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文芸素人講釈

古今東西の文芸作品について、講釈垂れさせていただきます。

まるで足つぼマッサージみたいな話

 

読書について (光文社古典新訳文庫)

読書について (光文社古典新訳文庫)

 

 

えー、本日もお付き合いいただきたく、またぐだぐだと講釈垂れさせていただきたいわけでございますが、本日ご紹介したいのはショーペンハウアーの「読書について」でございます。

 

ショーペンハウアーと言えば、ニーチェにも影響を与えたと言われる偉い哲学者でありますが、本書はタイトル通り、そんなショーペンハウアーさんによる読書に関するエッセイなのでございます。

 

より正確に言えば晩年に出版された『余暇と補遺』というエッセイ集の中の読書に関するものを集めたのが本書でして、ほかにも「自殺について」や「幸福論」なんかも有名ですね。

 

このショーペンハウアーという人はまあ、なかなかアクの強い人なんでございまして、本書もタイトルが「読書について」なのだから読書の効用だとか、本はたくさん読んだ方がいいよーとか、そんなことが書いてあるのだろうと普通は思うでございましょう。

 

が、全然そんな話ではないのでございます。なぜならショーペンハウアーさん、本書の最初のエッセイである「自分の頭で考える」の冒頭でこんなことを言っちゃうのですから。


「どんなにたくさん蔵書があっても、整理されていない蔵書より、ほどよい冊数で、きちんと整理されている蔵書のほうが、ずっと役に立つ」

 

ええ、もう、いきなり「ギクッ」でございますねえ。ええと、ショーペンハウアーさん、もしかして私の本棚をご覧になりましたか?

 

そしてショーペンハウアーさんは言うのでした。「本なんか読むより、自分の頭で考える方がよっぽど大事だ」と。大体愛書家とかいう奴らはみんな自分の頭でものを考えようとせずに、どっかの本から誰かの言葉を引っ張ってきて知識をひけらかしてやがる。本ばっかり読んでるとそんなくだらない奴になっちゃうよ、と。

 

で、イギリスの詩人アレクサンダー・ポープの言葉を引用するのですが、この引用がまたひどい。


「頭の中は 本の山
 永遠に読み続ける 悟ることなく」

 

……嫌ですねえ。何なんでしょうか、この人は。

 


さらにショーペンハウアーさんの怒りは匿名の批評家たちにも向けられます。文句があるなら名乗ればいいものを、匿名の影に隠れて人の書いたものを批判するとは何事か、と。


「物書きの世界における匿名は、市民共同体における金銭詐欺にあたる。「名乗りでよ、ごろつき。さもなければ沈黙を守れ」が合言葉でなければならない。署名のない批評に対して、ただちに「詐欺師」という言葉を補ってかまわない」

 

……そこまで言わなくてもいいんじゃないかと思ったり。

 


で、二つ目のエッセイが「著述と文体について」なのですが、これもまたすごい。どうもショーペンハウアーさんは言葉の誤用が気になる方のようでございます。

 

とにかく最近のドイツ語の誤用は目に余る! と、そりゃもう読みながらこっちにまで唾が飛んでくるんじゃないかというくらいの剣幕で、正確なドイツ語を使うことのできないへぼ文士どもをこきおろすのでございます。

 

特に言葉の本当の意味を知らないくせに新語をでっち上げ、大したことを言っていないくせにまるで深遠なことを言っているように見せかけようとするクズがいる、と。


「痛ましいまでに脳みそが足りないのを埋め合わせようと、新語、新手の意味合いの語、あらゆる種類の言い回しや合成語を用いて、懸命に知者をよそおおうとする」

 

それが誰かと言うと、フィヒテでありシェリングでありヘーゲルだと。

 

……こらこら、名前を出しなさんな。

 


そして最後に収録されている「読書について」では、ショーペンハウアーさんの怒りはさらに高まります。

 

大体において現代に出版されている本の十中八九はクソであると。文学の世界で時代の波にもまれて生き残る名作なんて数十年に一冊出るかでないかなのだから、毎日大量に出版される本のほとんどは読むべき価値がない。

 

にもかかわらずこんなに毎日大量の本が出版されるのは、読者の多くがただ新しいだけで価値があると思い込んでいるからであり、出版社や書店や批評家がそうであるかのように触れ回っているからであり、それに乗っかって大量の三文文士が小金を稼いでいるからだ、と。

 

そしてショーペンハウアーさんはこう言い放つのでございます。


「したがって私たちが本を読む場合、最も大切なのは、読まずにすますコツだ。いつの時代も大衆に大うけする本には、だからこそ、手を出さないのがコツである」

 

もうショーペンハウアーさん、この世界の人間の大半のことが嫌いなんじゃないかと思うわけでございます。

 

一方でショーペンハウアーさんはこんなことも言っています。


「退屈には、客観的退屈と主観的退屈の二種類がある。(中略)主観的に退屈なのは、読者がそのテーマに関心がないせいで、読者側の関心になんらかの制約があるからだ。だからどんなにすばらしいものでも、主観的に退屈、つまり人によっては退屈なこともある。また逆に劣悪なものでも、人によってはそのテーマや著者に興味をおぼえ、主観的に気晴らしになることもある」

 

そう考えると、何が良書で何がそうでないかは結局人それぞれ、なのかもしれません。ていうか、そういうことにしとこうじゃありませんか。ね、ショーペンハウアーさん。

 


ま、よく本には多少の毒があった方がいい、なんてことを言いますが、本書はまさに猛毒でございます。心臓の弱い方は読むのを控えた方がよろしいかと。

 

とは言え実はショーペンハウアーさんはただ悪口や暴言を吐きまくる嫌な人なのではございません。いやむしろショーペンハウアーさんからすれば、彼の言葉は毒なんかではなく、その言葉で耳が痛いとすれば、それはこちらに問題があるのです。

 

足つぼマッサージを痛がる人は内臓のどこかが悪い、というのと同じですね。

 

そんなわけで本書を読むことは心の健康にも良い、かもしれません。良くないかもしれません。私は責任持ちません。

 

でも、どうです? ショーペンハウアー先生の足つぼマッサージならぬ耳つぼマッサージ、人によっては結構痛い(私はかなり痛かった(泣))ですが、あなたも一度試してみませんか?

 

おなじみショーペンハウアー著「読書について」に関する素人講釈でございました。

 

読書について (光文社古典新訳文庫)

読書について (光文社古典新訳文庫)

 

 

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