文芸素人講釈

古今東西の文芸作品について、講釈垂れさせていただきます。

驚異の新人作家・幸田露伴の話

 

風流仏・一口剣 (岩波文庫)

風流仏・一口剣 (岩波文庫)

 

 内田魯庵が「都の花」を出版していた金光堂に遊びに行くと、そこに山田美妙がいたそうで、しかもその美妙が何ともテンションが高かったとのこと。魯庵が「何か嬉しいことがあったのですか?」と尋ねると、「いやね、すごい新人が出たんですよ」と美妙。その「すごい新人」こそ、幸田露伴なのでありました。

ちなみにそんな露伴、デビュー作を美妙の「胡蝶」の批評もしていた依田学海先生の元へ持っていき、是非帯文を書いてくださいと頼んだところ、「あなたの作品がそんなにいいものなら、私の帯文なんていらないでしょう」と意地悪を言われ、「だったら好きにせいっ」と怒ってその本を置いて帰ったのだそうですね。

で、この学海先生が露伴が帰った後に本を読んでみると、これがとんでもなく面白い。学海先生、露伴のところへ行って「この度は大変失礼いたしました」と詫びを入れたのだとか。すごいですね。

で、この露伴はどういう人だったかというと、学歴はあまりよくないのですね。というか親の経済事情で学校をやめなければならなくなって、16歳で北海道で働き始めます。

しかしそこで坪内逍遥の「当世書生気質を読んで一念発起、東京に帰ってきて作家になるための修業を始めるわけです。で、図書館に通い詰めて独学で勉強したのだとか。

それが後年になって「明治時代の作家で最も博識なのは幸田露伴」と言われるまでになるのですから、大したものですね。本当にすごい人というのは、こういう人のことを言うのでしょう。


というわけで、今日はそんな幸田露伴の作品をご紹介したいわけでありますが、本当はね、デビュー作の「露団々」が読みたいのだけれど、青空文庫にもないし、岩波文庫にもなぜか入っていないようなので(ここで読めるよ、と知ってる方がいらっしゃたらどうかご教示くださいませ)、同年に刊行された二作目となる本作を読みながらですね、新人作家としての幸田露伴について講釈垂れさせていただきたいわけでございます。


さて、それではまずこの「風流仏」がどんなお話なのか、あらすじをご紹介いたしましょう。

時は明治の初め、京都で仏師の修行をしていた珠運という男がおりました。この珠運、師匠から認められて晴れて独立することになったわけですが、その前に当時から仏像と言えば鎌倉と奈良がメッカでしたから、この二か所を修行がてら巡ってから京都に帰って身を建てよう、と、こう考えたのでございます。

で、珠運が鎌倉に行って次は奈良へ向かおうとする道すがら、信濃に立ち寄った時でございました。ここで彼は一人の美しい花漬け売りの女性と出会うのです。この女性は歳は二十歳前後ぐらい、当時からするともうそれほど若いとは言えないものの、可愛い顔立ちで、しかも性格もすこぶるよさそうだ、と。

珠運は宿に帰るとこの女性の話を宿の主人にするのですね。すると宿の主人は、「ああ、それはお辰のことですね」と言って、「あの娘は本当にちょっとそこらにはいないようないい娘なのですが、とにかく不憫な娘でねえ」と、彼女の生い立ちの話をするのです。

そのお辰の生い立ちというのが、こういうことなのです。彼女の母はもともと京都で芸者をしていたところ、一人の侍と恋仲になった。で、二人は契りを結んで京都に居を構え、赤子を身ごもることになったのです。

ところがそんな折、戊辰戦争が起こったのでした。官軍側であったこの侍は、生まれてくる我が子を見ることもなく出征します。

そうしてお辰の母は京の地でお辰を生み、そして夫の帰りを待ちながら細々と暮らしていましたが、戦争が終わっても夫からは何の連絡もありません。

恐らく戦死してしまったのだろう、とお辰の母は幼い娘を連れて生まれ故郷である信濃へと帰ってきたのです。そしてそこで三味線の師匠をやりながら母一人娘一人で何とか生活していました。

お辰の母はせめてお辰がお嫁に行くまでは、と思っていたのですが、日頃の苦労がたたって病に伏してしまいます。

さて、そんなお辰の母には一人の弟がおりまして、この弟というのがもう、酒は飲むわ博打はやるわのどうしようもない男だったのですが、まあそういう男によくある話で女を口説くのはめっぽううまかったりするのです。で、ある大商家の一人娘をまんまとたぶらかして旦那の地位に上手く滑り込んだのでした。

この弟は羽振りが良くなったのだから姉であるお辰の母を助けてやればいいのにも関わらず、そんなことはしようともしませんでした。ところがある日この弟が妻を連れて京都へ旅行に行こうとした時のことです。弟の妻というのは、まあこういう男にだまされるような純情な女の人でありましたから、夫に向かって言ったのですね。「そう言えばこの道すがらにあなたのお姉さんが住んでいると聞いたことがあります。結婚したのにこれまで一度も会ったことがないというのは、なんとも申し訳がないこと。是非連れて行ってくださいな」と。

で、夫の方は嫌々ながら姉のところへ女房を連れて行ったのです。そうして訪れて女房はびっくり仰天、どうしてこんなに貧しい暮らしをしているのか、と。で、お辰の母と話をするうちにこの女房は泣きながら「今まで知らなかったとはいえ、義理の姉にこんな暮らしをさせてしまって申し訳ありません。どうかこれからはうちの家が援助をしますから、ご安心ください。お辰ちゃんもちゃんと育ててあげましょう」と。

このことを聞いてお辰の母はすっかり安心し、そしてそれから少しして息を引き取ってしまいます。

そうしてお辰は叔父夫婦の元へと貰われることになりました。そこでお辰は裕福な商人の家のお嬢さんとして育てられることになったわけですが、ところが不運なことにこの叔母もまた少しして死んでしまったのです。

さあ、そうなると残ったのは意地の悪い叔父とお辰だけです。叔父の遊び癖は一向にやみませんでしたから家業はどんどん傾き続け、そうしてお辰はまた貧乏暮し、働きもせず遊んでばかりいる叔父のために花漬け売りの仕事をしなければならなくなったのです。

お辰にも色々と縁談の話がなかったわけでもないのです。何しろ器量も気立ても良い娘なのですから。ところがこの娘と結婚したら、もれなくあの叔父が付いてくる、というのでお辰は誰にも貰われることなく、たった一人で苦労を背負いこんでいるのでした。

さて、そんな話を宿の親父から聞いた珠運は憤慨します。そしてどうにか自分が彼女を助けてやれたらいいのに、と思います。

しかし今の自分はと言えば、いまだ修行中の仏師の身。多少の蓄えはあるものの、それとて京に帰って身を建てるための資金です。珠運はそんなしがない自分の身を呪いながら、信濃を発とうとしたのでした。

ところがそこで珠運はある光景を目にします。なんとそれは、お辰が家の外で柱に縛られているところだったのです。

これは大変だと紐を解こうとする珠運でしたが、お辰はそれに対して「どうかそんなことはやめてください。このままにしておいてください」と言います。

一体どうしてかとそのわけを聞くと、どうやら叔父は遂にお金に困り、お辰を女郎屋に売り払うことにしたようなのです。だったらなおさらこのままにはしておけない、と言う珠運でしたが、だからと言ってここで助けてもらってもどこへも行くあてはない、もしここであなたに助けてもらったなんてことが叔父に知れたら、どんな目に合うか分からない、とお辰は言います。

そこで珠運は自分のなけなしの貯金である百円をこの叔父に渡し、自分がお辰を買うことにしてやるのです。

さて、そうしてお辰を連れて宿に帰った珠運は再び京へと向かおうとします。そして珠運はお辰に向かって「あなたはもう自由の身なんだから、これからは好きなところに行って好きなように暮しなさい」と言うのでした。

そこへ宿の主人が珠運にこう言うのです。

「ちょっと待ちなさい、珠運さん。そういうことでしたら、いっそのことあなたがこのお辰を嫁にもらってやればいいじゃないですか。あなたも決してお辰のことが嫌いなわけではないんでしょう」

いや、別に自分はそういうつもりで彼女を助けたわけではない、と固く固辞して一度はその場を立ち去った珠運でしたが、しばらく歩いて離れれば離れるほど、頭に浮かぶのはお辰のことばかり。そうなのだ、自分はお辰に惚れてしまったのだ、と珠運は思い返してまた宿へと戻ります。

「ほら見なさい。まああとは私が祝言の準備も全部しますから」と宿の主は喜んで言い、そうして珠運とお辰は晴れて結ばれることになったのです。

ところが、祝言の前日になり、お辰が急に姿をくらましてしまいます。一体何があったのか、もしやあの意地悪な叔父にさらわれてしまったのか、と気を揉んでいるところに、一人の男が現れます。

この男は岩沼子爵という貴族の使いの男で、田原と言いました。そして彼は珠運に二百円のお金を渡し、どうか今回のことはなかったことにしていただきたい、と言うのです。

というのは、あの戊辰戦争で死んだと思われていたお辰の父は、実は生きていたのです。彼は戊辰戦争で殊勲を挙げ、新政府の使える男として一侍から子爵へと上り詰めていたのでした。この岩沼子爵が出世してから京都で生き別れた妻と娘を探しているうち、なんとか娘の方だけが信濃で暮していると分かった、と。で、娘を自分の元へ引取ろうとしたところ、どうやら仏師の元へ嫁ぐことになっているらしい。

そこで岩沼子爵からしたらですね、お辰が花漬け売りの娘であったならまだしも、彼女が自分の娘であると分かった以上、お辰はもはや子爵の令嬢である、と。その子爵の令嬢である娘と仏師とでは釣り合いが取れないだろう、と、こういうわけなのです。

しかし納得がいかないのは珠運です。そもそも二百円払うからなかったことにしてくれ、と言うのが気に食わない。自分はお辰を金で買ったつもりはないが、だからと言って二百円もらって引き下がったのでは、まるで自分が欲のために自分のお金を出したみたいでいやだ、と。

じゃあいったいどうすればいいんです、という田原に、珠運は言うのでした。お辰を返してほしい、岩沼子爵の娘のお辰ではなく、花漬け売りのお辰を返してくれ、自分は花漬け売りだったお辰に恋をしたのだから、と。

そんな無茶な、というわけで、結局珠運とお辰の結婚はなかったことになり、お辰は岩沼子爵の元へ引取られるわけですが、お辰のことが忘れられない珠運はかつてお辰たちが暮らしていた家を借り、そこに住みこんでしまいます。

宿の主もそもそもは自分のおせっかいが話がこじれる元の一つと言えば一つなので責任を感じてなんとか珠運を立ち直らせようとするのですが、一向にらちがあきません。

そのうち珠運は家の中で黙々と仏を彫り始めました。その姿を見て村の人々はやっと彼も仏師としての自分の仕事に精を出すようになった、と胸をなでおろしたのですが、そうして彼が彫り上げた仏の顔を見てみんなびっくり、その仏の顔は、お辰に瓜二つだったのでした。

そうして自分で彫ったお辰そっくりの仏を見つめながら暮らす珠運に、宿の主もとうとう堪忍袋の緒が切れて珠運に言います。

「珠運さん、あんたいい加減にしなさいよ。いつまでもそうやってもう帰ってこないお辰に恋い焦がれて、なんだと言うんです。あれぐらいの娘は、これから生きていたらいくらでも出会うことができますよ。あなたはお辰に恋をしてるんじゃない、お辰の影法師に恋をしているんだ。実際、この新聞をごらんなさい。お辰はもうすぐ今業平と呼ばれているイケメンの貴族と婚約したそうですよ。ね、お辰は所詮そんな女だったんですよ。眼を覚ましなさい」

しかし珠運は逆に宿の親父に向かって怒ります。親父さん、あんた前と言ってることが違うじゃないか、と。そうして宿の主の手から新聞紙を奪い取って家の中へ引きこもってしまいます。

そうして家の中でその新聞を読んでいると、確かに岩沼子爵の令嬢が貴族と婚約した、と書いてある。

珠運は悶々とします。一体どういうことだ、お辰は自分に気があるんじゃなかったのか。助けてやった時あんなにうれしそうに、自分のことを見つめていたではないか。櫛を彫ってプレゼントした時も頬を染めていたではないか。あれは全部嘘だったのか。俺はあの親父の言うとおり、お辰の影に恋していただけなのか。

くそう、こんな仏、こうして、こうして、こうしてやる! と言いながら珠運は仏の顔を刻んでいきます。そうすると仏は涙を流し、「ああ、そんなことはおやめください、どうしてそんなことをするのです」と言うのです。珠運はその言葉を聞きながら、自ら作った仏を切り刻んでゆくのでした。


と、こういうお話なわけで……すみません、最後まで書いてしまいました(汗)

で、このお話なのですが、古文調で書かれているため現代の私たちにはちょっと読みづらさもあり読み終えるのに時間がかかるのですが、分量としてはかなり少ないのですね。当時の時代の人であれば、恐らく2、3時間で読めたのではないかと。

そう考えるとですよ、そのたった2、3時間の分量の中にもうどれだけ「え? まさか!」の展開が盛り込まれているんだ、と。この物語の構成力たるや、すごいと思うわけです。二転三転どころじゃないですね。七転八倒とはこのことか(絶対違う)。そりゃあ美妙もうなるよね、と。

更に加えてですね、実はこの物語、最後の最後に強烈なオチが用意されているのです。

というわけで、もうここまで書いてしまったのですからこの最後のオチもここでご紹介してしまいましょう。

この作品の最後の章、タイトルは「団円 諸法実相」とあり、こんな風に始まるのです。

「 帰依仏の御利益眼前にあり

 恋に必ず、必ず、感応ありて、一念の誠御心に協い、珠運は自が帰依仏の来迎に辱けなくも拯いとられて、お辰と共に手を携え肩を駢べ優々と雲の上に行きし後には白薔薇香い薫じて吉兵衛を初め一村の老幼芽出度しとさゞめく声は天鼓を撃つ如く、七蔵がゆがみたる耳を貫けば是も我慢の角を落として黒山の鬼窟を出で、発心勇ましく田原と共に左右の御前立ちとなりぬ。」


全部引用するとあれなんで、まあ私が適当に現代語訳すると、だいたいこんな感じになります。

「恋というものは人と人との心の交わりであり、それは人と仏の交わりとも同じようなものです。お辰に強く恋した珠運の思いはそのまま珠運の仏に対する帰依ともつながり、珠運は自ら作った仏に導かれて花漬け売りのお辰と共に天へと昇って行ったのでありました。
 この様子を見て村人たちはみな驚き喜び、天へと昇っていく珠運とお辰という御仏の姿を見てこれを拝んだ者は農民は大収穫、商売人は大繁盛、北は北海道においては鰊が大量にあがり、佐渡でも漁師たちが大漁で大喜び。世間では威張り散らした貴族がその身を落として庶民が大喜びしたのだとか。あれもこれもみんな、この仏様の御利益でございます。
 この風流仏を篤く信仰する者は子孫繁栄家内安全間違いなし。一方でこのめでたき仏様をおざなりにし、イスラム教だのキリスト教だのといった邪教に近づく者には仏の懲罰がくだるであろう! おお、怖しや怖しや」

とまあ、この小説のラスト、こんな感じなんですよね。いや、本当ですよ。嘘じゃないです。

どうです、このオチ。すごくないですか? 

この作者、頭がおかしいんでしょうか?

いやあ、これ、今読んだらこれがあの幸田露伴の作品だから、というのでこの最後は「オチ」だと分かるんですけど、この作品が初めて世に出た時、まだ幸田露伴はデビューしたての新人ですよ。「幸田露伴? 誰やねん」の状態でこれを世に出したわけです。もし私がこの当時生きていてこの作品を読んだら、間違いなく「あ、こいつはヤバい奴だ」のレッテルを貼りますね。

でも今から考えると、実はこのオチこそが幸田露伴のすごさなんです。

というのは、この物語というのは基本的には珠運の視線で描かれてるわけです。主人公は珠運で、作者はこの珠運に寄り添っているのですね。

で、この作品の最後、珠運というのはもう、明らかに頭がおかしくなっているわけです。自分が彫った仏の声が聞こえるくらいに。どこで頭がおかしくなっているかと言えば、私はなんとなくお辰の家に住み始めたあたりから「もうこいつはヤバイ」と思いますが、そう考えるとですね、実はこの作品の最後の方の描写って実は珠運自身の妄想の可能性が高いと思うんですよね。

つまり実際お辰が珠運のことをどう思っていたのかとか、そういうことは本当は分からないわけです。ただ珠運は「お辰も本当は自分と結婚したがっていた」と思っていたし、「そうじゃなかったのか」という彼の独り言だけが書かれているけれど、本当かどうかはわかりません。

ここでですね、あまり上手でない作家だと、最後の最後で「このように珠運は狂ってしまったのである」みたいなことを書いてですね、「や、珠運は狂ってしまいましたが、作者である私は違いますよ。客観的にそれを観察してるんですよ」という態度を取るわけです。

しかし露伴はそうはしないんですね。作中の主人公の気が狂ってしまったのであれば、その視線に寄り添っている作者もまた、最後は狂って見せるべきだ、というのが、多分このかなりヤバいオチの意味だと思うのですよ。

もうね、ここですよ。この幸田露伴という人のすごさは。恐らく当時の読者はこの作品を読んで、この幸田露伴という作者は気が狂っているんだろうと思ったことでしょう。でも、それでいいんです。なぜなら作者というのはあくまでも作品の背後にいるべき存在なのだから。

そこまで作品に寄り添えるということ、この作品のために自分が世間からどう思われてもかまわない、と言えること、これって「作家としての器量」の問題だと思うのですね。その器量がこの幸田露伴という作家にはある。

この、なんですかね、小説というもの、作家である、ということにまさに人生をかけている感じは「舞姫」で己をさらけ出した森鴎外や後の私小説家たち、あるいは坂口安吾太宰治なんかとつながる感じがします。

そういう意味では、幸田露伴という人はある意味日本文学で最初に誕生した本物の作家、と言えるのではないかと私は思うのですね。明治二十年代の作品ってどうしたら戯作から小説になれるのか、ということで言文一致とか客観的視点とかいろんな方法をみんな試しているわけですけど、露伴はもう、戯作者でありながら完全に小説家なんですね。露伴からしたら言文一致も客観的視点もみんな小細工にすぎない。なんていうか、もう、レベルが違うんでしょうね。


と、、うーん、本当はもっと別の話がしたかったのですが、ここまでもう十分すぎるぐらい書いてしまったのでその話はまたいつか別の作品で。

おなじみ幸田露伴著「風流仏」に関する素人講釈でございました。

 

 

風流仏・一口剣 (岩波文庫)

風流仏・一口剣 (岩波文庫)