読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

文芸素人講釈

古今東西の文芸作品について、講釈垂れさせていただきます。

尾崎紅葉はバカじゃない話。

 

二人比丘尼色懺悔 (岩波文庫)

二人比丘尼色懺悔 (岩波文庫)

 

 

えー、相も変わりません。本日もまた眉唾ものの素人講釈にお付き合いいただければと思うわけでございますが、本日ご紹介したい作品は、尾崎紅葉著「二人比丘尼色懺悔」でございます。

 

この「二人比丘尼色懺悔」が刊行されたのは明治22年のことで、尾崎紅葉はこの作品までにも自身が主催する硯友社の「我楽多文庫」という雑誌でいくつか作品を発表していたようですが、ちゃんと書籍の形で刊行されたのはこの作品が最初でございます。そういう意味ではまあ、処女作と言えるような言えないようなっていう感じですね。

 

で、本書が刊行された明治22年というのが、以前にもレビューした山田美妙の「胡蝶」と幸田露伴の「露団々」「風流仏」も刊行された年ということで、まあ、当たり年と呼んでも過言ではありますまい。

 

で、私が読んだ岩波文庫にはこの「二人比丘尼色懺悔」と、その翌年に出版された「新色懺悔」が入っているのですが、まずはいつもの通り、バババッとどんな話なのか、そのあらすじをご紹介しましょう。

 

「二人比丘尼色懺悔」は戦国時代かあるいはそのもう少し前の時代の物語です。

 

とある山の中のある尼寺に、深夜一人の旅をする尼が訪ねて来ます。もう夜も遅くなってしまったので、どうか一晩泊めてくれないか、というのです。

 

尼寺の尼は同じ尼僧でもあることから「それそれは大変でしょう、どうぞお上がりください」と言って旅の尼を招き入れます。

 

で、食事をご馳走になり、では休ませていただこうかという時、旅の尼僧は机の上に置かれたある置き書きを見つけるのです。

 

勝手に読んではいけないと思いつつ、つい気になって読んでしまったその置き書きには、こんなことが書かれていました。

 

それは尼僧のかつての夫が書き遺したもので、その夫は武士として戦に出陣することとなります。夫は、戦に出陣する以上、自分はその戦場で死ぬ覚悟である、と。だから貴方はもう私のことは死んだものと思いなさい。ついてはまだ私と貴方は結婚したばかりなのだから、もし私が戦場で死んでしまったとしても決して私を弔って出家するようなことはしてくれるな。またいい縁があればその人と結婚してくれ。そんなことが書かれてあったのですね。

 

そうして旅の尼が文を読んでいるところに主人の尼が戻ってきます。

 

ああ、申し訳ございません。読んではいけないと思いつつつい読んでしまいました、と旅の尼が言うと、主人の尼は「いえいえ、別に構いません」と言います。

 

「この文を読んだのなら、事情はお分かりでしょう。夫は私に出家するなと言いましたが、たとえまだ日が浅いとは言え、晴れて夫婦となったにもかかわらずなんという情けない言葉でしょうか。夫は戦場で命を落としたとのこと。戦場で命を落としたのだから、人の一人や二人は殺して果てたに違いありません。ならば夫の行き先は地獄でございましょう。その夫を私以外の一体誰が弔うと言うのです」

 

そんな言葉を聞いて旅の尼はなんて素晴らしい人なのだろう、とすっかり感心します。そこに主人の尼が言うのです。

 

「ところであなたも私と年齢も同じくらい、それにもかかわらずそのような旅の尼僧となっているからには、それなりの事情がおありなのでしょう。ここでであったのも何かの縁、お話してくださいませんか」

 

実はこの旅の尼僧も、主人の尼と同じく夫を戦場で喪い、彼を弔うために尼となったのですが実は……。

 

ということで、えーっと、ごめんなさい、ネタバレしてしまうと、実はこの主人の尼と旅の尼が弔っている男というのが、どちらも同じ男性であったという話なのですね。

 

まあ、今の作品であれば乾くるみの「イミテーション・ラブ」のような作品と言えるでしょうねえ。

 

で、この作品がよく売れたと言うことで、その翌年には「新色懺悔」が出版されます。こちらは今度は京都を舞台にした物語で、また違った登場人物たちの物語なのですが、こちらも最後にはあっと驚く仕掛けが施されているのでございます。

 


で、最初に本書が美妙の「胡蝶」と露伴の「風流仏」と同じ年に出版された、ということを述べましたが、こうして3つの作品を読み比べてみたとき、なるほど尾崎紅葉という人はこの時代に現れるべくして現れた人だったんだなと、そんなことを思うのでございます。

 

まあ、尾崎紅葉というと内田魯庵夏目漱石など、結構色んな人から「あいつはバカだった」と言われている話が伝えられているのですが、この辺、後世の人はあんまり真に受けちゃいかんのだろうと思うのですね。

 

というのは、ちょっとこの時代の「日本文学」なるものを改めておさらいしてみるとよく分かるのですが、まず明治19年、坪内逍遥が「小説神髄」と「当世書生気質」を世に出して、いわゆる「戯作」ではない「文学」なるものを提唱したわけですね。

 

で、その翌年の明治20年には早速二葉亭四迷のと「浮雲」と山田美妙のと「武蔵野」が発表されるわけです。

 

この四迷と美妙がなそうとしたことは、いわゆる「言文一致体」というやつですね。つまり新しい文学に必要なものは何か、それは新しい文体である、と、そういうわけです。

 

ところがです。その2年後の明治22年に登場するのが幸田露伴なわけです。この幸田露伴はそんな言文一致体なんぞにはまったく興味を示さず、それまで通りの文体のまま「新しい文学」を描いたのでした。これは、明治23年に「舞姫」を発表する森鴎外も同じ態度と言えるでしょう。

 

要するに、「言文一致」なんて小手先の技術でしかないじゃん、と。本当に大切なのは表面よりも中身でしょ、と言ったわけです。

 

これはこれで、もう確かに正論なわけですね。仰る通りなわけです。

 

で、この草創期の「日本文学」というものは「表面を新しくしてそっから新しいものを作っていこうぜ」という動きと、「や、文体がどうとか気にしなくても新しい文学は作れるぜ」という二派が生まれるわけですが、ここまで「小説神髄」からわずか3年ていうのは、すごいですね。今だったら分かりますけれど、この当時にそんな一気に話が進むのか、と思ってしまいます。

 

でも、実はそれだけではなかったのですねえ。

 

というのはですね、ここまで述べてきたこの二派、実はどちらもある共通した問題点を抱えていたのです。それが何かと言うと、「なんだかんだ言ってどっちもインテリの理屈だよね」ということ。

 

恐らくこの当時の多くの小説愛好者の本音はここにあったのでしょう。「ふん、文学なんて」と嘲笑われるのは確かにむかつく。むかつくけど、でもさ、だからと言って「文学は芸術だからすごいんだ!」っていうのも、それはそれでどうなのさ、と。んなことどっちでもいいんだよ、と。

 

実際のところそういう感覚を持っていた人が多数派だったのでしょう。でもそういう意見って、表にはなかなか出づらいものなんですよね。

 

そ・こ・に、尾崎紅葉なわけです。彼は正しくそういったサイレントマジョリティの代弁者として登場したのでした。

 

で、彼は四迷や美妙派に対しては「いやー、言文一致体とか、よく分かんねっす。俺バカなんで」と言い、一方の露伴や鴎外派にも「ややや、テーマとかも、よく分かんねっす。俺バカなんで」と言ったわけです。この態度がウケた。

 

だよなー! 俺も本当はそう思ってたんだ! 正直あいつらの難しい話とか、どうでもいいと思ってた! 紅葉さん、よくぞ言ってくれました!

 

と、なったわけであります。でも、ここに気づくのって、実はすごい賢いと思うんですよね。というか、知識はなくとも知恵がある感じですか。だから紅葉って、バカというキャラを演じてただけで、本当はそうじゃないんでしょうね。

 

で、さらにこの人がすごいなーと思うのが、本書「二人比丘尼色懺悔」ですよ。実はこの作品において、尾崎紅葉はバカのフリをしつつ「日本文学」の地平を切り拓く第3の視点を提示しているのです。

 

それが「構造」ですね。この「二人比丘尼色懺悔」というのはもう、明らかに「構造」だけを主点に描かれている作品です。

 

二人のまったく関係ないと思っていた尼さんが、実はつながっていた! えー! という、それだけの作品なんです。その意味では本当に、「イミテーション・ラブ」と同じですよね。「だから何なんだ」と言われれば、「や、それだけのことです」と言うしかない。でも、エンタメってそういうもんですよね。

 

その意味で、この尾崎紅葉っていう人、「すんません、俺バカなんで小説のことよく分かりませーん」とか言いつつ、しっかりまだ誰も手を付けていなかった戯作ではないエンタメとしての小説を初めて書いているあたり、恐るべしでございます。

 

そしてしつこいかもしれませんが、「小説神髄」からわずか3年で「文体」「テーマ」「構造」という小説の必要な3つの要素がバババッと出揃ってくるあたり、やっぱり日本近代文学恐るべしなのでございます。

 

ということで、おなじみ尾崎紅葉著「二人比丘尼色懺悔」に関する素人講釈でございました。

 

 

二人比丘尼色懺悔 (岩波文庫)

二人比丘尼色懺悔 (岩波文庫)

 

 

広告を非表示にする