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文芸素人講釈

古今東西の文芸作品について、講釈垂れさせていただきます。

新しいものはいつだって、すべてファンタジィから生まれてくる。

 

無限の書 (創元海外SF叢書)

無限の書 (創元海外SF叢書)

 

 

*本書は書評投稿サイト「本が好き!」様からの献本で頂きました。ありがとうございます!

 

舞台は中東のとある専制国家<シティ>。この町で青年アリフはハッカーとして暮らしていました。

 

金持ちの王族と、そして政治に食い込んだイスラム教の宗派によって支配されたこの国で、電脳空間は多くの不満分子たちの拠り所だったのです。ところがシティでは少し前からサイバースペースにおける検閲が強化されていました。「ハンド」と呼ばれた何か、個人なのか、集団なのか、あるいはただのプログラムなのか――によって、この町で最初のブロガーであったニュークォーター01はネットの世界から姿を消し、そして多くのブロガーたちがテロリストの汚名を着せられて逮捕されるようになります。アリフの仕事は、そんなネットの世界で蠢いているクライアントたちを「ハンド」の手から守ること。

 

アリフにはインティサルという恋人がいて、彼女は庶民である彼とは本来釣り合わない貴族の娘でした。ネット上のフォーラムで出会った二人。しかしある日インティサルがアリフに対して別れを切り出したことから物語が始まります。結婚の話が持ち上がり、インティサルにはそれを止めることができなかったのです。

 

 

別れの最後に、彼女はアリフに言いました。

 

「アリフ、もう帰って」ふるえながらヴェールをつけなおし、「あなたの名前が二度とわたしの目に触れないようにしてちょうだい。お願いよ。ほんとうに――とても耐えられないわ」

 

アリフは彼女の言葉に従い、彼女のアカウントがどんなことがあってもネット上で彼と接触することができないよう、プログラムを組み立てます。ところがそのプログラムは、彼にも理解できない働きをし始めます。そのプログラムは、たった一行の文章から、その文章を書いたのがインティサルだと判別するようになったのです。

 

丁度その頃、二つの事件が起こります。一つ目は、アリフの元にインティサルからある本が届けられたということ。その本の名前は「千一日物語」。かなり古そうに見えるこの本が一体どうして自分に渡されたのか、アリフには分かりません。

 

そしてもう一つはアリフが作ったプログラムが原因で、彼のサーバーが「ハンド」にハッキングされてしまったことです。このことにより彼の身元は国家保安局に知られることになり、彼は追われる存在となるのです。

 

アリフは幼馴染のダイナと共に逃げ出し、ある男の元へ向かいます。その男の名は吸血鬼ヴァイラム。彼の本性は、幽精(ジン)でした。アラジンの魔法のランプなんかに出てくる、あれです。

 

アリフはヴァイラムに連れられて幽精の世界へ行くことになるのですが……おっと、この話はもうここまでにしましょう。

 


さてこのように、本書はインターネットとサイバースペースをモチーフとしたサイバーパンク小説でありながら、同時に「千一夜物語」のような魔法物語でもあります。

 

サイバーパンクと魔法物語、そう言うとまるでミスマッチのように思えるかもしれません。しかし本書を読めば、実はそうではないことに気付くでしょう。

 

現実世界は、常に魔法物語のようなファンタジーの世界とともにある、そんなことに気付くことでしょう。

 


人類の歴史を遡ってみると、人間はつねに現実世界とは別の幻想的な異世界というものを描いてきたことが分かります。

 

現代の私たちが古代と呼ぶ時代、この時代はいわゆる「神話の時代」でした。その頃は現代に生きる私たちよりもずっと人間と神は近い関係にあり、そして自然の現象一つ一つもまた精という別の存在としてあったのです。

 

その時代から少し経つと、「宗教の時代」が始まります。そこでは戒律が生まれ、そして信仰が生まれました。

 

宗教の力が弱まった時、新たに誕生したファンタジーの舞台が「異国」です。西洋におけるオリエンタリズムや、あるいは日本の場合は逆に西洋が「リアルな異世界」であったことでしょう。

 

様々な情報が行き渡り、異国ですらもはや「想像できない世界」ではなくなった時、人間が発見した異世界が「宇宙」です。

 

さて、そして現代。現代の私たちにとって最も「リアルな異世界」と呼べるものはなんでしょう。それは「サイバースペース」です。このサイバースペースは、確かにリアルではありません。でも、私が今このサイバースペースに書き込んでいる文章を、今、これまで出会ったことのないあなたが読んでいるわけです。サイバースペースは異世界でありながら、同時に現実でもある。

 

何でこんな話をしているかというと、この物語のテーマこそがそういった「現実の重層性」だからだと思うのです。

 

現実はあくまでも現実です。例えばいくら私が電脳空間が現実にリンクしていると言ったところで、あなたが現実の私に与えることができる影響はとても少ないものでしょう。

 

また、私がここでどれだけの主張をしたところで、それが一体何になるでしょう。

 

所詮は非リアルな世界。頭でっかちの現実を知らない自称軍師様が、素人のくせに評論家ぶって大きな顔でのさばっている世界。

 

そう、それも事実。それもサイバースペースの「現実」。

 


ちょっと「サイバースペース」という言葉について調べてみましょうか。

 

wikipediaでこの言葉を調べてみると、こんな風に出てきます。

 

サイバースペース (英:Cyber-space) は、コンピュータやネットワークの中に広がるデータ領域を、多数の利用者が自由に情報を流したり情報を得たりすることが出来る仮想的な空間のことを指す。
1980年代に、SF作家のウィリアム・ギブスンが自著『ニューロマンサー』や『クローム襲撃』の中で使用したサイバネティックス (cybernetics) と空間 (space) のかばん語で、黒丸尚により電脳空間と訳されている。
仮想空間や仮想環境もこれに近い意味をもつ。サイバー犯罪(Cybercrime)といった言葉もある。」

 

そう、確かにその通りなのでしょう。でも、そのように「サイバースペース」という言葉を厳密に定義した瞬間、サイバースペースという言葉が持つ魔法は失われてしまう。

 

私は思うのです。サイバースペースはある意味では中つ国であり、アリスが落ちるラビットホールでもあるのではないかと。そして今私が向かっているこのパソコンは、言うなれば私にとってのRX-78であり、キングズ・クロス駅の9と4分の3番線だったりするはずだ、と。

 

だからこそ現代に生きる私たちにとって、インターネットやサイバースペースは可能性でありうる。

 

もちろん、私は分かっています。そんな比喩は「正確」だとは言えない。

 

でも、はっきり言いましょう。論理的な人や現実的な人は、テストでは100点を取れるかもしれないけれど、決して何かを生み出すことはできないし、何かを変えることもできない。

 

それが、「論理」とか「現実」と呼ばれるものの罠。

 

なぜならそれは、この世界をたった一つのことに限定してしまうことだから。重層的なはずのこの世界を、0か1かのデジタルなものの見方の中に閉じ込めるということだから。

 

長老は一瞬考えた。
「殿下のおっしゃる通りかもしれませんね。新しいもののはじまりは、すべてファンタジィだったともいえます。その昔、イスラム法を学ぶ学生は想像力を自由にはばたかせるよう奨励されました。たとえば中世において、聖都巡礼の旅のあいだ礼拝に必要な洗浄をいつおこなうべきか、激しい議論が戦わされました。徒歩で旅する場合は? 船旅の場合は? ラクダを使う場合は? 地上の可能性をすべて語りつくしたとき、ひとりの学生が新たな問題を提起しました。空を飛んでいく場合はどうなるのか。そのケースにおける法の適用について、真剣な議論がおこなわれました。その結果わたしたちは、ジェット旅客機が発明される五百年も前に、空路による聖都巡礼に関する規則をつくりあげていたのです」

 

実用的知識を重んじ、自分が合理的だと思っている人は言います。フィクションなんて何の役にも立たない、と。

 

でも実際にはこの世界はフィクションと共に歩んできたし、これからも歩んでいくのです。

 

現実の力の方がいつも少しだけ強くて、だからあらゆるフィクションの世界はいつだって時間の経過とともにその力を弱めていってしまうけれど、でも、私たち人間はそのたびに新しいフィクションの異世界を作り上げてきたのです。

 


アリフが組み立てたプログラム、たった一行の文章だけでその文章を書いたのがインティサルだと特定できてしまう謎のプログラム「ティンサル」。それは、デジタルな思考の中に比喩を理解するという思考を組み込むことで生まれます。

 

つまり、私がさっき喩えたみたいに、「サイバースペース」は単なる電脳空間であるだけではなく、それはナルニア国であったり、リリパットだったり、あるいはメイちゃんが転がり落ちたトトロの穴だったりするという、そのことを理解できるプログラム。

 

そう、そんなプログラムは存在しません。現実的に。論理的に。

 

でもそんなプログラムを想像したこと、実はそれこそが本書における一番のファンタジィであり、一番の嘘だと思うのです。

 

幽精や魔法の世界なんかよりも、もっとずっと。

 


本書はサイバーパンクでありながらアラビアンナイト的な魔法物語である、このミスマッチが魅力だ、と多くの人は思うかもしれません。

 

でも本当はそうではないのかもしれない。

 

なぜなら、もしかしたら本当は、全てのサイバーパンクは最初から、魔法物語だったのかもしれないから。

 

うん、もちろん、それは決して「正確」な表現ではなく、ただの「比喩」でしかないのだけれど。

 

 

無限の書 (創元海外SF叢書)

無限の書 (創元海外SF叢書)