鳥山明先生が、とにかくすごすぎる話。<かめはめ波篇>
えー、相も変わりません。本日もまた一席お付き合いのほどをお願いしたいわけでございます。
本日は本の紹介というよりも、私はとにかくある一つの主張をしたいのでございます。それは何かと言うと、
とにかく鳥山明先生はすごすぎる!
ということ。
いや、そんなことはお前に言われるまでもなく知っているよ、と、そう仰るかもしれません。
しかしそれでも聞いていただきたい。敢えて言わせていただくならば、多くの人が考えている以上に鳥山明先生はすごいと、私は主張したいのでございます。
さて、この鳥山先生のすごさには、実は2種類あるのです。それが何かと言えば、
①絵がえげつないくらいに上手い
②マンガ的アイデアがえげつないくらいにすごい
という2点です。で、しかも日本のマンガ史全体を通して考えてみたとき、鳥山先生はこの2点において歴史を変えてしまったのです。どっちかで変えた人は多いんですけど、両方成し遂げた人は鳥山明と手塚治虫ぐらいじゃないかと。
で、絵についての話はちょっと小難しくなりますので次回にするとして、今回は鳥山先生がそのマンガ的アイデアでマンガの表現そのものを変えてしまった話をしたいわけでございます。
では、鳥山先生がマンガの歴史を変えてしまったと言いましたが、それは一体いつのことでしょう。
実はこの時ははっきりと特定することができるのです。その時とは、週刊少年ジャンプ1985年14号が発売された時です。
この号のドラゴンボールのタイトルは「亀仙人のかめはめ波!!」でした。
そうです。「かめはめ波」でございます。これがマンガの歴史を変えた。それが一体どういうことなのか、ちょっとご説明いたしましょう。
そもそも少年マンガにとって最も重要な要素のひとつといえるものに「必殺技」がございますね。
主人公が繰り出す必殺技の魅力は、イコールその作品の魅力と言い換えることもできましょう。
この必殺技の歴史というものはどういうものだったか。古くは仮面ライダーの「ライダーキック」や科学忍者隊ガッチャマンの「科学忍法火の鳥」などがありますね。
しかしこれらの必殺技というのは結局のところ、ライダーキックであれば実はただのキックと何も変わらないし、科学忍法火の鳥だってよく考えればただの体当たりでしかないわけです。そんなこと大人が言っちゃいけないことですが。
で、このドラゴンボールと同時代に連載していた他の少年ジャンプ作品においても、例えばキン肉マンの「キン肉バスター」や「キン肉ドライバー」があり、聖闘士星矢の「ペガサス流星拳」があり、北斗の拳の「北斗百裂拳」がありました。
でもこれも、それを言っちゃあおしまいですが、「キン肉バスター」や「キン肉ドライバー」というのは結局のところすごいプロレス技であり、「ペガサス流星拳」や「北斗百裂拳」に至っては、よくよく考えたら「ただすごいスピードで殴ってるだけ」なのです。(ごめんなさい、石投げないでね)
それに比べてかめはめ波ですよ。このかめはめ波とは一体何なのか。
「体内の潜在エネルギーを凝縮させて一気に放出させる技」
とあります。なんと言うか、多分「気」のようなものでありましょう。それをですね、手をおなじみのあの形にして、「かーめーはーめー波ーーー!!」と言って前に出したらですよ、その「気」というか「潜在エネルギー」がぶぉぉぉぉっとビームのように前に出るわけです。
すごいですねえ。もうこの技はですね、そもそも相手に自分の体を何らかの手段であてることすらしていないのですよ。そういう動作をすれば、体の潜在エネルギーとやらが勝手に相手を攻撃してくれるのです。
お分かりでしょうか、このアヴァンギャルドさ。もうね、それがありなんだったら、なんでもありになるんじゃないかと私は思うのですよ。
いやね、もちろんこの頃にも他の作品においてアヴァンギャルドな必殺技はあったのです。たとえば聖闘士星矢のフェニックス一輝の必殺技「鳳翼天翔」。あるいは北斗神拳の秘孔もそうですね。でもこれらの必殺技は、あまりにアヴァンギャルドすぎたために、他の作品では見たことがありません。
ところが、この「かめはめ波」は違うのです。よく考えたら「あれなんなんだ?」というアヴァンギャルドな必殺技であるにもかかわらず、ドラゴンボール以降のマンガ作品において、かめはめ波的ないわゆる「体内の潜在エネルギーを凝縮させて一気に放出させる技」というのは割と定番になってゆくわけです。
そりゃそうですよ、だってこの技を繰り出すためには、本来ビーム的なものを発射するための武器とかも必要ないのです。自分の手とか足から出るわけですから。
で、鳥山先生のなにがすごいって、そんな必殺技を「絵に描いた」ということなんですよね。
もし「体内の潜在エネルギーを凝縮させて一気に放出させる技」を他のマンガ家が描いたとしたら、どうなるでしょう。恐らく彼以前のマンガ家たちなら「何か見えないけど気が放出されて敵はダメージを受けてるんだぜ」という描写をしたでしょう。つまり、そのエネルギーを描かずに表現したはずなのです。
ヴィトゲンシュタインではありませんが、「認識できないものについては沈黙するしかない」わけですね。普通はそうするものなのです。分からないことについては語らない方が賢く見えるのと同じように、見えないものは描かない方がリアリティは増すわけです。
しかし鳥山先生はその見えるはずのない「体内の潜在エネルギー」をはっきり絵に描いて示したのでした。
そして、なにがすごいって、この作品以降私たち読者はどこかの作品で何らかのキャラクターがこの「体内の潜在エネルギーを凝縮させて一気に放出させる技」を繰り出しても、ちっとも不思議には思わなくなってしまったということです。(そしてその場合、みんな「鳥山明風」の「気の放出」表現であることは見逃してはいけない!)
これが、鳥山先生がこのドラゴンボールで成し遂げた「マンガを変えた瞬間」なのです。彼はこの作品において誰も見たことがなかったものを描写し、しかもその描写をあまりに当たり前なものにしてしまった。
とは言え、実はこのかめはめ波、多分元ネタはウルトラマンのスペシウム光線なんですよね。あれをやろうとしたのだと思います。だからかめはめ波は、実は鳥山先生の完全なオリジナルではありません。
多分この頃鳥山先生は「ドラゴンボール」を「孫悟空がドラゴンボールを探し求める冒険物語」から、少年ジャンプの黄金律である「悟空の前に次々と強大な敵が現れる」というストーリーに変更せざるを得なかったのでしょう。で、そのために「ウルトラマン」などをかなり研究したのではないでしょうか。そこでこのスペシウム光線が使える、と気づいたのでしょうね。(あ、でもドクタースランプでも結構ウルトラマンネタ出てくるので、元々好きだったんですかね。まあこの辺何の根拠もないただの妄想です)
で、実は「かめはめ波」は「スペシウム光線」だと誰にも気づかれない形でそれを採用した。「スペシウム光線」はアヴァンギャルドな必殺技ですから、そのまま使えば「あ、それウルトラマンじゃん」と言われますからね。
ただ彼が「ドラゴンボール」で「ウルトラマン」のスペシウム光線を採用したことで、初めてあの必殺技がアヴァンギャルドな技からスタンダードな技になった、と言えるわけです。
さて、では、なぜ鳥山先生はアヴァンギャルドな必殺技であった「かめはめ波」をスタンダードなものにできたのでしょう?
その理由の一つが彼の「画力」にあるわけですが、その話はまた次回。
おなじみ鳥山明著「ドラゴンボール」に関する素人講釈でございました。