文芸素人講釈

古今東西の文芸作品について、講釈垂れさせていただきます。

キラキラした言葉でキラキラネームを語る話。~まずはちゃんと取材しろ。話はそれからだ編

 

キラキラネームの大研究 (新潮新書)

キラキラネームの大研究 (新潮新書)

 

 

えー、相も変わりません。本日ご紹介したい本は、伊藤ひとみ著「キラキラネームの大研究」でございます。


まあ、本書は一言で言うならば、「キラキラネームとは何か」について著者が語った本です。うん。別にそれ以上のことを知る必要はありません。

 

ほんとにひどい本だと思います。悪書とはこういう本のことを言うのですね。ネットに悪口書き込むとか褒められたことではないと思いますが、もしかしたら私と同じよう嫌な思いをしてる人も多いかもしれませんので残しておきます。

 

ということで、さっそく私の「キラキラネームの大研究の“大研究”」を述べていきましょう。

 

第一に、本書の批判されるべき点は、本書があまりにも「キラキラ」した言葉を用いすぎているという点です。「キラキラネーム」というものが、他人には意味は伝わらないが、その名前をつけた親だけが「世界に一つだけの花」だと勘違いしているイタイ名前であるとするのなら、この本にはそれと同じく、当のご本人はご満悦で使っているのか知らないが、読者には絶対伝わってねえぞという「キラキラした言葉」が頻繁に使われているのです。

 

一例を挙げましょう。本書の冒頭でこのようなタイトルの章があります。

 

「「光宙」くんとの“出合い”」

 

さて、これだけ読むと、皆さんは普通、こう思われるのではないでしょうか。「ああ、この著者は光宙と書いて「ぴかちゅう」と読む可愛そうなキラキラネームをつけられた人と、実際に出会ったのだな」と。

 

しかし本書を読むとそうではありません。実際に本書を読むとこの著者はネットをしていて2ちゃんねるか何かで「光宙」というDQNネームを付けられた子がいるらしいという話を見た。で、それについてネットで色々調べると、どうやら都市伝説らしいと分かった。なぜならそういうことを調べたサイトがあったから。以上。

 

……いやいや、これのどこが「出合い」なんだよ? そもそもこの著者は光宙くんと「出合って」なんていません。ただそういう子がいるかもしれないとネットで知っただけです。それを「出合い」と言うのなら、私なんか毎朝8時に有村架純と「出合って」るんだからな! こっちの方がもっとリアルな「出合い」なんだからな!(自分で言ってて空しいわ)

 

しかし私が気になるのは、そういうことではありません。ただ面白すぎるのでネタにしただけです。私が気になるのは、むしろ著者が知ってか知らずかわざと「キラキラネーム問題」を複雑にしようとしていることです。

 

著者は本書の序章でこう言っています。

 

「そして浮かび上がってきたのは、ネット住民から虐待との烙印を押されても仕方のないような奇矯な例は突出したケースだということだった。実態としては、珍しい漢字の読み方をしたり、これまでの日本語の名前にはなかったような音の響きをもっていたりする「読めない名前」がキラキラネームの多数派であることが知れた」

 

そしてさらに、著者はこう言います。

 

「こんなふうにイメージだけで「キラキラネーム=非常識な親がつける名前」と決めつけて、頭ごなしに非難したりする風潮が、ちょっと危うい気がするのだ」

 

そう、本書において著者は「キラキラネーム」には2種類あるとしています。仰るとおりだと思います。「光宙」のような、いわゆるDQNネームと、「普通はそう読まない名前」、本書にも例示されている、芦田愛菜などは決定的に異なりますし、「光宙」なんて子が仮に実在するとしても、それは「現代でも」(ここ重要!)少数派です。

 

しかしこの序章の最後に著者はこう言うのでした。

 

「なお、以下本書ではDQNネームではなく基本的に「キラキラネーム」という呼称で統一することとする」

 

……こらこら、なんでやねん。DQNネーム=キラキラネームにするのは危ういんちゃうんか! 統一したらあかんやろ!

 

まあ、本書はもう、こういうのばっかりなんですよね。言ってることがばらばらでまったく一貫性がない。

 

そういうわけで、せっかく著者自身が最初に序章で「すべてのキラキラネームをDQNネームだと思うのは良くない」と言っているにもかかわらず、本論ではただDQNネームについて語ることによってすべてのキラキラネームの謎を解明しようとする「旅」に出られることになります。なんじゃそら。なんのための序章だったんだ?

 


さて、本書ではこの後、ひたすら「現代の」キラキラネーム(と言いながら実際にはDQNネーム)の紹介が続きます。ずいぶんネットで探されたんですね。ご苦労様です。あと「たまひよ」とかから探してきたんですね。

 

……えーっと、実は「出合い」の時にも思ったんですけど、そもそもテーマが現代の事象なのだから、本やネットではなく実際に当事者に会うのが当たり前じゃないんですかね。「キラキラネームの大研究」なんてタイトルなのに、一度もキラキラネームをつけられた子どもやつけた親に会っていないのはなぜ? しかもこの著者って奈良新聞社の元記者なんですよね。奈良新聞の記事って、事件をネットで探して書いてんの? もしかして奈良新聞ってヤフーニュースのことですか?

 

ちなみにこうやってネットサーフィンしたり関連書を読むことを著者はこう表現しています。

 

「現象の向こうを見る“旅”」

 

また出ました! あのね、そんなものが「旅」と呼べるなら、私なんて毎日……(以下省略)

 

もうとにかくそんなキラキラした旅に出る前にまずはちゃんと取材しろよという話です。取材もせずに何が「大研究」だよ。笑わせんな。

 


さてさて、そして本書の内容は言葉の持つ「言霊」に至ります。著者によると日本語には「言霊」があるそうです。そして著者は言います。

 

「言葉には、悠遠な記憶が凝縮されている。古来受け継がれてきたそうした言葉の力を侮ることなく、名前そして言葉そのものに向き合わなければならないと切に思う」

 

お・ま・え・が・い・う・な!

 

さらに著者は言います。明治期にも珍名はたくさんあったと。例えば森鴎外が息子につけた「於菟」が良い例だと。しかしこの鴎外がつけた名前は、ただ単に巷間言われているような「オットー」だけではない。当時の知識人なら当然知っていた漢籍における「虎に育てられた男」に由来するのだ。現代の「心愛」なんかと一緒にするな! この教養の質量の違いを見よ! と。

 

よーし、みんなー、頑張って子どもに好きな名前つけるために森鴎外クラスの教養人になろうぜー! って、なれるかー!!

 

そして著者の「旅」はさらに続きます。どうやら現代にキラキラネームが氾濫している元凶は、国語改革にあるのだと。

 

この「国語改革」はまあ、一言でいうなれば「政府が言葉に首を突っ込んだ」ということです。そうですよね。ここも仰るとおりだと思います。政府が「あの漢字は使うな」だとか「あの漢字は省略しろ」などと首を突っ込んだせいで、「本来の」意味を失った漢字も多くあるのでしょう。まったくけしからん話です。

 

しかし著者は言うのでした。

 

「こうして国語改革が進められ、漢字は特権階級御用達の、裃をつけたような「ハイブロウな文字」から、国民の誰もが平易に使うことのできる「カジュアルな文字」へと改造されることになった」

 

つまり、昔は教養ある人しか漢字を使わなかったのに、政府が首を突っ込んで引っ掻き回したおかげで今はバカが漢字を使っている。そういうことですよね。いや、正確に言うとバカな政治家が首突っ込んでバカな漢字をバカに教え込んだからバカがバカな漢字を使ってる、そういうことですよね。

 

てことは、やっぱりこの著者は「バカが漢字を使うからキラキラネームが生まれる」って言いたいってことになるでしょう。そりゃそうなるよね。だって著者の頭の中では「キラキラネーム=DQNネーム」なんだもの。

 

「こんなふうにイメージだけで「キラキラネーム=非常識な親がつける名前」と決めつけて、頭ごなしに非難したりする風潮が、ちょっと危うい気がするのだ」

 

じゃなかったの? あ、「非常識」と「平易」と「バカ」は意味が違うって? そうだよねー。違うよねー。言葉ってほんと便利だよねーw あ、それとも「バカな人がバカなのはバカな人のせいじゃなくて政府のせいなんです」って仰ってるんでしょうか。あの、それ全然フォローになってないんですけどw

 

そして著者は言うのです。そうして漢字の教養のないバカで非常識な一般人は、例えば「人に愛される人になってほしい」という意味で「僾」を使いたがったり、「月と星できれいだから」と「腥」を使いたがると。ほらほら、岩波新書の「日本の漢字(笹原宏之著)」にも書いてあるよ! と。(ちなみに、その本読んだことないから実際はどうか知らないけど、多分アンケートそのものが恣意的だったと思います。ちゃんと「僾」や「腥」の意味を説明した上でその言葉を名前に使いたいかどうかは聞いてないよ)

 

でも、これはあくまでも「なにか名前に使用できるようにしてほしい漢字はありますか?」と聞かれて、そう答えた人が多いというだけのことです。実際にその漢字が多く名前として使用されたわけではありません。

 

そして実際、この著者が明治安田生命のホームページか何かからコピペした(おい、またネットかよ)「子どもの名前表記ランキング2012」の中にその漢字は含まれていません。当たり前でしょう、ただ聞かれただけの場合と実際につける場合では真剣さが違いますもの。

 

つまり仮に「僾」や「腥」を名前に使う親がいたとしても、そんな親はDQNネームと同じくらいレアなケースだということです。決して多数派ではありません。

 

にも関わらず著者はこのような事例から、こう結論づけるのです。

 

「漢字本来の規範と伝統とのつながりから隔絶した世代には、「漢字」はもはや、イメージやフィーリングで捉える「感字」になっているのかもしれない」 

 

はーい、両親にイメージやフィーリングで実名に「僾」や「腥」なんて漢字をつけられたって人、いらっしゃいますかー? もしいたら出てこいや!

 

ていうか、またまた登場、「感字」ですってw 一体そこにはどんな漢籍の教養があるのでしょう? 一般人にはもはや理解不能なんですがw まさかイメージやフィーリングで仰ってるわけじゃないですよね?

 


ということで、要するに本書は最後まで読むと、「まったく最近の世の中はバカが増えて困る」という本です。一所懸命どころかありとあらゆるところで「私はそんなことは言っていないです。ちゃんとフォローしてます。バカな人たちを」という防御線を張っておられますが、むしろそのために理屈がめちゃくちゃになっている一冊です。最初と最後で言っていることが全然違う。

 

少なくとも本書には「バカが増える」以外にキラキラネームの横行が「“言語の森”の枯渇」につながる理由はどこにも書いてありません。ただ本書を読んで分かるのは、DQNなレアケースがネット全盛のこの時代には手軽に手に入るよね、というその事実だけです。知ってるわ、そんなこと。あんたに教えてもらわなくてもな! そこまでバカじゃないんで!

 

そしてDQNなレアケースはいつの時代もあったのであって今だけではありません。昔の人が今より賢かったわけでも今より言葉に対して真摯だったわけでもありません。国語改革が行われようと行われまいと、DQNネームはなくなりません。バカな人はバカだし、変な人は変な人です。教養あふれるバカや教養あふれる変人は掃いて捨てるほどいます。森鴎外が良い例です。何の因果関係もありません。

 

はっきり言ってしまえば現代の名前に「読むのが難しい名前」が増えているのは、ただ単に今の若い人たちが名前に使える漢字の豊富さや読み方のバリエーションが豊富だということを「知っている」というだけでしょう。でも昔の人は「知らなかった」。それだけでしょう。

 

本書において著者は得意げに「キラキラネームの10の方程式」を披露しておられますが、そんなこと今の若者はみんな知っています。知らなかったのはキラキラネームに眉をひそめる大人だけ。だって大人の方々よりもgoogle先生の方がずっと賢いんだもの。そんなことネット大好きな本書の著者が一番ご存知でしょう。もう、本書を読みながら「こいつ、どんだけネットしてんだよ」と何度思ったことか。

 

そう考えたら、現代の若者は漢籍の教養はないかもしれませんが、昔の人よりも知識は豊富だと言えるでしょう。google先生がついてるからね。それとも、昔の人もそんなことは当然知っていたが、あえて「“言語の森”を枯渇」させないためにスタンダードな名前を選んでいたとでも? そんなはずないでしょう。昔の人どんだけすごいんだよ。ていうか、「“言語の森”を枯渇」ってなんだよ? イメージやフィーリングでなく具体的に説明してくれよ。

 

DQNネーム」と「読むのが難しい名前」は本質的に異なるものです。一緒にしてはいけません。本書にも書いてあるとおりです。だから本当にやめてあげてください。今の子育て世代がかわいそうなんで。

 

だけどキラキラネームの本当の悲劇は、そこをみんな一緒にしてしまうことにあるのではないでしょうか。DQNネームではなく「読むのが難しい名前」が問題だと言うのなら、そもそもDQNネームについて触れるべきではないでしょう。話がややこしくなるだけなのだから。

 

にも関わらず、なぜ本書はそうしようとしないのか。著者がバカなんでしょうか? だったら話はきっと単純なのだけれど、多分そうではないでしょう。要するに、問題は教養のないバカが増えていることではなく、むしろ教養のある(と自分で思ってる)人が自分の偏見に気づいていない、ということの方なんです。あるいは教養のある(と自分で思ってる)人が自分の偏見をわざとごまかしている(つもりでいる)ということの方です。本当はただ「DQNネームがむかつく」って言いたいだけなのだけれど、DQNネームが今だけの現象だけでなく昔からあるという事実を知っている程度には教養がおありだから、わざわざ「日本語の深い森」「旅」をしなきゃならんのでしょう。

 

ていうか、要するに「DQNネームが問題」だと言いたいがためにDQNじゃない現代風の名前も全部ひっくるめて「キラキラネーム」と呼んでるだけ。ほんとに、ただそれだけのこと。

 


「“言語の森”が枯渇している=(本当の意味は)世の中にバカが増えている」と言って同世代の共感を得たいがためにキラキラネーム=子育て世代や子どもたちをダシにするのはいかがなものかと私は思います。それが大人のやることかよ。

 

バカな親が言霊にこめられた呪いをうっかり子どもに与えてしまうことよりも、こういう大人の若者に対する怨念や侮蔑という呪いの方がよっぽど恐ろしいです。


あー、もう、ほんと日本の将来が心配。どうかキラキラネームの子どもたちが成人する頃にはこういう本を読んで溜飲を下げてるキラキラした大人が一人でも多く社会から退場していますように。

 

最後に大事なことなのでもう一回言います。

 

まずはちゃんと取材しろ。話はそれからだ。

 

おなじみ伊東ひとみ著「キラキラネームの大研究」に関する素人“大研究”でございました。

 

キラキラネームの大研究 (新潮新書)

キラキラネームの大研究 (新潮新書)