文芸素人講釈

古今東西の文芸作品について、講釈垂れさせていただきます。

まるで数字の「0」のような話。

 

北村透谷選集 (岩波文庫 緑 16-1)

北村透谷選集 (岩波文庫 緑 16-1)

 

 えー、相も変わりません。本日もまた一席お付き合いいただきたく、本日ご紹介したいのは岩波文庫の「北村透谷選集」でございます。

この岩波文庫の「北村透谷選集」には、前回ご紹介した「人生に相渉るとは何の謂ぞ」や「「伽羅枕」及び「新葉末集」」も含めさまざまな評論のほか、詩や奥さんへのラブレターなども収録されているファン垂涎の一冊なわけです。透谷ファンよ、見逃すなかれ!


まあそんな話は置いといて、本日私が話したいのは主に2つのことなのです。それは透谷が次代の「文学」に与えた大きな影響のこと。

まず1つ目は、「純文学」です。

純文学という言葉を聞いたことがないという人はいないでしょう。良い印象を持っている人もいれば、悪い印象を持っている人もいるかもしれません。

実はこの「純文学」なる名称、透谷が生み出したものなのですね。

具体的には前回ご紹介した「人生に相渉るとは何の謂ぞ」が「純文学」なる言葉の初出だと言われています。この部分ですね。

「彼は「史論」と名くる鉄槌を以て撃砕すべき目的を拡めて、頻りに純文学の領地を襲はんとす。」


この彼とは、我らが愛すべき俗物、山路愛山のことですね。で、確かどこかに愛山がこの言葉を取り上げて「はぁ? 純文学ってなんですかぁ? そんな言葉聞いたことないんですけどぉ? もっと具体的に教えてくれますぅ?」と言ってるのがあった気がするんですが(や、もちろんこんな嫌な言い方はしてないですけどw)どこにあったか忘れちゃいました。

で、透谷がそんな愛山の「人生に相渉るとは何の謂ぞ」批判を受けて書いた評論が「内部生命論」なのですが、そこで彼はこう言うのです。

「文芸は論議にあらざること、幾度言ふとも同じ事なり。論議の範囲に於て、根本の生命を伝へんとするは、論議の筆を握れる者の任なり、文芸(純文学と言ふも宜し)の範囲に於て、根本の生命を伝へんとするは、文芸に従事するものゝ任なり。純文学は論議をせず、故に純文学なるもの無し、と言はゞ誰か其の極端なるを笑はざらんや。論議の範囲に於て、善悪を説くは、正面に之を談ずるなり。文芸の範囲に於て善悪を説くは、裡面より之を談ずるなり」


純文学なんてものは何なのか分からないんだから、そもそもそれについて論議をするべきではないという批判こそ極論であると。

それはつまり、こういうことなのです。世の中には正面から取り扱うことによって見えなくなってしまうことがあるんだ、と。たとえばなにが善でありなにが悪であるかということを正面から取り扱う場合には、その対象について明確に定義していく必要があるでしょう。人を殺すことは善ですか? 悪ですか? というように。

でも文学作品について深く考えるというのは、そういうことではないわけです。作品の中では、その「なにが善でなにが悪か」ということは明確に示されないまま表現されていることが多い。誰でも知ってそうなところで言えば、夏目漱石の「こゝろ」で先生が親友Kに対してしたことについて、先生はそれは「悪」だったと思っているわけですが、読者としてはもっといろいろなことを思うことになるでしょう。で、その「思う」ことこそが大切なわけでしょう。

これがいわゆる、文学や哲学のような実用的ではない学問と、科学や政治学、経済学のような実用的な学問との大きな違いです。実用的な学問は、「対象」における「効果」だけを見る。そうすると、例えば善悪の問題なんかに関してはすごく薄っぺらな答えしか導き出せないか、あるいは「そういうことについては考えない」という結論しか出せないわけです。

メアリー・シェリーが「フランケンシュタイン」を書いたきっかけの1つは夫やその友人達が蛙の死骸に電気を流したら動いたのを見て「蛙が生き返った!」と興奮していたことだという話があります。恐らくその時メアリーが考えていたのは、「いや、ちょっと待ってよ。生きるってそういうことじゃないでしょ。動きさえすればいいのかよ」という想いだったのだろうと思うのです。科学は確かに生命を復活させることができるようになるかもしれない。でも、「いかに生きるべきか」「生きるとはどういうことか」ということについて答えを出すことはできないのです。で、答えが出せないのだとしたら、あなたが復活させたものは一体なんなのですか? という話なのです。

でもそれについてちゃんと考えようよ、ただ「対象」の効果についてだけ考えるのではなく、その「対象」と「私」との関係について考えようよ、というのが文学や哲学なわけですね。もちろん、考えたからといってお金が儲かるわけでもなければ何らかの力を行使できるようになるわけではないでしょう。でも、だからと言ってそんなことにはなんの意味もないのでしょうか。実用性がないのでしょうか。

というのが、「純文学」の始まりなわけです。こういうことって物語がいかにドラマチックかとか、いかにリアリティがあるかとか、そういうことよりずっと大切なことなんじゃないの? というのが「純文学」なのですね。

坪内逍遥は「小説神髄」において「観察が大事だ」と言ったのですが、透谷はそれをさらに発展させて「観察する対象について考えることが大事だ」と言ったのです。(厳密にはこの逍遥に対する指摘は二葉亭四迷が「浮雲」でやったことでもあり、森鴎外が「没理想論争」で逍遥を批判したのと同じなのですが)

で、この透谷の「純文学」という理想を受け継ぐのが島崎藤村なわけですね。彼は田山花袋らと一緒にその「純文学」というものとゾラやモーパッサンの「自然主義」を融合させていきます。身の回りや社会のさまざまなことを盲目的に受け入れるのではなく、「本当にそれ正しいのか?」と問いかけることが大切なんだと。

ところがここでおかしなことになってしまったのは、じゃあどうやってそういった「社会の矛盾」、透谷が「内部生命論」で主張した「本当に観察するべき内部生命」をどうやって見つけたらいいんだろうというところで、「あ、じゃあ自分のこと書けばいいじゃん」ってなっちゃったんですよね。

デカルトの有名な言葉で「我思う、故に我あり」というのがありますが、逍遥が言ったのは「我思う」だけだったんです。で、それに対して四迷や鴎外、透谷は「故に我あり」も忘れんなって言ったんですね。だから理想は「我思う、故に我あり」なんですけど、でも実際には「我思う」だけが大事だと思ってる人と「故に我あり」だけが大事だと思ってる人に分かれてしまうわけです。


で、もう1つしたかったのが「近代」の話。透谷は「純文学」の流れを作っただけでなく、「近代主義モダニズム」の流れの先駆者でもあったのです。

一般的に日本の近現代文学史では、川端康成横光利一といった新感覚派の登場がモダニズムの始まりだと言われています。

モダニズムとはなにかというと、すごく単純な意味では「現代風」みたいなことになるんですけど、実際にはそうじゃないんですよね。モダンを近代と訳してしまうとそれってただの時間の流れを区切っただけのように感じるかもしれませんが、実際には中世から近代に変わったときになにが起こったのかといえば、それは「価値観の変化」なのです。

それまでの「キリスト教」という信仰を大切にする価値観から「科学」や「哲学」といった理性、合理主義を大切する価値観へと変わったわけですね。そういう意味では実は「近代」って過去のことではなくて、今現在もまだ「近代」なのです。

で、川端康成たち「新感覚派」のなにが「新感覚」だったかと言えば、それは「近代的な知性」が築き上げた社会のシステムに対する感覚だったのですね。「近代」なるものについて、ただ礼賛するわけでもただ否定するわけでもないという態度。

これも近くの例で示せば、インターネットを思い起こすと良いかもしれません。私はアラフォーなのでちょうど大学生から社会人になるかならないかくらいのときに当時よく言われた「情報革命」なるものに遭遇しているわけです。

で、私から上の年代の人はみなそうだから、そのことゆえのインターネットに対する幻想みたいなのを持ってるんですよね。当時よく言われた言葉だったら「ユビキタス社会が到来する!」とか。

でも今の若い子たちは生まれたときからデフォルトでネットがあるから、私たちの感覚とは違うわけです。いい意味でも悪い意味でも。私の世代のようにネットに過剰な期待をすることも、過剰な失望をすることもない。(SNSで人々を動員したら社会が変わる! とか、ネットの登場で地方でもお金が稼げるようになる! と騒ぐこともなければ、「嘘じゃーん!」とがっかりしたりもしない)

このネットを「近代」というシステムに置き換えたらよく分かると思うんですよね。

例えば川端康成の「伊豆の踊り子」とか、青年の淡い恋物語として読んでももちろんいいんですけど、解釈の仕方によってはあれって学生という近代のシステムに上手に乗っかった青年が、踊り子という近代に整備された戸籍のシステムから外れた女の子と出会う話、とも読めるわけです。で、青年は「あれ、俺って本当にこれでいいのかな」と思う一方「でも、だからってもう戻れないし」みたいなね。

こういう話って、北村透谷が「内部生命論」を発表した1893年からあと20年ぐらい経ってやっと出てくるんですよね。まあ夏目漱石みたいに実際に海外に留学した人の中には「いや、西洋ってそんな大したことないよ」と言う人もいましたけど、それってなんだろう、結局はエリートの上から目線の言葉ですからね。一般的にはこの時代に大衆的立場から「近代ってどうなのよ」という人は出てこなかった。とにかくまずは西洋化、近代化しなければいけないと、そうみんなが信じて疑わなかった時代なのです。

そんな時代に透谷は「内部生命論」という評論を発表したのです。この評論がどういうものかというと、「一番大事なのは理屈よりも生命だ」という話です。西洋の思想がいいとか東洋の思想の方がいいとかそういう話じゃなく、実用的かとか理想的かとかそういう話でもないんだ、と。

世の中には「生命」を大切にしようとする思想と、そうでない思想がある。で、明治維新によって日本は西洋の文化を積極的に取り入れようとしているけれど、取り入れるべきものとそうでないものとがあるんだ、という話なのですね。

「生命を大事にしよう!」とか言うと「はいはい。そうなるといいですねー」と思う現実主義者もいらっしゃるかもしれませんが、西洋の哲学や思想、あるいは科学というものが人間の自由や尊厳を大きく開放した側面がある一方、それによって人を物質化してきたこともまた事実なわけです。だから川端は踊り子に恋をしたのですね。そこに近代以前の人が持っていた「生命」、近代人である自分がもはや失った「生命」を見たのです。

ここで「生命」ってなんですか? ということについてちゃんと考えない態度の方が、近代的システムの中では合理的で、実用的だと言われる。そのことについて透谷は問題提起しているのですね。川端康成より20年も早く。


で、私は北村透谷のことを考えるとき、いつも数字の「0」を思い起こすのです。

数字の「0」というのがアラビア数字であることはご存知の方も多いことでしょう。で、その発祥の起源がインドであることも。

この数字の「0」というのは不思議な数字ですよね。だって「0」とは「なにもない」という意味ですよ。でもなにもなくないじゃん。なにもなかったら「0」とすら言えないじゃん、と思いません?

だから、「0」という数字はインドでしか生まれ得なかったのですね。遥か昔から商人は世界中にいましたし、数学なるものもインドで「0」が生まれるずっと前からギリシャやエジプトなんかであったわけです。有名なピュタゴラスとか、いたわけでしょう。

でも彼らは誰も「0」というものに気付くことさえなかった。当たり前です。だって非合理なんだもの。どなたか「0」なるものを「0」と書くことについての合理的な説明ができるという方はどうぞご教示ください。お願いします。

実際ギリシャやエジプトではアラビア数字が入ってくるまでは独自の数字を用いていたのです。(日本だって漢数字を用いていたでしょう。で、漢数字にも「0」なんてものは多分なかったんじゃないでしょうか。その辺詳しくは知りませんが)で、「0」という数字を使わなくても計算はできるのです。ちょっとめんどくさくなるだけで。ピュタゴラスは「0」を使わずにピュタゴラスの定理を考えましたし、ピラミッドだってあの設計のために「0」は使われていなかったのです。

なんでこんな話をしているかというと、世の中そういうもんじゃないですかってことなんですよ。実は合理的であることにこだわった方が複雑になってしまうことや、問題が難しくなってしまうことというのはたくさんあるのです。

「生命」ってなんですか? と言われても、それに対する合理的な答えは出せないかもしれません。「うーん、うまく説明できないけど、でも、なんとなく分かるだろ?」としか言えない。

そのことを批判することは簡単です。「お前なに言ってるのか分からない」ということなんて。

でもそういうこと言う人にはとりあえずこう言いたい。

お前、計算するとき数字の「0」を使うなよな!

と。

で、実用性がなによりも大切だと言う一方で合理性にこだわる人にはこう申し上げたい。

じゃ、数字の「0」の合理性について説明してください。

と。

ま、言ったところで「だからなんだ?」って話ですが(汗


北村透谷はこの評論を発表した翌年、芝公園で首吊り自殺をして死んでしまいます。彼の残した評論が理想的すぎること、そして若くして自殺してしまったというある種のいかにもロマン派的な部分があまりにも強すぎたことは、彼自身にとっても、そして後世の私たちにとってもとても不幸なことだったような気がするのです。

もし彼が生き続けていたら、そうしたら日本の「文学」というものはもっと違ったものになっていたかもしれません。なんてことを言うと「歴史にもしもは禁物」なんてお叱りを受けるかもしれませんが。

ただ、彼はその短い人生の中で「純文学」と「近代主義」という2つの「内部生命」をこの世に遺していってくれたのですね。この「生命」はその後多くの作家たちによって受け継がれてゆくのです。

といっても、具体的にどういう影響を与えているかを説明することはできません。そもそも、そういうものではないのだから。「内部生命」とか、結局言ったもの勝ちでしょ? これだから文系は……と思う人もいるかもしれない。

まあ実際のところ、それは「わけの分からないもの」かもしれません。「わけの分からないもの」についてはなにも語らない方が賢く見えるでしょう。

でも、もしかしたらこういうことの方が、現実には「実用的」だったりするんだよねと、そんなことも思うのです。

もし透谷がいなければ、日本の「文学」なるものはどれだけ味気ないものだったことだろう、と。


おなじみ北村透谷著「北村透谷選集」に関する素人講釈でございました。

 

北村透谷選集 (岩波文庫 緑 16-1)

北村透谷選集 (岩波文庫 緑 16-1)