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文芸素人講釈

古今東西の文芸作品について、講釈垂れさせていただきます。

浪漫主義と自然主義がデッドヒートを繰り広げる話。

 

 

毎度ばかばかしい話を一席、本日もお付き合いいただければと思います。

 

いやはや、すっかり忘れていたことを思い出しました。私、そう言えば日本文学を刊行年代順に読んでいこうと思っていたのでした。

 

というわけでそろそろ再開したい日本文芸素人講釈でございますが、第二部で取り上げたいのは尾崎紅葉をはじめとした硯友社の面々と幸田露伴なのでございます。

 

そこで今回は第二部の予告編として、「そもそも硯友社て、なんでんねん?」という話をしたいわけでございまして。

 


日本文学の暁の時代に活躍したのが坪内逍遥森鴎外でしたが、実はこの二人、デビュー作を上梓して以降、作家というよりもむしろ評論家、翻訳家としての活動に重きを置き始め、創作の面ではあまり活躍しないんですよね。それは二葉亭四迷もまたそうなのですが。

 

で、夏目漱石の登場をネクストステージだとすると、「小説神髄」から「吾輩は猫である」までおよそ20年の開きがあるのでございます。

 

じゃあこの間一体何があったのか。逍遥や鴎外が新作を発表しない間に作家として活動し、創作の面で日本文学界を支えたのは誰だったのでしょう。

 

その人たちこそ、尾崎紅葉をはじめとする硯友社の面々や幸田露伴であり、その向こうを張ったのが国木田独歩らを中心とした自然主義者たちだったのでした。

 


逍遥と鴎外を「写実主義派」と「浪漫主義派」で敢えて二項対立させてみたように、この間の作家たちも敢えて二項対立としてみると、硯友社の面々はどちらかというと鴎外派、自然主義者たちは逍遥派、と言えるかもしれません。

 


そもそも硯友社とは、「小説神髄」が世に出た1886年、まだ学生であった尾崎紅葉と山田美妙、石橋思案の三人が創刊した「我楽多文庫」に始まります。

 

この三人を中心に創刊された文芸雑誌「我楽多文庫」に川上眉山や巌谷漣(後の小波)、広津柳浪らが集まります。この雑誌は小説はもちろんのこと、和歌や狂歌から俳句、漢文、さらには絵画までもあるといったものでした。いわば文芸サークルの走りのような存在ですね、

 

彼らは戯作者として有名な曲亭馬琴に縁のある地に社を構え、二つのモットーを掲げたのでした。

 

まず一つ目は、芸術至上主義。

 

当時の時代背景を考えると、「小説」なんてものは語るに足らないものだ、という風潮なわけですね。で、そんな「小説」を語るに足るものにするためには、政治や思想について述べるべきだ、と考える人たちがいたわけです。

 

でもそうじゃない、というのが彼らの考えなのでした。その点では彼らの主張は「小説神髄」における坪内逍遥の考えと一致していますね。

 

ただ面白いのは、この「芸術至上主義」のために、彼らは逍遥とは全く正反対の立場を主張したのでございます。

 

それがいわゆる「擬古典主義」と呼ばれる考え方。

 

逍遥は小説を芸術にするために戯作を否定したのでした。しかし硯友社の面々は小説が芸術であるために、むしろ江戸時代の戯作者たちを規範としたのでございます。

 

ノンポリであること、そして戯作者気質。

 

まあ要するに、難しい話はよそうじゃないか、という態度ですよね。理屈で芸術を考えるんじゃなく、「面白ければそれでいいじゃん」という、良く言えば若々しい、悪く言えば「ん? もしかしてお前ら、ただノリがいいだけのバカなんじゃないの?」と疑われかねない金持ちのお坊ちゃんの集まりだったのでございます。

 

で、彼らはみな、今で言うイケメン揃いだったのでございました。いかにも男らしい、兄貴! といった風貌の尾崎紅葉、繊細でキザな芸術家肌の山田美妙のほか、本書の著者である内田魯庵は川上眉山が一番男前だったと言っています。私は巌谷漣が一番男前だと思いますがねえ。まあその辺は興味のある方は画像を検索してみてくださいませ。

 

とまあ、そんな彼らですから、女性ファンも多かったそうで。料亭を借り切って文士劇なんかもやったそうで、その会場には「紅葉さ~ん♡」「漣さ~ん♡」なんて黄色い声も飛びかっていたのだとか。

 

もう、今で言うリア充のパリピですねえ。多分この人たちが現代に生きていたら、決して文学なんぞやらずにダンスでもしてEXILEに入ったに違いありません。そりゃまあ、真面目に「文学とは!」とか「芸術とは!」と考えていた人たちからしたら、ちょっとイラッとするでしょうね。

 


で、この硯友社の活動が同世代の書生たちの間でどんどん話題になり、彼らは一躍文壇のスターとなってゆくわけです。だってこっちの方がモテそうなんですから、仕方がない。

 

とりわけ一番先にスターとなったのが山田美妙でしたが、山田美妙はもう、この真面目な人々の「イラッと(あるいはただのルサンチマン)」の集中砲火を浴びるわけでして、ほんとに、男の嫉妬は女の嫉妬よりもよっぽど怖ろしいのでございます。ま、その話はまた後日することにいたしましょう。

 

美妙が去って後の硯友社は紅葉のワンマン体制となってゆき、親分肌の彼の元にはたくさんの若い人たちが集まってくるようになります。

 

紅葉、美妙、思案を第一世代とするならば、眉山、漣、柳浪が第二世代、で、第三世代が泉鏡花徳田秋声小栗風葉、柳川春葉で、この四人は紅門四天王と呼ばれるのでございます。

 

しかし紅門四天王ってのは、音だけ聞くとなんか強烈に効き目のある痔の薬のようですね。

 

そんな肛門……おっと失礼、紅門四天王というのは、まあ、言うなれば三代目なんちゃらですねえ。ランニングマンを踊っていたかどうかは知りませんが。

 

で、彼らの時代になると、いわゆる浪漫派に転機が訪れるのです。

 


これは他の芸術活動でもそうなのですが、芸術至上主義的な活動というのは、世代を経るにしたがってどんどん過激な方向に進んでいくのですね。

 

例えばウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツなんかは健全な芸術至上主義でしたが、それがアール・ヌーボーになり、そしてオーストリアに伝わってクリムトらに影響を与えるころになると芸術至上主義というよりは耽美主義とも呼べるような、退廃的なものになってゆくでしょう。

 

同じように硯友社の文学というものもどんどんその芸術性が過激になり、泉鏡花は妖美な世界を、徳田秋声は残酷な物語を描くようになっていきます。

 

で、面白いのがこの徳田秋声が得意とした「残酷小説」というところで、本来真逆の立場であったはずの自然主義の立場と鏡花以外の硯友社の面々の立場が見事に結合してしまうのですねえ。

 

これに硯友社のドンであった尾崎紅葉の死もあって、浪漫派的な文学を代表していた硯友社は徐々に衰退し始めます。というか自然主義派に吸収されていく。

 

硯友社系の雑誌から登場した田山花袋自然主義的なものを書くようになりますし、詩人時代は浪漫派と呼ばれた島崎藤村も小説家としては自然主義的な私小説を描くなど、一世を風靡した硯友社の時代は終わりを告げ、今度は逍遥派の自然主義文学が盛り上がり始めるのです。

 


と、本書の話は大体ここまでなんですが、なんだか気分が乗って来たのでこのままさらに話を続けていくと、そんな時代に反自然主義者として夏目漱石が登場し、森鴎外が執筆を再開するわけです。

 

ただ面白いのは漱石や後期の鴎外は反自然主義ではあったものの、浪漫主義でもなかったという点です。漱石や鴎外からすれば、硯友社の面々も自然主義者もどっちも同じだというわけです。どっちもなんか深刻な話ばかりしてうざいよ、と。「お前ら必死すぎてめっちゃウケるんですけどw」という超上から目線の態度ですね。イヤですねえ。

 

そうなると、かわいそうなのは泉鏡花です。漱石や鴎外という強力な助っ人が現れたと思ったらそうじゃなかったんですから。まあでも逆に考えれば孤高の存在でいられるのは作家としてむしろおいしいポジションかもしれませんけれど。

 

で、そういう漱石や鴎外という余裕派と泉鏡花のような浪漫主義や耽美主義を上手に融合させるのが芥川龍之介であり、谷崎潤一郎なのです。さらに同時期に登場する白樺派も最初は人道主義という健全な浪漫主義の立場で登場します。「まあ、確かに自然主義とかなんか貧乏臭くてやーね」と。こうなってくると自然主義はもう虫の息でございます。

 

ところがところが。この新浪漫主義者とも呼べる芥川たちも実は硯友社と同じような運命をたどるのでございます。芥川は自殺してしまうし、白樺派は理想からだんだん現実に目を向けるようになって自然主義的な私小説を書くようになってゆく。で、気がつくと谷崎一人がかつての泉鏡花と同じように耽美主義者として孤立している。

 

そうするとまた自然主義的な文学が盛り返してくるわけですねえ。「ほら、この虫の死骸を見てごらん。つまらんだろう? でもこのつまらなさこそが、私たち人間の人生なんじゃないか?」なんてね。適当に言ってますが。

 

ところがどっこい、浪漫派がまたまた復活してきます。今度は芥川門下から堀辰雄が現れますし、川端康成横光利一と言った新感覚派も登場します。「いや、やっぱ虫の死骸を見ているより軽井沢でセレブが恋愛するとか、そっちの方がいいんですけど」という時代です。

 


……あんまり先走ってもなんですね。

 


そんなわけで次回から再開する日本文芸素人講釈第二部では、そんな浪漫派と日本文学が生んだ最初のスターである山田美妙の話をしようかなと思っているところでございます。

 

なんだか半分以上本書とは関係ない話になってしまいましたが、おなじみ内田魯庵著「硯友社の勃興と道程 ――尾崎紅葉――」に関する素人講釈でございました。