文芸素人講釈

古今東西の文芸作品について、講釈垂れさせていただきます。

正しい理屈どうしでぶつかり合うのが世間な話。

 

五重塔 (岩波文庫)

五重塔 (岩波文庫)

 

 えー、相も変わりません。本日も一席バカバカしい話にお付き合いいただきたく。本日ご紹介する作品は、幸田露伴著「五重塔」でございます。

 

文豪幸田露伴の代表作にして、日本文学史上屈指の名作の一つとも言えるこの作品、まずはあらすじをご紹介しましょう。

 

時は江戸時代、谷中にある感応寺というお寺で五重塔建立の話が持ち上がりました。そうなると当然界隈で話題に持ち上がるのは、一体どの大工がそれを請け負うのかということ。

 

当時谷中で最も評判が高かった大工が川越の源太で、彼は感応寺改築の際にも仕事を請け負ったいきさつもあり、おそらく今回の五重塔も彼に言いつけられるだろうと誰もが思っていたのです。

 

ところがそこに「是非自分にやらせてほしい」と直接寺の上人様に願い出た者が現れました。その男の名は十兵衛、流れの大工であった彼は一昨年に源太に拾われた男。腕は立つものの小才が利かず、人付き合いも上手にできないため周囲からは「のっそり」と呼ばれて軽んじられていた男です。

 

十兵衛は上人様に訴えます。自分は大工の腕には自信があるが、人付き合いが上手にできないゆえうだつが上がらずにいる。それゆえ五重塔のような後世に残る仕事も、自分には回ってくることはないだろう。ただ自分の技術の証として、自分の作った模型を見てくれないか、と。

 

そうして十兵衛がこしらえた五重塔の模型を見て、上人様は驚き感嘆するのです。これほどの腕を持ちながら、ただ人と上手くやっていけないという理由でこの男が世に出ることもなく消えてしまうというのは、あまりに残念だと。

 

しかし一方で源太への義理もあります。また源太の方も、決して腕の劣った大工というわけではない。そして大工仕事にとってとても大切な人望もある。

 

困った上人様は十兵衛と源太の二人を呼びつけ、よくよく話し合って解決するようにと言い渡すのでした。

 


さて、ここからですね、十兵衛の無愛想、ぶっきらぼうぶりが炸裂するわけです。そりゃこいつはダメだわと。読んでいる人はもう、みんな十兵衛にいらいらすることでしょう。

 

まず、寺から帰った日に源太は家で十兵衛が来るのをずっと待つのですね。上人様はよくよく話し合えと言ったのだから、話し合うのならまあ十兵衛は自分のところに来るだろう、と。一応上司的な立場なわけですから。

 

ところがいつまで経っても十兵衛は来ない。仕方ないので源太はわざわざ十兵衛のところまで自らで向いていくのです。もうこの時点で源太は内心「キーッ」なわけですね。

 

そして源太は十兵衛のこともよく慮った上で、こう提案するのです。そういうことなら、二人で今回の仕事を分けようではないか、と。これも、彼的にはずいぶん譲歩した意見だったのですが、しかし十兵衛は言うのでした。

 

「十兵衛、それは嫌でございます」

 

これを聞いた源太はもう、また「キーッ」となるのです。十兵衛の妻も、必死に説得するのです。今までお前はどれだけ源太親方の世話になってきたと思っているんだ、どうか引き受けてくれないか、と。しかし十兵衛は聞きません。

 

そこで源太は「そうか、よし分かった」と。そこまで言うなら俺もさらに譲歩しよう、お前が親方になって俺がお前に従うならいいだろう、と。源太はそこまで言うのですが、しかしやはり十兵衛は嫌だの一点張りなのでした。

 

で、まあ多くの人はね、十兵衛はほんとに自己中の困ったやつだと、そう思うかもしれません。

 

しかし本当にそうなのか。

 

ここで十兵衛にとっての理屈を考えてみた場合、彼が最も重視しているのは何よりも「職人としての道理」なのですね。で、その道理に立って考えてみた場合、一つの仕事を二人で分け合うというのは、絶対に「なし」なのです。だから彼は源太の意見を受け入れないわけですが、果たしてそれは本当に自己中だと言えるのか。

 

私はね、もしかしたら、ある意味源太の方が自己中なのかもしれないと思うのですよ。「世間の理屈」というものを前に出すことで「職人の理屈」を押し曲げようとしている、と。で、源太自身そのことを分かっているから、やっぱり最終的には十兵衛に譲らざるを得ないのですね。

 

なんかそういうところがですね、この話の面白いところなのですねえ。世の中には色んな道理があって、それぞれがそれぞれにそれぞれの立場では正しいのです。にも関わらず、その正しい理屈がぶつかり合うのがこの世間だと。

 

で、十兵衛にしても源太にしても、どこかそこを分かっているのがこの二人の魅力的なところだと私は思うのですよ。これがね、よくいるじゃないですか、本当は自分のことしか考えてないくせにいかにももっともな理屈を並べ立てる人って。で、周りはなんとなくそのことに気付いているから正直心の奥では辟易してるんですけど、当のご本人だけなぜかそのことに対してだけは鈍感で「自分は賢い」と思って悦に入ってるっていう。ま、誰とは言いませんけど。いやですねえ、そういう人。

 

でもね、人間は結局そういった「自分の道理」というものから逸脱することはできないんですよね。職人は「職人の理屈」から抜け出せないし、誰かの奥さんは「妻としての理屈」から抜け出すことはできない。それが人間の悲しさであると同時に、面白さでもあるのでしょう。

 

そういった世間の不条理というもの、そういうものを否定するのではなくしっかりと受け止めて、それでも耐え抜くこと、そんな人間の姿に、露伴は「理想の人間像」を見たのだと思うのですね。

 

そしてそれこそが「五重塔」である、と。

 


ところで、本書は古文体で書かれていることに加え、その内容の深さ濃さから言っても、大人であっても読むのに苦労する作品だと思います。しかし私は今年甥っ子たちの読書感想文の課題図書として本書を推薦したのでした。

 

そして彼らは見事読みきって読書感想文も完成させた!! 中学生で幸田露伴なんて、たいしたものだとオジバカの私は一人喜んでおります。

 

甥っ子たちよ、おじさんは君たちを誇りに思うぞ!

 


おなじみ幸田露伴著「五重塔」に関する素人講釈とおじさんののろけでございました。

 

 

五重塔 (岩波文庫)

五重塔 (岩波文庫)