文芸素人講釈

古今東西の文芸作品について、講釈垂れさせていただきます。

近代と中世のエッセンスを絶妙にブレンドしたデザイナーの話。

講釈垂れさせていただきます。

マッキントッシュ、と言えば、多くの人がまず思い浮かべるのは恐らくアップルのパソコンでございましょう。あるいは、ファッションに造詣の深い方なら英国の老舗ブランドのマッキントッシュを思い浮かべるかもしれません。

しかし、忘れてはいけないもう一人のマッキントッシュ、それこそがスコットランドを代表するデザイナー、チャールズ・レニー・マッキントッシュでございます。

と言っても、イームズウィリアム・モリスなんかと比較したら、デザインに興味のない方は聞いたことがないという方が多いかもしれません。

C.R.マッキントッシュの代表作と言えば、「Hill House」というデザインチェアーでしょうか。この異様に背もたれの部分が高い椅子、見たことがある人もおられるかもしれませんね。

建築のデザインとしてはまず第一に挙げなければならないのが、グラスゴー美術学校でございましょう。まあ日本でよく流れるスコットランドの映像と言ったら大抵グラスゴーの映像で(たとえばこの前の国民投票のときとか)、しかも大抵このグラスゴー美術学校の映像だったりするのですよね。

さてそれでは、そんなマッキントッシュはどんな人なのでございましょうか。

彼が生まれたのは1868年、日本では明治元年になります。十六歳の時に建築家を志した彼はグラスゴーの建築家ジョン・ハッチンソンの弟子になるかたわら、グラスゴー美術大学の夜間部に入学、日中は実務を学び、夜は芸術の基礎を学んだのでした。

大学卒業後はロンドンに移り住み、新進気鋭の建築家として活躍し始めます。初期はウィリアム・モリスらのアーツ・アンド・クラフツ運動やアール・ヌーヴォーから強い影響を受けていましたが、やがて仲間たちと〝ザ・フォー″というグループを結成、活動拠点を生地グラスゴーに移し、後にグラスゴー・スタイルと呼ばれる独創的なスタイルを生み出すのです。


さて、それでは、そんなマッキントッシュのスタイルの独自性とはどういうところにあったのでしょう。

彼のスタイルを決定づけたもの、それは彼の生れた町、グラスゴーにあったのでした。

例えばモリスらのアーツ・アンド・クラフツ運動は産業革命が生み出した大量生産の商品に対するアンチテーゼとして行われたものでした。そうして中世の手仕事に帰ることで生活と芸術が統一されるのだ、というのが彼らの理念であったわけです。

しかし彼の生れた町、グラスゴーというのはヴィクトリア朝時代、英国第二の都市と呼ばれた町でございます。そのこともあってマッキントッシュのデザインはモリスやアール・ヌーヴォーのデザインのような中世的な華麗な柔らかさを感じさせる一方で、鉄やガラスを多用するなど近代的でクールなものが絶妙なバランスで同居したものになっているのでございます。

また彼はこの時代の多くの芸術家たちと同じように、ジャポニスム、日本の美術の影響を強く受けていることでも有名です。

しかもそこにも彼がグラスゴー出身であることが深くかかわっていて、というのも明治新政府の使節団であったあの有名な岩倉使節団の一行が視察した町、というのがグラスゴーなのだそうでございます。ということは、恐らく当時の日本人たちにとってヨーロッパとはすなわちグラスゴーであったということもできましょう。


マッキントッシュのデザインの魅力は、例えば同時代のデザイナーでモリスの影響を受けた人として、アルフォンス・ミュシャほど女性的であるわけでもなく、ウィーン分離派のヨーゼフ・ホフマンほど近代的でもないところでしょうか。

直線を活かしたデザインは確かにモダンなのだけれど、自然と切り離されたデザインではない、近代と中世、モダニズムと懐古主義が絶妙なバランスで共存しているところ、と言えるのかもしれません。

 

うーん、しかし、やはり美術やデザインを言葉で説明するというのは難しいものですね…。

ということで、いささか不完全燃焼ではありますが、平凡社コロナブックス「マッキントッシュの世界」に関する素人講釈でございました。

 

 

話題に出たデザインチェアー「Hill House」

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薔薇モチーフのステンドグラスでも有名ですね。

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グラスゴー美術学校

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