日本初の女性近代文学作家の話。
講釈垂れさせていただきます。
いきなりですが皆様、三宅花圃という女性をご存知でしょうか? 何を隠そうこの人、日本女性初の近代文学作家なのでございます。
今回ご紹介する作品「藪の鶯」が出版されたのは明治21年のこと、坪内逍遥の「小説神髄」「当世書生気質」から2年後、二葉亭四迷の「浮雲」、山田美妙の「武蔵野」の翌年になります。
近代文学の中でも明治期になると女性作家って樋口一葉ぐらいしか思い浮かばないという人も多いかもしれませんが、やー、日本の女性はすごいですよね。女性解放運動なんかのずっと以前にもう女性作家が誕生しているわけです。
で、本書がどのような物語なのかというと、4人の女学生の物語でございます。内容は、ほとんどあってないようなもので、ある意味今で言う「日常系」ですかね、明治の時代に現れた4人の若くて新しい女性の模様を、坪内逍遥の「当世書生気質」と同じように写実的に描いています。
それもそのはず、そもそも著者の三宅花圃さんは「当世書生気質」を読んで「あ、これなら私にも書ける」と思って書いたのだそうです。で、出版の際にはなんと坪内逍遥本人が校正してくれたとのこと。ほんとこの頃の逍遥は若手の発掘に力を発揮してますよね。
三宅花圃
関係ないですがちょうどこの頃同じく「当世書生気質」を読んで「あ、これは俺にはとても書けない」と思ったのが尾崎紅葉だったわけです。そういうこと素直に言っちゃうところ、嫌いじゃないんですけどね。(あれ、「浮雲」だったかも。どっちか忘れました)
で、せっかくなので著者の三宅花圃という人がどういう女性だったのかと言うと、本名は田辺竜子、元々父親は江戸幕府の幕臣という名門士族で、10歳の頃から中島歌子の元に通って和歌を学ぶといった才女だったそうです。(中島歌子と言えば知っている方も多いでしょうが、同門に樋口一葉がいるわけですね。彼女は三宅花圃の後輩にあたるわけで、彼女がデビューする際には三宅花圃がずいぶん力を尽くしたと言われています。)
ところがまあ、こういう時期ですから、両親が没落してしまったと。で、亡き兄の法要をするお金すらない、ということで「じゃ、いっちょ小説書いて儲けますか」ってことで書かれたのがこの作品です。なんかすごいですね。
というわけで作品の内容に話を戻しますと、主な登場人物は二人の女性で、一人は篠原浜子という薩摩藩の父親の元に生まれた娘。この人の父親は江戸時代には「尊皇攘夷だ!」と声高に叫んでいたにもかかわらず時代が変わるところっと態度を豹変し、暮らし方から何から西洋至上主義になったのです。で、その娘である浜子もその影響を大いに受けて毎夜鹿鳴館へ繰り出してはダンスを踊ったりして気楽にすごしています。文明開化を満喫しているんですね。
もう一人の重要人物が松島秀子という女性。この人も生まれは士族なのですが両親が相次いで他界してしまったため、暮らしが貧しくなってしまいます。元々は浜子と同級生で真面目な女性だったのですが、今では学校を辞めて内職をしながら弟を学校に通わせているのです。
で、まあそういう時代ですから、士族や家族の息子たちと言うのは学校を卒業すると西洋に洋行するわけです。そうして帰ってくると彼らには政府の要職たる官人のポストが用意されている。上手に時勢に乗るような輩というのは学校に行ってもろくに勉強するわけでもなく、毎日遊び呆けて学校を卒業したらまんまと官人のポストに滑り込み、高い給料を得ていると。そんな様子が描かれています。いつの時代もそんなものですね。
そんな世渡りの上手い男の一人が山中という男で、学内での評判は良くなかったのだけれど同輩の誰よりも出世している。
で、浜子には勤という許婚がいまして、この勤も学校を卒業して西洋に留学したのですが、多くの人と違い彼は西洋主義になることなくむしろ西洋には優れたところもあればそうでないところもあると、そんな風なしっかりした考えを持っているんですね。
勤は帰国後浜子と結婚するはずだったのだけれど、嫌だと。浜子の方も自分と意見が合わないから嫌だと。
そこに折も折浜子と山中の結婚話が浮上して、ああよかったよかったと思ったのも束の間、浜子は山中に裏切られて逃げられてしまうのです。
で、勤の方は浜子よりもずっと堅実な考え方を持った秀子と結婚することになりましたとさ、という、そんなお話なんですね。
まあ、西洋気取りの新しい女が痛い目にあって、昔ながらのしっかりしたお嬢さん(実はどう考えてもモデルは著者)が幸せになって読者もみんな「やっぱそうでなきゃいけないよな!」と拍手喝采、みたいな感じですね。
この小説は一般的に「楽天的な写実主義」だと言われています。確かに、実際読んでみるとこの小説には「煩悶」する様子がどこにもないのですね。登場人物がみんなとてもあっけらかんとしている。
で、このことに注目してみると、実はそれって「当世書生気質」も同じなんですよね。あの作品にも「煩悶」はない。
じゃあ文学作品に「煩悶」が描かれたのはいつからかと言うと、それは二葉亭四迷の「浮雲」になるわけです。
ここでちょっと面白いのが、以前私は坪内逍遥の話をした際に彼が「小説神髄」で打ち出したのは「芸術主義」と「写実主義」だと申しました。
坪内逍遥のこの頃すごかったところって実はこのことで、もし彼が「小説神髄」で打ち出したのがどっちか一つであったなら、多分「近代文学」なるものは誕生していなかったと思うんですよね。
ここで彼が「芸術主義」と「写実主義」の両方を打ち出したからこそ、その後の作家たちは「文学とは何か」というテーマを考えることができたのです。
例えば二葉亭四迷という人は、「浮雲」を書いて逍遥を乗り越えたわけですが、彼がなぜ小説家として逍遥よりも優れているかと言えば、それは彼が「浮雲」において主人公の心の内面を描写したからなんです。そしてその流れを森鴎外も受け継ぐことになる。
「小説神髄」で「芸術主義」と「写実主義」を打ち出した逍遥の中では「芸術であること」と「写実的であること」は不可分なものだったのですね。それをそのまま受け継いだのが山田美妙であり、また本書の作者である三宅花圃だったわけです。あとは尾崎紅葉らの硯友社も実はそうです。
でもその一方で「や、芸術的であるためには写実的でなくてもいいんじゃね?」と言い出したのが二葉亭四迷であり、森鴎外だったわけですね。
まあそう考えるとですよ、以前私は「逍遥派」と「鴎外派」を無理やり分けてこの頃の文学を語りましたが、実際にはもっとぐちゃっとしてるんですよね。
前は「自然主義」と「浪漫主義」で分けましたけど、「心情描写は是か非か」という視点でもう一回捉えなおしたら、逍遥の一派につながるのは三宅花圃、山田美妙、尾崎紅葉の次は永井荷風、谷崎潤一郎、横光利一、川端康成と続き、坂口安吾や太宰治なんかに至るわけです。この人たちは、ちょっと極端に言えば「登場人物の心理とかどうでもいいんだよ、話が面白ければそれでいいんだよ」という人たちです。だから文学嫌いな人もこういう人たちの作品は楽しく読めると思うんですよね。
一方で「いや、心情を描くことが大事だ。ここがリアルだったらぶっちゃけ話の筋とかどうでもいいし!」というのが二葉亭四迷に始まり田山花袋とか島崎藤村といった自然主義につながり、私小説へと発展してゆくわけです。面白い面白くないというのは主観や嗜好の問題なのであれですけど、まあ理屈的にはこういう人たちが出てくるのも道理に適ってるんですよね。
ただ声を大にして言いたいのは「私小説こそが文学!」なんて思ってた作家は文学史の中でも数えるほどしかいませんからね。自然主義者のほかには後期志賀直哉とそれに追随する一派ぐらいのもんなんで。なんか誤解してる人多いですけど。
ま、この辺の話って後の「自然主義」やあるいは芥川と谷崎が論争したと言われている(本当は論争でもなんでもないんだけれど)「筋なし論争」とかの時に話すとして……
おや、なんか話がだいぶずれてしまったぞ(汗)
あとこの作品が楽天的である理由としてよく言われているのは、時代的な問題です。逍遥にしろ三宅花圃にしろ硯友社の面々にしろ、やっぱり活躍した時代がよかったんですね。
「文明開化」とか言って近代化や西洋化することがただ素晴らしいみたいな風潮があったわけです。実際には世の中に何のリスクも犠牲もなく成し遂げられることなんてないのだけれど、まだそういうことが表面化する前の時代だったのです。
その意味でやっぱ漱石はすごいんですよね。日露戦争に勝ったはずなのにあれ? ってみんながなったところで「こゝろ」ですからね。
ま、こういうのを読んでいるとほんといつの時代も人間って変わらんなーと思いますよね。今はこの頃とは真逆で「うちこそが保守です! 高度経済成長をもう一度!」って言えば右も左も猫も杓子も拍手喝采ですからね。景気よかったことしか覚えていなくて、水俣病とかイタイイタイ病とか光化学スモッグとか、みんな忘れちゃったんでしょうね。そんなもんですね。
そういうわけで、本書は明治初期の社会の様子を上手に表現された作品ですが、同時にここに描かれていることはいつの時代も変わらない人間模様なのです。多分逍遥が「写実主義」を押し出したのも、そういうことを考えていたからなんじゃないかな、と思うわけです。
とまあ、なんか話があっち行ったりこっち行ったりでぐちゃぐちゃになりましたが、お馴染み三宅花圃著「藪の鶯」に関する素人講釈でございました。