを言ってる間に会場が暗転しました! そして聞こえてくるのはアメリカの西部を思わせる音楽と、そこから一転してのサンライズ!! こ、これは、まさかまさかのスタン・ハンセン登場だ―!!」

 

解説者「スタン・ハンセンはアメリカ人ですが、そもそも和歌が何か知っているんでしょうか?」

 

司会者「分かりません! 分からないけれど会場はすでにヒートアップしております! そしてスタン・ハンセンに立ち向かうのは一体誰なのか?……この音楽は、「スパルタンX」です!! スパルタンXと言えばあの人しかいない! すでに会場からは三沢コールが鳴り響いているぞ!! そして小橋健太と川田利明を引き連れて、三沢光晴の登場だ―!」

 

解説者「これは、かつて全日本で繰り広げられた死闘がもう一度見れるかもしれませんねえ」

 

司会者「観客もまさにそれを待ち望んでいるところであります。さあ三沢がリングに上がりました! リング上で睨み合う両者、ここから一体どんな戦いが繰り広げられるのでありましょうか!」

 

解説者「まったく予想不可能ですね」

 

司会者「さあ、まずは三沢、スタン・ハンセンをロープへと投げて、そして……マイクを取った―!!」

 

「プロレスを八百長と言う評論家に 一度かけてやりたいアキレス腱固め」

 

司会者「こ、これは、なんてプロレスへの愛のこもった和歌でしょうか!! そしてレスラーの憤りも感じさせます! スタン・ハンセンも共感して相当ダメージを食らった様子です!」

 

解説者「スタン・ハンセンは日本語がちゃんと理解できたんですねえ」

 

司会者「ハンセンも負けてはいません! 三沢の後ろを取って、そしてそのまま……やっぱりマイクを取る!」

 

「しのぶれど色にいでにけりわが痛み ギブアップかとひとのとふまで」

 

司会者「こ、これは意外にも純和風だぞハンセン!! 三沢も予想外の展開に慌てふためいております!」

 

解説者「ハンセン、日本語の発音も上手ですねえ。そんな一面があるとは知りませんでした」

 

司会者「三沢も負けていません! マイクを取り返し……」

 

「横ざまに 歪んだ顔の透き間より もれいづるギブアップの声のさやけき」

 

司会者「三沢、まさかのハンセンに対する返歌です! これぞまさに一進一退の攻防!!


 おーっと、ここで会場が再び暗転! まだ誰か登場するのでしょうか? 鳴り響くのは、「スカイハイ」! そしてスカイハイと言えばこの人、ミル・マスカラスの登場だ―!!」

 

解説者「メキシコ人にも和歌が分かるんでしょうか」

 

司会者「そして反対サイドからもまた一人登場する様子! 今度現れたのはなんと、ジュニアの象徴、獣神サンダーライガーだ!!」

 

解説者「これは、ルチャ・リブレの世代を超えた戦いとなってきましたね」

 

司会者「さあ、リング上に現れた二人の伝説的なジュニア選手、一体どんな空中和歌を炸裂してくれるのでしょうか? まずはマスカラス、コーナーポストによじ登って……マイクを取った!」

 

「スイシーダ自爆したる友に 負けてやるきっかけ遠のきぬ」

 

司会者「おーっと、これは正にジュニアの選手ならではの和歌! アクロバットな技には失敗がつきものであります! しかしライガーも負けてはいません!! ライガーもマイクを取って……」

 

「このマスクよりも派手な技で 勝たねば許してくれない観客がおそろしい」

 

司会者「おーっと、しかしこれはマスカラスにしかダメージを与えていない! マスクマンの悲哀は他の選手たちにはあまり伝わらなかったようです! いや、しかしもう一人だけダメージを受けているぞ! 三沢だ! 三沢がダメージを受けています!」

 

解説者「タイガーマスクだった頃を思い出したのでしょうねえ。経験が仇となりました」

 

司会者「おーっと、ここでまたしても会場が暗転! 今度は誰が登場するのでしょうか? 会場内に響き渡るのは三味線と笛の音! そうです! 和歌と言えば日本の伝統の文芸! 東洋の神秘!! そして東洋の神秘と言えばこの人、ザ・グレート・カブキでございます!! さあカブキ、今回も般若の面に赤い獅子兜で登場してきました! 何やら不穏な空気が流れております!


 そして反対サイドから現れたのは……、おーっと、あれはグレート・ムタだー!! アメリカではカブキの弟子という設定で活躍していたムタ、地獄から甦ってまいりました! 今回もまた夢の競演であります!!」

 

解説者「二人には毒霧ならぬ毒のある和歌を期待したいところですねえ」

 

司会者「さあこの二人は一体どんな和歌を繰り出すのか! まずはカブキがマイクを取って……」

 

「チェーン振り回しても逃げぬガキが笑っている 次は本当にくらわしてやろうと思う」

 

司会者「おーっと、いるぞー、こういう子!! どうしたらいいかレスラーが困ってしまうこういう子、いるいるいるー!! これは強烈な一首であります! そしてもちろんムタも負けてはいません! ムタの別人格である武藤敬司はプロレスマスターと呼ばれていますが、果たしてムタは和歌マスターでもあるのしょうか? さあ、ムタ、マイクを取って……」

 

「マットに寝てきみを待っている フライングボディプレスという技のもどかしさ」

 

司会者「おーっと、これは言っちゃいけない! 言っちゃいけないぞムタ!! 待ってるんじゃありません! ダメージで動けないのであります! やはりヒールであります!! 痛いところを突いてきます!!」

 

解説者「ムタの決め技もフライングボディプレスなんですけどねえ」

 

司会者「さあ、まだまだ登場するようであります! 会場内に響き渡るパワーホール! 今度は長州力が、馳浩佐々木健介、そしてなぜか北斗晶も引き連れての入場です!!」

 

解説者「馳は元文部科学大臣ですからねえ。しっかりレクチャーを受けたんじゃないでしょうか」

 

司会者「そしてもう一方から登場したのは、天龍源一郎だ!!」

 

解説者「天龍は元力士ですからねえ。日本の伝統を感じさせる和歌を期待したいところです」

 

司会者「さあ、長州、あいさつ代わりに一首かましたいところですが、まずはマイクを奪い取って」

 

「狂器をば見つけられないわけではないが 知らぬふりの父をあはれに思ふなみちこ」

 

司会者「おーっと、これは、父の愛を感じる歌だ―! 長州力にも娘がいるようですが、こんな経験があるのでしょうか! そして長州の娘の名はみちこなのでしょうか!


 天龍も負けてはいません! すかさずマイクを奪い取って……」

 

「○◇#$≪ +*<>&%# G=~|$# 」

 

司会者「こ、これは、滑舌が悪くて何を言ってるのか分からない! 何を言ったんだ天龍! しかしなぜかリング上の選手たちはダメージを受けている様子です!」

 

解説者「まあ、それを言えばレスラーはたいてい滑舌が悪いですからねえ。むしろ今までちゃんと聞きとれていたのが不思議です」

 

司会者「さあ、全く予想不可能となってきましたこの試合、ここから一体何が起こるのでしょうか。


 おーっと、そんなことを言っているとまた会場が暗転! これ以上誰が登場するというのでしょうか?


 スクリーンに映し出されたのは選手の控室! 誰がいるのか! 虹色のガウンが見えるぞ! そしてそのガウンには闘魂の二文字が!! まさか、まさかあの人なのでしょうか!!


 会場内にはボンバイエが鳴り響きます! 観客たちもかなり盛り上がっています! 本物でしょうか! 春一番ではないでしょうか? いや、違う! 本物だ!! 本物のアントニオ猪木の登場だ―!!」

 

解説者「異種格闘技戦と言えば猪木ですからねえ。でも、これって異種格闘技戦なのでしょうか」

 

司会者「さあ、そしてリングに上がった猪木、一体どんな和歌を繰り出すのでしょうか? まずはマイクを手に取って……」

 

「少年よ 迷わず行けよ 行けば分かるさ」

 

司会者「おーっと、これは和歌じゃないぞ! これは有名な猪木のポエムだ!! しかしリング上の選手たちは全員ダウンした!! あまりの予想のつかない展開に、相当ダメージを受けた様子です!!」

 

解説者「いやあ、猪木VSモハメド・アリ戦を彷彿させますねえ」

 

司会者「そしてカウント10がコールされました! 勝者は猪木! 和歌を詠んでないのに猪木が勝者です!! これでいいのでしょうか? 分かりません! 猪木はまだマイクを手放さない!」

 

猪木「元気ですかー! 元気があれば何でもできる。元気があれば和歌も詠める。行くぞー! イーチ、ニー、サーン、ダーーーー!!」

 

司会者「もはや会場の興奮は収まりません! 一体何が起こっているのか、わけが分かりません!! しかしこれでいいのでしょう! これがプロレスだ! そしてこれがエンターテイメントだ!! 


 ということで、熱い戦いをお届けしてまいりましたが、ここでお時間となりました。テレビの前の皆さん、またお会いしましょう! さよーならー!!!」

 


……えーっと、そういうわけで、本書の魅力とそしてプロレスの魅力が伝わりましたでしょうか? 

 

おなじみ夢枕獏著「仰天・プロレス和歌集」に関する素人講釈でございました。