文芸素人講釈

古今東西の文芸作品について、講釈垂れさせていただきます。

ユー、狂っちまいなよ! という話。

 

舞姫・うたかたの記―他3篇 (岩波文庫 緑 6-0)

舞姫・うたかたの記―他3篇 (岩波文庫 緑 6-0)

 

 

坪内逍遥が「当世書生気質」を発表したのが明治19年、二葉亭四迷が逍遥の理論をより発展させる形で「浮雲」を描いて見せたのが翌年の明治20年のことでございました。

しかし驚くなかれ、それから3年後、明治23年に日本文学はさらなるネクストステージへと向かうことになるのです。その立役者となったのが、森鴎外でありました。

ということで、本日は「舞姫」「うたかたの記」「文づかひ」の三作まとめて講釈垂れさせていただきます。


鴎外の初期に発表した三作は「独逸三部作」、あるいは「浪漫三部作」とも言われておりまして、実は鴎外、この三作を発表した後は評論や翻訳にむしろ力を入れ始め、再び小説を書き始めるのはおよそ二十年後、明治42年のことでございます。

つまりこの三作と、よく知られる「高瀬舟」だとか「山椒大夫」だとかはちょっと別物、と考えるべきなのですね。

ではこの三作は一体どんな作品なのか、とりあえずあらすじをばばっとご紹介いたしましょう。


舞姫」は多くの方もご存じでしょう、鴎外の自伝的小説とも言われている作品でございます。ドイツで官吏の仕事をしている太田豊太郎はある日エリスという名の美少女と出会います。

エリスは踊り子をしていましたがその暮しは貧しく、父の葬儀の費用すらない、と泣いていたのを豊太郎に助けられたのです。

このことがきっかけで二人は交際をするようになりますが、そのことが同僚に知れて問題となり、豊太郎は免職となってしまいます。

その後新聞社の駐在員をしながらエリスとその母との三人で暮していた豊太郎でしたが、そんな豊太郎の元に復職の話が持ち上がるのです。

大臣の信頼を得た豊太郎は、大臣からともに帰国するようにと言われます。その場で約束をした豊太郎でしたが、実はその時、すでにエリスは妊娠しており・・・


うたかたの記」はドイツで美術を学ぶ学生巨瀬が友人に連れられて入った居酒屋で美しい少女と出会うことから始まります。

その頃巨瀬はかつて出会った菫売りの少女が忘れられず、その姿をローレライの絵に描いていたのでしたが、居酒屋で出会ったその少女こそ、巨瀬が忘れられずにいた少女、マリーなのでした。

マリーは巨瀬に自らの生い立ちを語ります。彼女の父がかつては有名な画家であったこと、彼女の母がかつて国王から懸想されていて、それを守るために父と母が死んでしまったこと。そしてマリーもまた父のような画家となるために美術学校でモデルをしながら独学で美術を学んでいること。

マリーは巨瀬を故郷の湖に誘います。そこで互いの思いを確かめ合った二人でしたが、ちょうどそこに国王が現れ、マリーの姿に彼女の母の幻影を見、追いかけてくるのです。

国王とのもみあいのためマリーは国王とともに湖に沈んでしまい・・・


文づかひ」は皇族が催す宴の席で身の上話をせよとせがまれた少年仕官、小林の物語。

彼がドイツに留学していた時、ドイツの軍との合同演習がありました。そこで彼はメエルハイムという軍人と出会いますが、あまりいい印象を感じませんでした。

演習の後、彼とメエルハイムはある伯爵の館へ招待されます。その伯爵の家には五人の姉妹がおり、とりわけ彼に印象的だったのはイ﹅ダという姫でございます。少し人と違った感性を持っているように思われるこのイ﹅ダ姫は親の言いつけにより、メエルハイムと婚約することになっていたのです。

小林がザックセンに住んでいることを話すと、ザックセンの伯爵の妻はイ﹅ダ姫の伯母だとのこと。そしてある日イ﹅ダは小林にどうか誰にも知られずに手紙を伯母に渡してほしい、と言うのです。

まだ出会ったばかりの日本人である彼にそんなことを頼むのは、それなりの理由があってのことだろうと小林はそれを承諾し、ザックセンに帰ったのち、伯爵の家に招かれた際に手紙を伯爵夫人に渡したのでした。

それからしばらくして、伯爵が催した社交会で小林はふと見覚えのある女性と出会います。その女性こそ、イ﹅ダ姫だったのです。今頃はメエルハイムとすでに結婚しているはずのイ﹅ダ姫がそこにいたその理由というのが・・・


というような物語なのですが、私は今回この三つの物語を「視点」という観点から考えてみたいのでございます。

まず「舞姫」。この物語は言うまでもなく、主人公豊太郎の独白、という形になっています。いわば日記のような感じですね。この物語で語られているのは、あくまでも豊太郎の「主観」なのです。

続いて「うたかたの記」。この物語は普通の小説によくあるような「客観的」な視点で語られています。例えるなら、昔話のようなものですね。「むかしむかし、おじいさんとおばあさんがおって・・・」という感じです。

そして「文づかひ」。この物語は一見「舞姫」と同じ独白の形態をしているのです。しかしこの物語が「舞姫」と違うのは、この物語は私小説ではない、ということ。

舞姫」を読んだ読者は、当時も今も、豊太郎というのは恐らく鴎外本人のことなのだろうと推測して読みますね。しかしこの「文づかひ」をそう読む人はいないでしょう。いわばこの物語は「他人の主観」という視点で描かれているのです。


で、なぜそのことが重要かというと、恐らく鴎外はこの三作を発表することによって逍遥が提唱した「写実主義」を批判しようとしたのだと思うからなのです。

逍遥の「写実主義」というのは、乱暴に言えば「客観的」に、「緻密」に対象を描くことで物語は「文学としての小説」になる、というものでした。

しかし鴎外からすると、それは「小説」という芸術のたった一面しか説明していないのです。なぜなら鴎外自身が「舞姫」で証明したように、「主観的」であっても文学たりうることができるのだから。

「この小説は私が観察して描いたものですから、この小説の登場人物が善であれ悪であれ、作家である私とは関係ありません」というのが逍遥の立場であり、彼の考える「客観性」なんですね。鴎外に言わせると。

しかし鴎外からすれば「俺には善い部分もあれば悪い部分もある。強い所もあれば弱い所もある。だから俺の書いた作品には善い部分もあれば悪い部分もあるし、強い所もあれば弱い所もある。それを引き受けたうえで世に問うのが芸術であり、芸術家なんだ」ということなのだと思うのです。


で、この三作の中で最も重要な作品は「文づかひ」だと僕は思うのです。

この作品は一見「主観的」な作品のように見えますね。でも、主人公の小林は作者ではない。しかもこの物語は最後、主人公の小林が聞いたイ﹅ダ姫の物語で終わります。

ということは、こういうことになるのです。作者は小林の主観について語っているが、語られている小林はイ﹅ダの主観について語っている、そういう構造です。じゃあ、作者は一体何について語っているんですか? と。

これは一体なんなんだ、主観なのか、客観なのか、という話になるわけです。逍遥の理論や芸術観ではこの作品について何も説明することができないのですね。


うたかたの記」において、マリーは言います。

「われを狂人と罵る美術家ら、おのれらが狂人ならぬを憂へこそすべきなれ。英雄豪傑、名匠大家となるには、多少の狂気なくてかなはぬことは、ゼネカが論をも、シエエクスピアが言をも待たず。見玉へ、我学問の博きを。狂人にして見まほしき人の、狂人ならぬを見る、その悲しさ。」

鴎外に言わせれば、客観的な芸術家なんて二流なのです。たとえ狂っていたとしても、周りをその狂気に巻き込める人、他人を自分の主観の巻き添えにできる人、こういう人が鴎外の言う一流の芸術家であり、そういう人の書いた作品が鴎外の言う一流の芸術作品なのですね。関わる人は大変ですが。


というわけで、逍遥と鴎外というのはまさに水と油なわけでございます。とりわけ鴎外が逍遥のことを許せないってので、よせばいいのに鴎外、わざわざ逍遥にケンカを売りに行ったんだよ、ほんと困った人だよね、という話を次回はしたいなあ、と思っているのでございます。


おなじみ森鴎外舞姫」「うたかたの記」「文づかひ」の素人講釈でございました。

 

舞姫・うたかたの記―他3篇 (岩波文庫 緑 6-0)

舞姫・うたかたの記―他3篇 (岩波文庫 緑 6-0)