未来の答えは過去にある話。
えー、相も変わりません。本日もまた一席お付き合いいただきたいわけでございますが、本日ご紹介したいのは、吉田篤弘著「つむじ風食堂と僕」でございます。
本書はちくまプリマー新書の200冊目を記念して書かれたものですが、ちくまプリマー新書とは
「子どもたちに、ひとつだけ伝えるとしたら、あなたは何を伝えますか」
ということを原稿用紙百枚で表現する、というのが創刊からの基本姿勢なのだそうでございます。で、そんなちくまプリマー新書の創刊当初からずっと装幀のデザインを担当していたのがクラフト・エヴィング商會だったわけで、そんなこともあって吉田さんが本書を書くことになったわけですね。
さて、この物語は著者である吉田篤弘さんがこれまでに書いた架空の町月舟町を舞台にした三つの小説「つむじ風食堂の夜」、「それからはスープのことばかり考えて暮らした」「レインコートを着た犬」の「月舟三部作」のスピンオフ小説とも呼べるもので、「それからは……」の主人公サンドイッチ屋さんの息子リツ君が「つむじ風食堂の夜」の舞台となった食堂に訪れる、というもの。
リツ君の暮らす桜川と月舟町は路面電車で隣同士の場所にあります。で、リツ君は100円玉10枚をお父さんや店で働くオーリィさんや大矢のマダムさんにカンパしてもらって、週に一、二度食堂にご飯を食べに来るのでございます。
決して都会とは呼べない長閑な町ですから、小さな食堂に12歳の少年が一人で来ていると、大人たちが声をかけてくるわけです。「どこから来たの?」とか、「名前は?」とか。
いい町ですよね、そうやって大人がちゃんと子供のことを気遣う町というのは。でも、実際子どもの側からすると、そういうのって煩わしかったりするんですよねえ、これが。残念ながら。
で、そこでリツ君はいいことを思いつくのです。そうだ、だったらこっちから相手に何かを尋ねればいい、って。
いい子ですねえ、リツ君。そして賢い!
リツ君は町の大人たちから何かを聞かれる代わりに、彼らにこんなことを尋ねるのでした。
「あなたの仕事はなんですか?」
リツ君の問いかけに、町のさまざまな大人たちが答えてくれます。文房具屋、八百屋、魚屋、電気屋、花屋といった商店街の人たちから、新聞記者やイラストレーター、ダンサー、コンビニでバイトをしている青年、働いていない女の人まで。
将来どんな仕事をしたらいいんだろう、というリツ君の悩みに大人たちは答えます。
「それはね、好きな仕事をすればいいんだよ。それがいちばん大事なことだよ」
「でも、世の中そんなにうまくいかないからねえ。好きじゃない仕事をしてる人だっていっぱいいるしさ」
「やりたくない仕事をしてるうちにそれが好きな仕事だって気づくことだってあるからねえ」
「まあ、あんまり考えすぎないのがいいんじゃないの? まだ12歳なんだし」
なんて、そんな風にいろんな人の話を聞きながら、リツ君は仕事をすることや、あるいはこの世界というものがどうやって成り立っているのかについて考えるのです。
今はまだ働いていない子どもたちはこの物語を読んで、働くってどういうことなのか、一緒になって考えてみてもいいかもしれませんね。別に答えが書いてあるわけじゃないけれど、答えなんて一つじゃないんだって分かることの方がもっとずっと大事なことなんじゃないかと思いますから。
一方でもう既に何かの仕事をしている大人の人は、もしも自分が月舟町の住人で、この食堂でリツ君に出会ったらどんなことを言うだろうか、って想像しながら読むのも楽しいのではないでしょうか。
私ならきっと、「好きなことを仕事にしたらいいんだよ」って言っちゃうんだろうなあ。何が正しいかとか、何が得なのかということになると主観と一般論のせめぎ合いになっちゃうけれど、何が好きってことの答えは自分自身しか知らないし、自分自身にしか出すことができないのですから。だから何かを信じなきゃならないとしたら、自分の好きなことを信じればいいって。きっとそう言っちゃうな。
さて、本書のあとがきで著者は言います。
「子供に語りかけるということは、語りかける前に自分自身を見なおすことであり、子どもに語るべきことは大人もまた傾聴すべきことで、大事なのは、子供とか大人とかではなく、初心に戻ること、「最初の思い」に戻ることなのかもしれません。最初に何があったか? そこから自分は逸脱していないか――。」
子どもにとって、社会というのは学校ですよね。そして学校というのは閉じた世界であり、どうすれば評価されるかというのがとても明確に決まっている世界でもある。
で、学校の中でうまくやるというのは、たった一つの答えを上手に早く導き出すことだったりするわけです。でも、社会の中でうまくやるというのはそうじゃないんじゃないか、と私は思うのですね。というか、社会人としてはそういう「たった一つの答えが導き出せる人」って、本人が思っているほど役に立たないというか、まあ一言で言えば「使えないやつ」な気がします。
というか、社会というのは本来たった一つの答えに向かってみんなが進んで行く場所ではなく、みんながみんな好き勝手にバラバラな方向を向いていられる場所であるべきなんじゃないかと。そしてそういう場所をちゃんと確保することが社会人の役目だと私は思うのです。
そう考えると、職業の選択だってそういうものなのでしょう。
ベストな職業に就くことが幸せなことなのでしょうか。
それよりもむしろ、どんな職業だってそれなりにベターだと気づくことの方がもっと大切なことなのかもしれない。
なぜなら、何かの職業に就くということはそれ自体が一つの「答え」だからです。
でも、現実にはその「答え」の向こうにもまだ物語は続いていくわけです。学校のテストは答案が正解したらそれで終わりだけれど、現実の社会は正解の後にもまだ問題が続いていくのですから。
そんな未来という「答えの向こうの物語」の中で、私たちは大人として「答え」を探し続けなきゃいけない。
でも、一体どうやって?
もしかするとその「答え」は、もう既に通り過ぎた過去、子どもの頃の自分自身にあるのかもしれません。
吉田さんが子どもたちに伝えたいと思ったのは、そういうこと、大人になってからの答え、「答えの向こうにある答え」というのは、実は子どもの頃にあるんだよ、という、そういうことなんじゃないかな、なんてことを思うのでございます。
おなじみ吉田篤弘著「つむじ風食堂と僕」に関する素人講釈でございました。