文芸素人講釈

古今東西の文芸作品について、講釈垂れさせていただきます。

「気」の力を体得する方法の話。

 

努力論 (岩波文庫)

努力論 (岩波文庫)

 

 

えー、本日もまた一席お付き合いいただきたく、本日ご紹介いたします書籍は幸田露伴著「努力論」でございます。

 

努力ですよ、努力。もうタイトルからして汗臭い感じがしますね。まあ本書の内容を一言で言うなら、「努力は大事だよ」ってことで、そう言っちゃえば身もふたもないんですが、皆さん努力してますか? まあ、しなきゃならんのだろうなあとは思っていても、なかなかできないのが努力ですよねえ。

 

露伴先生は言うのです。「努力すればなんとかなるもんだ」と。そんなことを言うとですね、「や、努力しても叶わないことだってあるだろう」と、そうおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。

 

まず最初に露伴先生は言うのですね、努力には二種類ある、と。一つが直接的努力であり、もう一つが間接的努力です。

 

直接的努力というのは、今この瞬間頑張ることですね。で、たいていの人は努力、と言った時にこの直接的努力を思い浮かべるわけです。だから「努力だけでは叶わないこともある」と。確かに、この直接的努力だけではどうにもならないことっていうのが世の中にはたくさんあるわけですね。

 

例えばもし私が「よし、俺は今から大作家となり、傑作をものにするのだ!」と決意したとして、机の前に座ってうんうん必死に頭を絞ったからと言っていわゆる傑作と呼べる小説が書けるか、と言ったら、そうじゃない。

 

というのは、小説を書くために必要な努力というのは「机の前に座ってうんうん必死に頭を絞る」という直接的努力ではないからですね。

 

では小説を書くために必要なことは何かと言えば、それは普段から色んなものやことを見て、聞いて、考えることなわけです。そういう日頃からの習慣としての努力、これが間接的努力なのですね。

 

ということで、日頃から間接的努力をこつこつと行い、そしていざという時にはしっかり直接的努力をすることができれば、まあ大概のことは成し遂げられるよ、と。そういう話なわけです。それで出来なかったら多分それは努力の方向性が間違ってるんだよ、と。

 

まあ、そうなんでしょうねえ。でもそれが私のような凡人には難しいわけですが。

 

しかし露伴先生、ここで言うのです。ここまで述べてきたいわゆる「努力家」は確かに努力家ではあるけれども、二流の努力家にすぎない、と。というのは、「努力」という言葉にはどこか「いやいややってる」「無理矢理やってる」感があって美しくない。露伴先生に言わせれば、「俺、頑張ってるぜ」という自意識があるうちはまだまだ二流の「努力家」なのです。

 

実はもっとすごい一流の「努力家」というのがあってですね、それはどんな人なのかと言うと「努力をしているつもりなく努力している人」なのです。

 

なんかもう禅問答みたいになってきましたね。

 

まあ、言うなれば「好きこそものの上手なれ」というやつですね。こういう一流の努力家はですね、「やるな」と言われてもやるのですね。むしろ人から「ちょっと休みなさい」と言われるような、そういう人が真の努力家なわけです。そういう境地に達したいものですねえ。

 


さて、努力は大事、と言われても、なかなかやる気が出ないのが凡人でございます。一流の努力家の話をされても、ああそんなすごい人もいるのですね、と他人ごとになってしまうものでございましょう。

 

努力をするために必要なことはなんでしょうか。努力、というのは、結局のところ「やる気」の問題なわけですね。つまり「気」なのです。

 

気、気功というとなんだか怪しげな話のように思えますが、なかなかそう捨てたものではないのかもしれません。私たちは普段何気なく「気」という言葉を使っていますが、この「気」とはなんでしょう?

 

「気」というのは、「気が張る」こともあれば「気が弛(ゆる)む」こともあるものです。確かに努力は大切なのだけれど、「気が張り」っぱなしだと精神上よろしくないでしょう。そのことをみんな知っているから、「努力は大事」と言われると、「うげっ」という気分になるわけです。「ずっと気を張っていられるか」という「気分」になるわけですね。

 

そう考えると、上手に努力できる人、というのは、言い換えればこの「気」を上手に扱うことのできる人、ということができるでしょう。

 

この「気」を上手に扱うために必要なこと、それは何よりも健康であることだ、と露伴先生は説きます。「元来心は気を率い、気は血を率い、血は身体を率いる」と。つまり血行を良くすることで気力というものは充実してくるものなのですね。

 

私たちの「気」というのは血行の循環が良ければ自然と張ったり弛んだりするものなのですが、生きていると「今ここで張らねばならない!」という状況が訪れたりもするわけです。で、出来ればそういう時にちゃんと「気を張れる」人になりたいものですよね。そのためにも自分自身にとってちょうどいい「気」の弛緩の具合というものを感じておく必要があるわけです。

 

さて、とは言え実はこの「気」というもの、ただ張ればよいというものではないと露伴先生は言います。というよりも、上手に張ることができればいいのですが、大概の人はそれができない、と。

 

で、多くの人は気を張った時に「散る気」、「凝る気」、「昂る気」、「暴れる気」のどれかになってしまう。

 

「散る気」というのは、「よっしゃー、やるぞー!」と気合を入れたはいいものの、すぐに興味があっちこっちに行ってしまう傾向のことですね。まあ、私なんかがそのモデルケースみたいなものです(汗)

 

逆に「凝る気」というのは、あることのみにこだわりすぎてしまって周りが見えなくなってしまうことです。そういうのもあまり良くない、と。

 

「昂る気」と「暴れる気」も同じようなことで、自分が「気を張る」のはいいのだけれど、それで独善的になってしまう感じですね。誰かを見返してやりたいとか、そういうルサンチマンを原動力にして気を張ると陥りがちなのだとか。

 


まあ、「気」なんて言うと、まるでオカルトのように感じるかもしれません。西洋では精神と身体、という二元論的な考え方が主流ですが、どうなんでしょうね、私はあまり好きじゃないんです。そういういわゆる心理学的な考え方だと、例えば「努力ができない」という人がいたとしたら、もうその人の人格を否定する感じになっちゃうじゃないですか。人間はみんな正直で誠実でまじめ、清廉潔白なのがスタンダードになってしまって、全ての人を均質にしてしまうじゃないですか。

 

でも、精神と身体の間に「気」というわけ分からんものをワンクッション入れて、本書のように「や、それは気の使い方が下手なんでしょうなあ」と言えばですよ、なんとなく努力できない私のような人も救われるわけです。「そっかー、じゃあ仕方ねえな」と思えるじゃないですか。「ああ、俺は気の使い方が下手なんだなあ」と思えばですね、まあ世の中たいていの人は気の使い方が下手なわけですから、変に落ち込むこともないわけですよ。で、改善したいと思うなら改善すればいいわけで。これ、西洋の人が学ぶべき東洋の知だと思うのですよね。

 


最初に述べたように、本書は別に「努力しなくてもいいよ」と言ってる本ではないのです。いわゆる自分が賢いと思っている人によくある「努力とかしなくていいでしょ。効率でしょ。コスパでしょ」という本ではないです。むしろそういう奴はクソだよ、と。豆腐の角に頭ぶつけて死ねばいいのに、と(嘘です。そこまでは言ってません)。

 

でも、だからと言って「お前ら努力しろ! 俺ができるんだからお前にもできる!」みたいなうざい、暑苦しい本でもないです。その辺ちゃんとなんで努力した方がいいのか、どうやったら努力できるのか、懇切丁寧に理屈で説明してくれます。

 

なんていうか、「感情」と「理性」って相反したもののように思えますが、露伴先生に言わせればどっちも大切だよ、と。感情が勝ちすぎる人は熱心なのだけれど筋の通らないことを言うものだし、理性が勝ちすぎる人は合理的であるがゆえに冷淡になる。でもそのどちらにも陥ることなく「努力」という熱い汗臭いテーマを冷静に合理的に語りきった露伴先生という人はやっぱすごいなと思うわけです。

 


ま、とりあえず私が今年に入って最初にした「努力」は、本書を読むことでしたとさ。(難しかったー!)

 

おなじみ幸田露伴著「努力論」に関する素人講釈でございました。

 

 

努力論 (岩波文庫)

努力論 (岩波文庫)

 

 

雪のように冷たく、だけど雪のように美しい物語の話。

 

雪の断章 (創元推理文庫)

雪の断章 (創元推理文庫)

 

 

えー、相も変わりません。本日もまた、ちょっとした小話にお付き合いいただきたく。

 

本日は雪原の中に兎が描かれた書影のこの作品をご紹介させていただきたいのでございます。

 

そこは札幌のとある公園。5歳の女の子、飛鳥は迷子になって途方に暮れていました。そこに現れたのが一人の青年、彼は飛鳥の手を優しく取って、そして「どこから来たの? おうちはどこ?」と尋ねます。

 

飛鳥は「あすなろ学園」と答えました。彼女は身寄りのない孤児だったのです。

 

青年は飛鳥を無事施設まで送り届けました。そして、名前も言わずに去っていきます。

 

飛鳥は思うのです。なぜあの時、私はあの見知らぬ青年をあんなにも信頼したのだろう、と。そしてそれからというもの、飛鳥にとってその青年は「優しさ」の象徴となったのでした。

 

7歳になった時、飛鳥はある大金持ちの家に使用人としてもらわれることになりました。その家には主人とその奥さん、そして聖子と奈津子という二人の娘と幸枝というお手伝いさんがいました。

 

その家ではどれだけ働いても、決して自分の時間ができるということはありませんでした。ある日もう少し早く自分の部屋に帰ってもいいかと尋ねると、次の日からは仕事が倍になってしまいました。そうして飛鳥が働いていても、誰も手伝ってくれようとはしません。それどころか飛鳥は自分の背後から嘲笑うような視線を感じていました。ここはそういう家なのだ、と飛鳥は観念します。

 

飛鳥と次女の奈津子は同じ学校に通っていました。学校でも奈津子は飛鳥を使用人扱いし、飛鳥がそれに反抗すると、決まって家に帰ってから叱られるのは飛鳥でした。

 

ある日飛鳥は買い物のついでにふらりと、あの青年と出会った公園に立ち寄ります。そうしてまた会えたらいいなと願っていると、そこにあの青年が現れたのです。

 

飛鳥と青年は少しだけ話をします。青年は飛鳥が奈津子のために買い物をしていることを知ると、「そうか、お嬢さんのスリッパを君が買いに来てあげたのか。いい子だぞ」と言いました。飛鳥はこのことを心の支えにして、またこの家で頑張っていこうと決心します。

 

しかし、7歳になった時でした。飛鳥は奈津子と喧嘩をし、家を飛び出してしまいます。そうして当てもなく歩きながら、あの公園へと向かうのです。またあの青年に会えたらいいのに、と。

 

その時に、奇跡が起きたのです。飛鳥はその公園で、あの優しくて、飛鳥に生きる力をくれた青年と出会うことができたのでした。もう家には帰らない、と飛鳥は青年に言いました。

 

「一晩だけでも泊めてくれる友達はいるかい?
「いません」
「親戚は?」
「いません」
 冷たい風が吹き付けて思わず大きな体の蔭に隠れた。
「俺のアパートはいやかい?」
 びっくりして見上げるとにっこりした。
「来るか?」
「うん!」
 急いで腕につかまると、頭に手をやりながら声を出して笑った。

 

そうして飛鳥はひどい差別を受け続けた本岡家から離れ、この青年と二人で暮していくことになるのです。

 

青年の名は滝杷祐也と言いました。祐也の部屋には親友の史郎という青年が頻繁に訪れます。この史郎という青年は口は悪いものの心の優しい青年でした。そして二人とも、飛鳥をまるで娘のように、妹のように接してくれます。

 

またそのアパートの管理人のおじさんも、飛鳥のことを自分の娘のように可愛がってくれました。

 

中学生になると、厚子さんという若い女性が同じアパートに越してきました。彼女は飛鳥にとって、まるでお姉さんのような存在になります。

 

そうして飛鳥は幸せな生活を手に入れます。生まれてきて初めて、自分は幸福だ、と感じるようになりました。ところが、高校に入学した時、彼女は再びあの自分をいじめ、虐待した本岡家と関わらざるをえなくなってゆきます。

 

まず、飛鳥と同い年だった奈津子が同じ高校に入学し、しかもクラスメートになります。さらにアパートには奈津子の姉の聖子が越してくることになるのです。

 

このことから事態が思わぬ方向に向かい始めます。それはアパートの住人たちで催したクリスマスパーティでのこと。

 

この会には聖子も参加したのですが、会をお開きにした直後、聖子が誰かに毒殺されてしまうのです。

 

アパートに刑事が訪れ、真っ先に疑われたのは飛鳥でした。なぜなら彼女は本岡家に強い恨みを抱いていたし、そして飛鳥が聖子のところに持っていったコーヒーの中から硫酸が発見されたのだから。

 


さて、そうして飛鳥が成長するにつれて祐也と飛鳥を中心とした周りの人々の関係が少しずつ変化していきます。

 

飛鳥は真犯人に気付くのですが、それは、受け入れがたいほどに悲しい現実なのでした。

 


飛鳥が祐也の部屋に来てすぐの頃、史郎が飛鳥にある外国の童話の話をします。それはマルシャークの「森は生きている」。ある孤児の少女が森の中で十二の月の妖精と出会い、そしてその中で四月の妖精と恋に落ちる、そんな物語です。

 

この物語はまるでその作品をなぞるかのように進んでいきます。でも、この物語はその童話よりもずっと冷たい、まるで雪のように。

 

白くて美しい雪は主人公の純粋であろうとする心と、そして儚い彼女のまわりの人間関係を象徴するようです。

 

冬を愛する人は優しい人、と言いますね。優しい人ほど傷つきやすいがゆえに、純粋さと儚さを愛おしむのでしょう。

 

冬を愛するあなたにそっとおすすめしたい、そんな一冊なのでございます。

 


おなじみ佐々木丸美著「雪の断章」に関する素人講釈でございました。

 

雪の断章 (創元推理文庫)

雪の断章 (創元推理文庫)

 

 

アンドレ・ブルトンの失恋の話。

 

ナジャ (岩波文庫)

ナジャ (岩波文庫)

 

 

先日の「シュルレアリスム宣言;溶ける魚」に引き続き、遂に本丸の「ナジャ」でございますが、本作はまあ、一言で言えば芸術家アンドレ・ブルトンの失恋物語なのでして。

 

まずはあらすじをばばっとご紹介しましょう。

 

主人公である作者はある日、一人の美しく、奇抜なメイクをした少女と出会います。彼女は自らを「ナジャ」と名乗りました。本名は分かりません。しかし本人が「私はナジャよ」というのだから、彼女の名は「ナジャ」なのでございます。

 

ブルトンとナジャは互いに惹かれあい、逢瀬を重ねます。ナジャという少女は、言うなればブルトンにとって理想の女性であるとともに、本物のシュルレアリストでもありました。シュルレアリストであるとはどういうかというと、論理に支配された現実を超越した主観的な現実に生きている存在なのですね。

 

ナジャはブルトンに言います。「あなたは私のことを小説に書くわ。きっとね」と。

 

その小説こそがまさにこの物語なのでございますが、しかしこの物語は悲劇的な結末を迎えるのです。というのは、ナジャはその行動があまりに奇抜であったがゆえに、シュルレアリストであったがゆえに、精神病院へと入れられてしまうのですね。

 

そのことを誰も止めることはできなかった。そうして二人の恋は終わってしまった、という、そんな物語なのでございます。

 


で、重要なのはこの物語が作者の「恋物語」であるということだと思うのです。

 

この物語の冒頭で、作者は「主観」と「客観」についての考察を述べるのですが、そのことからも分かるように、そして「シュルレアリスム宣言」や「溶ける魚」が「夢」を「超現実」の象徴としたように、ブルトンにとって現実を超えた現実というのは、「主観的」なものなのです。

 

そう考えると、「恋」というものもまた、とても「主観的」なものだと言えるでしょう。

 

「夢の話」と同じように「恋の話」というものも、本来極めて個人的なものですよね。自分が見た夢や自分の恋にはみんな興味があるけれども、他人の夢や他人の恋には興味がないというのが普通の人の態度なのではないでしょうか。だからこそ世の中には「一般論」なるものがあるわけです。

 

しかしそうではない、というのがブルトンという人のちょっと変わったところでして。自分が主観的なのは当たり前として、他人の主観もまた面白い、と。一般論なんてクソくらえというのがブルトンの世界に対する態度なわけでございます。

 

しかしこの物語は「失恋」の物語なのですねえ。それは言い換えるならば、この作品によってブルトンはナジャとの恋に挫折したことを物語っているのと同時に、実は彼自身が理想の美と考えたシュルレアリスム、超現実に対しても挫折した、という物語なのでございます。

 

シュルレアリスム宣言」においてブルトンは「私たちはみな論理に支配されている」と、そしてそこからの脱却こそが真の美に至る道だ、と唱えたわけですが、実はこの作品が描いているのは、「やっぱりそれは無理でした」という話なのです。

 


そのことを証明するかのように、本書は最初1928年に発表されるのですが、1963年に改訂版が出版されることになれます。この改訂版が岩波文庫なのですねえ。

 

しかしですよ、そもそもブルトンは「自動筆記」をやり出した人なのです。完全に主観的な物語を描くために、論理から脱却するために、考える前に書く、ということをし、そのことによって彼の芸術は美に近づくはずだったのにもかかわらず、この作品においては発表から40年近くたった後に「改訂」しているのです。つまりこの物語を「客観的」で「論理的」なものにしようとしているわけです。こんな矛盾はありませんよね。

 

岩波文庫に収められている改訂にあたって新たに加えられた「序言」で、ブルトンは言います。

 

「主観性と客観性とは、人間の一生のあいだに一連の闘いをまじえるものだが、たいていの場合、前者はまもなく具合がわるくなって退出してしまう。三十五年をへたのちに(本当だ、変色している)、客観性に対して私がはらおうとしているちょっとした配慮は、よりよく語ることへの多少の敬意を示すものにすぎない」

 

シュルレアリスム宣言」において現実性を重視するがゆえの合理主義をブルトンは激しく攻撃したわけですが、実はそのブルトン自身がここにおいて主観性という「私」の問題に帰着している(合理主義の始祖であるデカルトの有名な言葉が「我思う、故に我あり」でした)ところはとても興味深いものと言えるでしょう。

 


なんだかうまく頭のなかがまとまらないのですが、最後にもう一度「恋」について考えることでこの文章を閉じたいと思うのです。なぜブルトンは自らの考えを否定しているように見えかねない「改訂」を行ったのか、と。

 

一般論で言うと、「恋」と「愛」とは異なるものです。「恋」は一方的な思いであり、「愛」は相互的なもの。「恋」は「主観的」であり、「愛」は「客観的」である、と言い換えることもできるのではないでしょうか。

 

シュルレアリスム宣言」も「溶ける魚」も、そして最初に発表された「ナジャ」も、ブルトンにとっての「恋」物語だったのでしょう。しかし最終的にブルトンはこの「恋」を「ナジャ」の改訂によって否定するのです。

 

ではこれは、彼が「恋」から「愛」へと立場を代えた、主観よりも客観を重要視する立場へと転向したことを表すのでしょうか。やはり彼自身も、彼が「シュルレアリスム宣言」で激しく非難した現実に敗北した合理主義者へと変貌してしまったのだ、と、そういうことなのでしょうか。

 

もしかしたら、そうではないのかもしれません。彼はもしかしたら最終的に「恋」でも「愛」でもないもう一つの何か、そういうものを描こうとしたのではないか。そしてそれこそが彼にとっての「ナジャ」であり、「シュルレアリスム」であり、「至高の美」であると。

 

「要するに、それはつまり、なんだよ」と、現実的なあなたは仰るかもしれません。でも、それをどんな言葉で、どう表現すればいいのでしょうか。多分、そのことを表す言葉というのはこの世に存在していないのです。この物語が示そうとした、その答えを表現する言葉は。

 

あるいはもしかしたら、その言葉はこの物語の最後の一文に象徴されているのしれません。

 

「美は痙攣的なものだろう、それ以外にはないだろう。」

 

この謎めいた一文の答えは、あなたの「主観的」な世界にしか存在しない。でもそれが存在することをあなたが誰かに伝えたいと思ったならば、あなたは何らかの「客観的」な方法を受け入れるしかないのです。

 

それは言うなれば、私たちはこの世界に、この現実に生きている限り、「主観的」に恋をして、そして「客観的」に失恋するものなのでしょう。そしてその代わりに「愛」を手に入れる。

 

それはそれで、素晴らしいことかもしれません。だけどブルトンが描きたかったものは、もしかしたらその先に、恋を超えた何か、失恋を超えた何か、恋でも愛でもない、そんな何かがあるとしたら、それこそが「超現実」なのではないか、という、そういうことだったんじゃないか、なんてことを思うのでした。

 


おなじみアンドレ・ブルトン著「ナジャ」に関する素人講釈でございました。

 

 

ナジャ (岩波文庫)

ナジャ (岩波文庫)

 

 

オタマジャクシの夢は夜ひらく話。

 

シュルレアリスム宣言・溶ける魚 (岩波文庫)

シュルレアリスム宣言・溶ける魚 (岩波文庫)

 

 

えー、『ナジャ』を読みたいと思っているのでございますが、ご存じの方も多いでしょうがこの作品はどうにもとっかかりが難しい。そこで、まずは本日ご紹介する「シュルレアリスム宣言;溶ける魚」から読み始めてみたいと思う次第なのでございます。

 

まあ言うなれば、「一見怖そうな兄ちゃんもその生い立ちを知れば『なるほど、兄ちゃん苦労してんだね』ということで親近感わいちゃったりするよね」作戦なのでございます。

 

というわけで本日は本書を繙きながら、「そもそもシュルレアリスムとは何か」というお話をしたいわけでございまして。

 

ちなみに「シュール」という言葉はもう最近ではごく普通に使われる言葉でございますね。この「シュール」という言葉から多くの方が連想されるのは「不条理さ」とか、「不可思議さ」とか、そういう感じではないでしょうか。

 

この「シュール」は「ガロ」に連載していた蛭子能収の作品をそう評したことから始まったそうで、私なんかはよゐこのコントなんかでその言葉を初めて聞いた気がします。

 

そのことから、もしかしたら現在では「シュルレアリスム」というものは、何か不条理なものを描いた芸術、何かちょっと変なものを描いた芸術、という風に思っている方が多いかもしれません。

 

でも実は「シュルレアリスム」と今一般に使われている「シュール」とは似て非なるものなのでございます。そもそも「シュルレアリスム」を日本語に訳すと「超現実」なわけでございますからね。なんで「超」が「シュール」なのか、ということが問題なわけでございます。

 

で、本書の冒頭に収められている「シュルレアリスム宣言」とは、まさにアンドレ・ブルトンが「シュルレアリスムとは何か」ということを自ら説明している宣言文なのでございます。

 


本書においてブルトンはまず、レアリズムを否定します。現実主義、あるいは自然主義、あるいは合理主義、そういったものはすべてまやかしにすぎないと。

 

そして、例えばドストエフスキーの「罪と罰」のこんな部分を引用するのです。

 

「青年が通された小部屋は、黄いろい壁紙がはりめぐらされていた。窓辺にはゼラニウムの鉢がいくつかと、モスリンのカーテンがあった。夕陽がそれらすべての上に、どぎつい光をあびせていた。……部屋のなかには特別なものはなにもなかった。黄いろい木の家具は、どれもひどく古びていた。そりかえった背もたせのある長椅子がひとつ、その長椅子とむかいあう楕円形のテーブルが一つ(中略)――これが調度類のすべてであった。」

 

この描写は、恐らく現実主義的な、自然主義的な価値観では「細密な風景描写」といわれる部分でございます。こういう細密な描写によって、この作品のリアリティはより高まっているのだ、と。

 

しかしブルトンは言うのです。「これは、小学生のスケッチにすぎない」と。

 

というのはですね、ブルトンに言わせれば、「現実」というものはそもそも「細密に描写」することが不可能なものだからです。

 

それがどういうことかと言うと、今私のこの文章を読んでいるあなたの目に映っているものを考えてみてください。スマホで見ているのか、パソコンで見ているのかは分かりませんが、今あなたの目に映っているのは私が今書いている文字だけではないでしょう。スマホなりパソコンのモニター部分や、もしかしたらその奥にある風景も、目に入っているのではありませんか?

 

でも、私がそのことを指摘するまで、あなたはそのことを意識していなかったでしょう。自分の目に映っているのはただ文字だけのような、そんな風に意識していたのではありませんか?

 

ところが、実際にはそうじゃないですよね。私たち人間は「見る」という行為一つとってみても、実はとんでもなく多い情報の中から必要なものだけを取捨選択しているわけです。

 

そう考えると、果たして本当に現実を描写することなんてできるのか、ということになりはしないでしょうか。「客観」なんて一体どこに存在するのでしょう。

 

じゃあどうすりゃいいんだよ、ということになるわけですが、そこでブルトンは言うのですね。「ここでフロイトだよ」と。

 

なぜならフロイトこそが、世界で初めて「無意識」というものを発見したからです。

 

フロイトが提唱したのは、人間には「有意識」のほかに「無意識」というものがあり、実は私たちの「有意識」の世界は「無意識」の世界に影響を受けている、というものでした。いわゆるトラウマ、コンプレックスというやつですね。

 

私たちは通常自分のことは自分の理性でコントロールできる、あるいはしなければならないと思っているけれど、そういう考えこそが無意識におけるトラウマやコンプレックスという情動を生むのだし、また私たちが自分でコントロールできていると思っている理性は、本当は無意識の情動によってコントロールされている、と。

 

ではこの無意識とは、どんな世界なのでしょうか。それは、私たちが眠っている時に見る「夢」に現れます。

 

例えば、ちょっと私の夢の話をさせてください。他人の夢の話ほどつまらないものはありませんが、そこはどうかご容赦いただきたく。

 

それは、こんな夢でした。

 


私が高校生の頃に見た夢です。私は小学校の時の教室にいました。でも、周りに座っていたのは、その時(高校時代)の自分のクラスメイト達でした。

 

先生が教室に入ってきます。その先生は、昔近所に住んでいたおばさんでした。

 

私はしばらくすると立ち上がり、窓の方へ向かいました。授業がつまらなかったのか、何か変なことをして目立とうと思ったのか、そのあたりは今となっては覚えていませんが。

 

そして私は窓を開け、建物の5階にあったその教室から飛び降りたのです。

 

私はその瞬間、「まずい」と思いました。このまま落ちたら怪我をしてしまう、と。そこで私はこの落下速度を緩めようとして、壁を蹴りながら、少しずつ下へ降りて行ったのです。そして私は無事に怪我することなく、5階から地上へ飛び降りることができたのでした。

 


こんな夢です。この夢の中では、「現実」の様々な「論理」が否定されています。まず最初に時間の論理、なぜ私が小学校の頃の教室にいるのか、なぜその場所に高校時代のクラスメートたちがいるのかということ。

 

そして人間関係の論理もおかしいですね。なぜ近所のおばさんが先生なのか。

 

更に物理的な論理も変です。5階から飛び降りたらふつうは怪我をするものです。私が夢の中で対処したようなことは、出来るはずがありません。

 

しかし夢の中ではそれが起こっていたのでした。そしてこれが最も重要なことですが、この不思議な夢の中で私は、そのことを不思議とも思わずに受け入れていた、ということなのです。

 

この夢の世界と同じように、私たちには現実的な論理が通用しない世界と言うものを、人それぞれ自分の心の中、無意識の中に持っているのですね。

 


ここでもう一人、本書では言及されていませんが「シュルレアリスム」を理解するために私が重要だと考えるもう一人の人物をご紹介しましょう。その人とは、「論理哲学論考」で有名な、ヴィトゲンシュタインです。

 

ヴィトゲンシュタインは「語りえぬものについては沈黙しなければならない」という言葉でとても有名ですね。この言葉が一体何を意味しているかと言うと、それは「私たちは世界を論理的にしか理解することができない」ということなんです。

 

私たちが理解できるものは必然的にすべて論理的である。もし論理的でないものがあれば、私たちはそれについて理解することはできない。

 

論理と言うのは、言い換えれば「秩序」であり「関係性」です。つまり私たちは眼の前の様々な事象を「関係性」によって「秩序付ける」という行為=「論理」によって認識することしかできないのです。

 

だから先ほど私が指摘したように、普通私たちはその時その時において自分にとって必要のない情報、あるいは無関係に思われる情報については認識できないようになっているわけです。今あなたが私の文章を読むにおいて、あなたのスマホかあるいはパソコンのモニターのフレームの部分が何色か、なんてことは必要のない情報だから見えなくなっているのですね。そんなことを意識しながら今この文章を読むということは誰にも「できない」のです。

 

ブルトンは言います。「私たちの現実は論理に支配されている」と。逆に言えば私たちは、広い世界の中で論理的につじつまの合うものだけを「現実」と認めている、ということにもなります。

 

この私たちが「現実」と認めている世界、それこそがアンドレ・ブルトンの言う「ドストエフスキーが描く『現実』」の世界であり、フロイトが言う「有意識」の世界であり、ヴィトゲンシュタインが言う「論理」の世界です。

 

でも実際にはその現実の外にも、論理の通じない広い世界が存在しているのですね。そしてブルトンは、そういう世界をこそ芸術は描くべきなんじゃないか、と言うのです。

 


だからこそ「シュルレアリスム」は「超現実」なのですね。現実を超えた現実、現実の外にある現実、論理が通用しない現実を描くことが「シュルレアリスム」なのです。

 

そしてそこで描かれたものが「不条理」だったり「不可思議」だったりするのは、そもそも私たちが「論理」に縛られているからなのです。その「不条理さ」や「不可思議さ」は表象であって、目的ではないわけですね。

 


じゃあ、それをどうやって描けばいいんだよ、という話になるわけで、ここでブルトンは「自動筆記」という方法を考えます。本書に収められている「溶ける魚」はまさにその方法で描かれた物語です。

 

自動筆記というものがどういうことかというと、簡単に言えば「考える前に書く」ということです。

 

なぜなら私たちは「考える」という行為を頭の中で「文章を思い浮かべる」ことによってしかできないからですね。文章じゃない方法でものを考えられる人は存在しないわけです。

 

その意味で言えば、文章というものこそ、まさに「論理」だと言えます。ヴィトゲンシュタイン風に言えば、論理的でない文章なんて存在しない。もし論理的でない文章があれば、私たちはその文章について理解することができないわけです。

 

ところが文章というものは面白いもので、文章というものは必然的に論理的でなければならない一方、どんな言葉の組み合わせであってもそれが文章としての必要条件を備えていれば、文章として、論理として成立してしまうのです。

 

例えば私が「私はオタマジャクシである」と言ったとします。もちろん私はオタマジャクシじゃありません。人間です。でも、人間である私が「私はオタマジャクシである」と言ったり考えたりすることは可能なのですね。

 

だからこそ、ブルトンは私たちが常識とか、通説とか、そういう後天的な、経験的な論理によって自分の考え=文章が影響を受ける前に文章を考えてしまうことによって、「私はオタマジャクシである」と何の意図もなく、何の意味もなく表現してしまおうとしたのです。そのことによって私たちは、文章という「論理」の力を使って逆に「論理」に支配された現実を超越することができる、と。

 

本書に収められた「溶ける魚」はタイトルからしてまさにそうですね。魚は溶けません。普通はね。でも「溶ける魚」という言葉は文章としては成立しているわけです。

 

で、この「溶ける魚」はそういったやりかたで描かれた短いストーリーの集まりです。稲垣足穂の「一千一秒物語」のような、あれをもっと夢想的にしたような感じです。

 

そしてこの「溶ける魚」という作品群を読めば、読者は不思議な感覚を味わうことでしょう。まるで夢を見ているような、そういう感覚です。

 


さて、そういうわけで、「シュール」と「シュルレアリスム」は違うんだよ、という理屈について私はここまで述べてきたわけでありますが、そもそも「シュルレアリスム」が論理からの超越であるならば、ここまで私が書いてきたこともまた、私が勝手に取捨選択した現実の関係づけによる代物以外の何物でもありません。そして「シュルレアリスム」とは、そんな論理からの超越をこそ目指すものなのでしょう。

 

であるならば、もしアンドレ・ブルトンがここまで私が書いたものを読んだならば、きっと嫌な顔をすることでしょうね。「なんだ、これは」と。

 

そして、「罪と罰」ですら「小学生のスケッチ」と切り捨てた彼のことですから、私の文章なんかはもうきっと、こんな風に評すのだろうなと、私は夢想するのでございます。

 

「こんなものは、まだ人間になる前のオタマジャクシが描いたスケッチにすぎない」と。

 

おなじみアンドレ・ブルトン著「シュルレアリスム宣言;溶ける魚」に関する素人講釈でございました。

 

 

シュルレアリスム宣言・溶ける魚 (岩波文庫)

シュルレアリスム宣言・溶ける魚 (岩波文庫)

 

 

「フランケンシュタイン」が生まれる源泉となった二つの詩の話。

 

コウルリヂ詩選 (岩波文庫 赤 221-1)

コウルリヂ詩選 (岩波文庫 赤 221-1)

 

 

1816年、スイスのレマン湖畔にバイロン卿が借りていた別荘にメアリー・シェリーら5人の男女が集まり、それぞれ怪談を披露し合いました。これが後に『ディオダディ荘の怪奇談義』と呼ばれるものであり、「フランケンシュタイン」はこの時の着想を元に生まれたと言われております。

 

この別荘でバイロン卿がある詩を朗読していたところ、メアリーが冷や汗をかき、大声を出して気絶してしまったというエピソードが伝わっているのですが、このメアリーを気絶させた詩こそ、本日ご紹介したい「コウルリヂ詩選」に収められている「クリスタベル姫」なのでございます。

 

サミュエル・テイラー・コールリッジは1772年生まれのイギリスのロマン派詩人であり、詩のほかにも批評や哲学の分野でも大きな功績を遺しています。

 

詩人としては1798年にワーズワースとの共著として刊行された「抒情民謡集」が有名です。コールリッジはワーズワースと比べると、よりロマン派的と言いますか、どこか死の影や退廃的な香りのする作風が多いように思われます。

 

この「抒情民謡集」はコールリッジの「老水夫行」という長詩から始まり、この「老水夫行」もまた、「フランケンシュタイン」と深く関わりのある詩なのでございます。

 

本書にはその「老水夫行」と「クリスタベル姫」のほか短詩が三編おさめられていますが、今回はメアリーを気絶させた「クリスタベル姫」と「フランケンシュタイン」にも登場する「老水夫行」についてご紹介いたしましょう。

 


「クリスタルベル姫」

 

裕福な男爵リオライン卿の屋敷に、一人の姫君が暮らしていました。彼女の名前はクリスタベル。美しい娘へと成長した彼女は未来を誓った騎士が無事に帰ってきますようにと、真夜中に城を抜けだして、そっと祈りに向かうのでした。

 

そんな彼女はある夜のこと、一人の美しい女性と出会います。しかしこの女は髪も乱れて外なのに裸足、しかも服は破れ放題。一体何があったのかと問いかけてみると、女は言うのでした。

 

「わらはの父は貴族にて
 わが名はジェラルダインなり、
 昨の朝けに五人の戦士どもが吾を捉へ、
 このよるべなき乙女を捉へ、
 力づくにておびやかし 我が叫びごゑ押しとどめ、
 白馬の上にわを縛りぬ。」

 

どうやらこの女性、ジェラルダインは由緒ある貴族の娘だったものの、父が部下たちに裏切られ、命からがら逃げてきたとのこと。

 

憐れに思ったクリスタベルは彼女を城へと招き入れます。ところがこの女ジェラルダイン、実は魔女だったのでございます。

 

「わがこの胸に觸るるとき呪縛の力はたらきて
 そなたの言葉を支配せん、クリスタベルよ!
 今宵知り、明日もそなたは忘るまじ、
 わが恥の、はた悲しみのこれの證跡(しるし)を。」

 

さて、呪いをかけられたことに気付かないクリスタベル姫は、父の元へとジェラルダインを誘います。そして父に彼女の仇を取ってくれるよう頼むのです。

 

父のリオライン卿はこの話を聞いて驚きます。というのもリオライン卿とジェラルダインの父はかつて友人であったものの、ふとしたことから互いにいがみ合うようになり、今では音信不通となっていたからなのです。

 

リオライン卿は娘の頼みを聞き入れ、このジェラルダインの保護を約束します。そしてジェラルダインの父トランド卿に娘を迎えに来るようにとの伝言を、吟遊詩人のプレイシイに命じました。

 

しかしプレイシイはこの命令を断ります。そして言うのでした。

 

「夢の中にてわれ行きて
 探したるかに思はれぬ、何かあたりにあらざるか、
 地上に落ちて羽ばたける
 美しき鳥の苦しみは何の故ぞと探りみぬ。
 かくして行きてみたれども
 苦しき叫の原因(もと)となる何ものもわれ認め得ず、
 されどもやさしの姫ゆゑに
 われはかがみてその鳩を 手に取りみれば、
 見よ! そこにかがやく緑の蛇一つ、
 鳩の翼と頸(うなじ)とに捲きつきゐたるをわれは見ぬ。」

 

怒ったリオライン卿はプレイシイを追い出してしまいます。

 

さあ、そうして魔女のジェラルダインはまんまと城の中にもぐりこむのですが、ジェラルダインの目的は一体なんでしょうか。そして、果たして心優しき乙女のクリスタベル姫は一体どうなってしまうのでしょうか?

 


……ということなのですが、実はこの詩、ここまでなのでございます。この物語の続きは述べられていないのですねえ。

 

うーん、確かにこんなところで終わられたら、聞いている方は発狂してしまうかもしれません。なんか、嫌な予感だけが心に残る一編なのでございます。

 


「老水夫行」

 

ある婚礼会場のパーティに、一人の老人が現れます。この老水夫は自分は花婿の血縁近いものだから中に入れろ、と客の一人に言うのです。

 

「誰だ、このジジイは?」と皆が注目する中、老水夫は婚礼会場の中に入り、そして語り始めるのです。

 

それは彼が現役の水夫だった頃のこと。船は朝日を浴びて港を出ます。これから冒険が始まるのです。

 

最初は訝しがっていた客たちも口笛を吹き、その物語に耳を傾けます。

 

老人は話し続けます。

 

「その時暴風襲い來りて、
 したたかに暴威をふるひ、
 追ひつき來る翼もて撃ち、
 我らを驅りて南にやりぬ。」

 

船は嵐に襲われて、南極へと漂流してしまうのでした。

 

「やがて雪降り、霧立ちこめて、
 驚くばかり寒くなりたり。
 帆檣(はしら)と高く、綠玉(たま)と靑き、
 氷の山は浮び來れり。」

 

氷に囲まれた世界の中で、船員たちは精神的に追い詰められていきます。

 

そんな時、氷の透き間から、一羽のあほうどりが飛び立ったのでした。

 

この鳥は吉兆でした。この鳥を追って船を進めることで船は無事に南極から脱出し、無事北方へと向かうことができたのです。

 

しかし、そうして無事に危機を脱出すると、老水夫はこのあほうどりを撃ち殺してしまいます。

 

「諸人いはずや、そよ風吹かせし、
 鳥殺ししはわれなりと。
 彼等は曰く、そよ風吹かせし、
 鳥殺ししは何たる罪人(つみ)ぞと。」

 

このことから、船はまた苦難が続くこととなりました。

 

風がぴたりと止んで、大海原にどこへも動けずに何日も漂流してしまいます。

 

やがて船の中の水も尽きてしまいました。しかし一向に雨が降る気配はありません。周りに水はたくさんありますが、もちろん海水だから飲めるわけがありません。

 

「悲しや、老いしも若きもなべて
 まことに凄くわれを見つめき。
 十字架に代えてあほうどりは
 この頸筋に打ち懸けられぬ。」

 

食べるものも水もなく、どこへ行くこともできずただ漂流するだけの毎日が続きます。やがて幽霊船の幻覚を見るようになり、そして船員たちが一人、また一人と命を失ってゆくのです。

 

婚礼に集まった客たちは言います。「じいさん、ちょっとあんたの話はこの場にはそぐわないんじゃないか?」

 

しかし老水夫はそんな言葉には構わずに、まだ話し続けるのでございます。

 

漂流を続ける老水夫に、空から二つの声が聞こえてきます。

 

「一つの聲いふ、「これなりや彼、
 十字架に死せる主に誓ふ――
 むごき弓もて彼射落とせり、
 罪もあらざるあはうどり
 
 霧と雪との國にただひとり、
 住みわぶる南極精は、
 弓をもて己れを射たる
 人を愛せし鳥を愛せり。」

 他なる聲は更にやさしく
 甘露の如くやさしく言へり。
 「かの者今や苦患(くげん)を遂げて、
 更に再び苦患を爲さむ」と。」

 

そうして老水夫は何とか故郷に帰りつきます。その船の中のたくさんの彼の同僚たちの死骸と共に。

 

老水夫は助けられ、故郷の国の隠者に自らにかけられた呪いを解いてくれるように頼みます。

 

「「聖者よ、乞ふ、わが悔いを聞け。」
 隠者は額に十字架切りぬ。
 彼いふ、「疾く言へ、言へとぞ命ず――
 そもそも汝は如何なる者ぞ。」」

 

自らの罪を告白することにより、この老水夫は救われることとなりました。しかし一方でこの老水夫はそれからの人生を、この罪を語り続けなければならなくなったのです。

 

老水夫は話を終え、その場を立ち去ります。

 

しかし老水夫の物語を聞いた客たちはみな茫然として、その婚礼の場に立ち尽くすのでありました。

 


フランケンシュタイン」においてこの「老水夫行」はこのように登場します。

 

「僕は、先人未踏の地へ、「霧と雪の国」へ行こうとしていますが、信天翁(アホウドリ)は殺しません。したがって、僕の安否を気づかったり、コールリッジの「老水夫」のように痩せさらばえたみじめな姿で戻って来はしないかと心配なさったりはしないでくれませんか。」

 

これは物語の冒頭に登場するウォルトンという青年の手紙の一部分です。

 

そう、確かにウォルトンは老水夫ではないのかもしれない。しかし彼はこの後「彼にとっての老水夫」と出会うことになることを、この部分はあらかじめ提示していると言えましょう。ヴィクター・フランケンシュタインという、老水夫と。

 

そして面白いのは「フランケンシュタイン」という物語が、この「老水夫行」と同じように、「呪いを受けた者の物語」ではなく、「呪いを受けた者の物語を聞いた者の物語」となっている点です。

 

問題は、老水夫の行為そのものではなく、その話を聞いた読者が何を感じ、どう判断するかの方にある、と。

 

メアリー・シェリーはそのことを感じ取っていたからこそ、あえて同じ物語の構成を採用し、そしてそのことをこの冒頭の部分で明らかにしているのかもしれません。

 

「老水夫行」も、そして「フランケンシュタイン」も、もしこれらの物語に何か「答え」と呼ぶべきものがあるとするならば、それは私たち読者自身の中にあるのかもしれませんね。

 


おなじみサミュエル・テイラー・コールリッジ著「コウルリヂ詩選」に関する素人講釈でございました。


と、いうわけで、私には私の、そしてあなたにはあなたの「フランケンシュタイン」があることでしょう。私、哀愁亭味楽は本が好き!というサイトにて、現在

「フランケンシュタイン」をみんなでゆっくり読んでいく会【本が好き!】

という掲示板を開催しています。毎週日曜日に青空文庫の「フランケンシュタイン」から4000字(大体このレビューと同じくらいの分量です)ほどのテキストを投稿し、1年ほどかけてゆっくりとこの作品を読んでいこうという企画です。

 

フランケンシュタイン」を読んだことがないというあなたはもちろん、もう読んだ、という方も一緒にこの作品を1年かけてゆっくり読んでいきませんか? まだ現在3週目、始まったばかりでございます。皆様のご参加を心よりお待ちしております。

 

 

コウルリヂ詩選 (岩波文庫 赤 221-1)

コウルリヂ詩選 (岩波文庫 赤 221-1)

 

 

夏目漱石は猫であった話。

 

私の個人主義 (講談社学術文庫)

私の個人主義 (講談社学術文庫)

 

 

えー、相も変わりません。本日もばかばかしい話を一席、お付き合いいただきたく。

 

本書はですね、有名な学習院大学漱石先生がまだ若い学生たちに向かって語った講義なのでございますね。

 

まあその講義をですね、本日は最初から最後まで私なりに解剖しちゃおうかと思っている次第でございますが、まず最初に漱石先生が始めるのは、この講義をするに至ったいきさつの話なのですね。

 

で、この講義の前に「岡田さん」という方が先生の紹介をして、漱石先生は登壇されるわけですが、漱石先生曰く、この岡田さんから話があって、一度は断ったもののそれを受けることとなった、と。

 

引き受けたはいいものの、まあ色々あって、病気にもなったりしてこの話はなくなったものだろうと勝手に思い込んでいたら、岡田さんが長靴を履いて現れて十一月にはよろしく頼む、ということで、ああそうなのかとまた引き受けた、と。

 

でも面倒臭いから何を話そうか考えてなかった、その間絵を描いて不愉快な思いをして暮らしていたから、何の話をしようかまったく考えていませんでした、というのが最初の話でございます。

 

これがもうすごいなと。さすが漱石先生は元教師でいらっしゃると私は思うのでございます。

 

いや、と言っても、はっきり言って私この最初の話全然面白いとは思わないんですよ。どこが面白いんでしょうね。第一岡田さんて誰やねん。

 

でも、きっとこの講演では違ったのでしょう。大体ですね、学生に一番ウケるネタと言えば、それはその学校の先生ネタなのでありまして、だからおそらく、この最初の話の部分でも「岡田さんが長靴履いて現れたんです」ってところでもう、会場はドッカンドッカン爆笑の嵐だったのでしょう。きっとね。

 

まあそうやって最初から掴みはオッケーなところが、私がさすが漱石、と勝手に思っているところでございます。

 

で、この次の話というのが、秋刀魚の話なのですね。この秋刀魚の話というのが、漱石先生が昔落語家から聞いた話なのだそうですが、ある大名が鷹狩りに行った、と。で、お腹が空いたから百姓の家に行って何か食わせてくれ、と頼んだら、秋刀魚が出てきた、と。その秋刀魚がとてもうまかったので大名が帰ってから家来に作るように命じたのですが、この家来は大名様が召し上がるものだからと丁寧な調理法で料理をしたものの、大名はこれが美味しくない。そういう話でございます。

 

で、漱石先生は言うのですね、あなたがたにとっては私なんてものはこの秋刀魚のようなものでしょう、と。つまり私の話はあなた方の関心ごと、成功とか、出世とか、そんなものには何の役にも立ちませんよ、と言っているわけですね。

 

この秋刀魚の話というのが、ちょっとした小話の様でありながら実は後の話の伏線になっているわけですが、そのことはまた後ほど。

 

で、ここまでがいわば前置きのようなものですね。落語で言えばまくらです。もし漱石先生が落語家だったならば、ここで羽織をシュッと落とすところでございます。

 

さて、ここからこの講演の本題が始まるわけですねえ。
 


その本題というのが、まず漱石先生の若かりし頃の話から始まります。学校を卒業して、教師になって、イギリスへ留学して、帰ってきて作家になったという話でございます。

 

まあこれがね、一言で言えば「私、ずっとふらふらと生きてきました」という話なのですね。ちゃんと計画を立ててきたわけでもないし、真面目に生きてきたわけでもない。何となく、適当に生きてきたんです、というわけです。

漱石先生は言います。

 

「私はこの世に生まれてきた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当が付かない」

 

何かしなきゃいけないと思いつつ、何をしたらいいのか分からない、これは、今で言うならば中二病というやつですね。モラトリアムだったわけでございます。で、そのモラトリアムは学校を卒業しても続き、留学しても続いたのだ、と。

 

ところが漱石先生、留学先のロンドンで気づくのですね。

 

「この時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自力で作りあげるよりほかに、私を救う途はないのだと悟ったのです」

 

結局のところ、何をやってもつまらなく、何をやっても物足りなかったのは、誰かに合わせようとしていたからだ、と。人の言う「文学」を受け入れなければならないと思っていたから「文学」を勉強すればするほど「文学」とはなんなのか分からなくなったのだ、と。

 

で、漱石先生はある種の悟りを得て帰国するわけですが、帰ってきてから第二のモラトリアムに突入するわけです。

 

というのは、そう思っているのは自分だけでどうも周りは違うようだ、ということに気付くからなのですね。まあ、一言で言えば浮いちゃったわけです。空気を読まない奴になってしまった。

 

でも、このことが「吾輩は猫である」につながるわけですね。「文学」をするのが「人間」なんだったら、俺は「猫」でいいよ、と。というか「猫」の「文学」が俺の「文学」なんだよ、と。そんな漱石にとっての「個人」としての叫びこそが「吾輩は猫である」だったのでしょう。「吾輩は猫である」と言える人(いや猫?)こそが漱石にとっての「個人(いや個猫?)」だったわけです。

 

で、このことを漱石は問い続けていくわけです。例えば「草枕」とか、面白いですよね。だってあの小説もまた、主人公はある種「悟って」いるわけです。

 

草枕」の主人公の煩悶は、「文学とは、芸術とは何か」じゃないんですよね。あの主人公にとって、もう自分の中に「俺の文学」や「「俺の芸術」がすでにあるわけです。でもそれを実現するのが難しい、という苦悩が描かれている。「吾輩は猫である」の「猫」が「猫」として自我を確立しているのと同じなんですよね。

 

だからこそ漱石先生は言うのです。

 

「たとえばある西洋人が甲という同じ西洋人の作物を評したのを読んだとすると、その評の当否はまるで考えずに、自分の腑に落ちようが落ちまいが、むやみにその評を触れ散らかすのです。つまり鵜呑と云ってもよし、また器械的の知識と云ってもよし、とうていわが所有とも血とも肉とも云われない、よそよそしいものを我物顔にしゃべって歩くのです。しかるに時代が時代だから、またみんながそれを賞めるのです」

 

そうして、本当は「個人的」ではないくせに西洋からの「個人」という概念を真に受けて「俺は個人だ」という輩がどんどん出てくる、と。でもそれは違うだろう、と漱石先生は言うのですね。

 

「国家」という概念自体を明治時代に輸入した歴史があるにもかかわらず、その「国家」の概念を守ることを「保守」と呼ぶようなものですね。バークだとかチェスタトンとかの名を挙げて「保守主義とは!」とか言ってる人は、まじでイギリス行ってくれよ、という話です。そっちで保守やってくれと。そもそもバークもチェスタトンも日本人じゃねえじゃん。

 

で、最後に漱石先生はこんな話をするのです。それはある兄弟がいて、兄は世間体も良くて立派だと。一方弟はなんだか引きこもっていていけない、と。そこで兄は自分が釣りが趣味なものだから、弟を釣りに誘うわけです。弟は兄に逆らうのも面倒くさいから嫌々従うわけですが、どう考えたって釣りが弟の気性を変えるわけじゃない。弟はまずます引きこもるだけだよ、という、そんな話です。

 

でもそういうことって、今でも世の中に割と溢れているわけですね。例えばよくいるのが「小説ばっかり読んでいてはいけない!」とか、「日本の近現代史を勉強しろ!」とか言う人。ほっとけやという話なんですよね。こういうのは「確立した個人」とは言えないわけです。単なる「独善的」な烏合の衆なわけです。

 

でも、そんな言葉に惑わされてはいけません。というか、そんな言葉に惑わされるから「ああでもない、こうでもない」と煩悶しなければならないことになるわけです。「俺は小説しか読んでないから」なんてコンプレックスを感じなければいけなくなるわけです。そんなのただの趣味の問題なのに。

 

で、漱石先生は学生たちに言うのです。どうか君たちはそんな「困った大人」にならないでくれ、と。「個人主義」と「独善的」であることをはき違えて、他人に何かを押し付けるようなことはしないでくれ、と。「国家」だとか、あるいは「年長者」だとか、「社会」だとか、そういった「権力」を笠に着て人に何かを押し付けるようなことはしてくれるな、と。

 

そしてもし君たちが逆に誰かから押し付けられるようなことがあれば、「お前なんて所詮猫じゃないか」と言われたならば、その時は胸を張って「吾輩は猫である」と言いなさい。あるいは「吾輩は秋刀魚である」と。

 

それがこの講演で漱石が伝えたかったメッセージであり、そして漱石自身がその筆で描き続けたメッセージだと私は思うのでございます。


おなじみ夏目漱石著「私の個人主義」に関する素人講釈でございました。

 

 

私の個人主義 (講談社学術文庫)

私の個人主義 (講談社学術文庫)

 

 

未来の答えは過去にある話。

 

つむじ風食堂と僕 (ちくまプリマー新書)

つむじ風食堂と僕 (ちくまプリマー新書)

 

 

えー、相も変わりません。本日もまた一席お付き合いいただきたいわけでございますが、本日ご紹介したいのは、吉田篤弘著「つむじ風食堂と僕」でございます。

 

本書はちくまプリマー新書の200冊目を記念して書かれたものですが、ちくまプリマー新書とは

 

「子どもたちに、ひとつだけ伝えるとしたら、あなたは何を伝えますか」

 

ということを原稿用紙百枚で表現する、というのが創刊からの基本姿勢なのだそうでございます。で、そんなちくまプリマー新書の創刊当初からずっと装幀のデザインを担当していたのがクラフト・エヴィング商會だったわけで、そんなこともあって吉田さんが本書を書くことになったわけですね。

 

さて、この物語は著者である吉田篤弘さんがこれまでに書いた架空の町月舟町を舞台にした三つの小説「つむじ風食堂の夜」、「それからはスープのことばかり考えて暮らした」「レインコートを着た犬」の「月舟三部作」のスピンオフ小説とも呼べるもので、「それからは……」の主人公サンドイッチ屋さんの息子リツ君が「つむじ風食堂の夜」の舞台となった食堂に訪れる、というもの。

 

リツ君の暮らす桜川と月舟町は路面電車で隣同士の場所にあります。で、リツ君は100円玉10枚をお父さんや店で働くオーリィさんや大矢のマダムさんにカンパしてもらって、週に一、二度食堂にご飯を食べに来るのでございます。

 

決して都会とは呼べない長閑な町ですから、小さな食堂に12歳の少年が一人で来ていると、大人たちが声をかけてくるわけです。「どこから来たの?」とか、「名前は?」とか。

 

いい町ですよね、そうやって大人がちゃんと子供のことを気遣う町というのは。でも、実際子どもの側からすると、そういうのって煩わしかったりするんですよねえ、これが。残念ながら。

 

で、そこでリツ君はいいことを思いつくのです。そうだ、だったらこっちから相手に何かを尋ねればいい、って。

 

いい子ですねえ、リツ君。そして賢い!

 

リツ君は町の大人たちから何かを聞かれる代わりに、彼らにこんなことを尋ねるのでした。

 

「あなたの仕事はなんですか?」

 


リツ君の問いかけに、町のさまざまな大人たちが答えてくれます。文房具屋、八百屋、魚屋、電気屋、花屋といった商店街の人たちから、新聞記者やイラストレーター、ダンサー、コンビニでバイトをしている青年、働いていない女の人まで。

 

将来どんな仕事をしたらいいんだろう、というリツ君の悩みに大人たちは答えます。

 

「それはね、好きな仕事をすればいいんだよ。それがいちばん大事なことだよ」

 

「でも、世の中そんなにうまくいかないからねえ。好きじゃない仕事をしてる人だっていっぱいいるしさ」

 

「やりたくない仕事をしてるうちにそれが好きな仕事だって気づくことだってあるからねえ」

 

「まあ、あんまり考えすぎないのがいいんじゃないの? まだ12歳なんだし」

 

なんて、そんな風にいろんな人の話を聞きながら、リツ君は仕事をすることや、あるいはこの世界というものがどうやって成り立っているのかについて考えるのです。

 


今はまだ働いていない子どもたちはこの物語を読んで、働くってどういうことなのか、一緒になって考えてみてもいいかもしれませんね。別に答えが書いてあるわけじゃないけれど、答えなんて一つじゃないんだって分かることの方がもっとずっと大事なことなんじゃないかと思いますから。

 

一方でもう既に何かの仕事をしている大人の人は、もしも自分が月舟町の住人で、この食堂でリツ君に出会ったらどんなことを言うだろうか、って想像しながら読むのも楽しいのではないでしょうか。

 

私ならきっと、「好きなことを仕事にしたらいいんだよ」って言っちゃうんだろうなあ。何が正しいかとか、何が得なのかということになると主観と一般論のせめぎ合いになっちゃうけれど、何が好きってことの答えは自分自身しか知らないし、自分自身にしか出すことができないのですから。だから何かを信じなきゃならないとしたら、自分の好きなことを信じればいいって。きっとそう言っちゃうな。

 


さて、本書のあとがきで著者は言います。

 

「子供に語りかけるということは、語りかける前に自分自身を見なおすことであり、子どもに語るべきことは大人もまた傾聴すべきことで、大事なのは、子供とか大人とかではなく、初心に戻ること、「最初の思い」に戻ることなのかもしれません。最初に何があったか? そこから自分は逸脱していないか――。」

 

子どもにとって、社会というのは学校ですよね。そして学校というのは閉じた世界であり、どうすれば評価されるかというのがとても明確に決まっている世界でもある。

 

で、学校の中でうまくやるというのは、たった一つの答えを上手に早く導き出すことだったりするわけです。でも、社会の中でうまくやるというのはそうじゃないんじゃないか、と私は思うのですね。というか、社会人としてはそういう「たった一つの答えが導き出せる人」って、本人が思っているほど役に立たないというか、まあ一言で言えば「使えないやつ」な気がします。

 

というか、社会というのは本来たった一つの答えに向かってみんなが進んで行く場所ではなく、みんながみんな好き勝手にバラバラな方向を向いていられる場所であるべきなんじゃないかと。そしてそういう場所をちゃんと確保することが社会人の役目だと私は思うのです。

 

そう考えると、職業の選択だってそういうものなのでしょう。

 

ベストな職業に就くことが幸せなことなのでしょうか。

 

それよりもむしろ、どんな職業だってそれなりにベターだと気づくことの方がもっと大切なことなのかもしれない。

 

なぜなら、何かの職業に就くということはそれ自体が一つの「答え」だからです。

 

でも、現実にはその「答え」の向こうにもまだ物語は続いていくわけです。学校のテストは答案が正解したらそれで終わりだけれど、現実の社会は正解の後にもまだ問題が続いていくのですから。

 

そんな未来という「答えの向こうの物語」の中で、私たちは大人として「答え」を探し続けなきゃいけない。

 

でも、一体どうやって?

 

もしかするとその「答え」は、もう既に通り過ぎた過去、子どもの頃の自分自身にあるのかもしれません。

吉田さんが子どもたちに伝えたいと思ったのは、そういうこと、大人になってからの答え、「答えの向こうにある答え」というのは、実は子どもの頃にあるんだよ、という、そういうことなんじゃないかな、なんてことを思うのでございます。

 

おなじみ吉田篤弘著「つむじ風食堂と僕」に関する素人講釈でございました。

 

 

つむじ風食堂と僕 (ちくまプリマー新書)

つむじ風食堂と僕 (ちくまプリマー新書)