文芸素人講釈

古今東西の文芸作品について、講釈垂れさせていただきます。

夏目漱石は猫であった話。

 

私の個人主義 (講談社学術文庫)

私の個人主義 (講談社学術文庫)

 

 

えー、相も変わりません。本日もばかばかしい話を一席、お付き合いいただきたく。

 

本書はですね、有名な学習院大学漱石先生がまだ若い学生たちに向かって語った講義なのでございますね。

 

まあその講義をですね、本日は最初から最後まで私なりに解剖しちゃおうかと思っている次第でございますが、まず最初に漱石先生が始めるのは、この講義をするに至ったいきさつの話なのですね。

 

で、この講義の前に「岡田さん」という方が先生の紹介をして、漱石先生は登壇されるわけですが、漱石先生曰く、この岡田さんから話があって、一度は断ったもののそれを受けることとなった、と。

 

引き受けたはいいものの、まあ色々あって、病気にもなったりしてこの話はなくなったものだろうと勝手に思い込んでいたら、岡田さんが長靴を履いて現れて十一月にはよろしく頼む、ということで、ああそうなのかとまた引き受けた、と。

 

でも面倒臭いから何を話そうか考えてなかった、その間絵を描いて不愉快な思いをして暮らしていたから、何の話をしようかまったく考えていませんでした、というのが最初の話でございます。

 

これがもうすごいなと。さすが漱石先生は元教師でいらっしゃると私は思うのでございます。

 

いや、と言っても、はっきり言って私この最初の話全然面白いとは思わないんですよ。どこが面白いんでしょうね。第一岡田さんて誰やねん。

 

でも、きっとこの講演では違ったのでしょう。大体ですね、学生に一番ウケるネタと言えば、それはその学校の先生ネタなのでありまして、だからおそらく、この最初の話の部分でも「岡田さんが長靴履いて現れたんです」ってところでもう、会場はドッカンドッカン爆笑の嵐だったのでしょう。きっとね。

 

まあそうやって最初から掴みはオッケーなところが、私がさすが漱石、と勝手に思っているところでございます。

 

で、この次の話というのが、秋刀魚の話なのですね。この秋刀魚の話というのが、漱石先生が昔落語家から聞いた話なのだそうですが、ある大名が鷹狩りに行った、と。で、お腹が空いたから百姓の家に行って何か食わせてくれ、と頼んだら、秋刀魚が出てきた、と。その秋刀魚がとてもうまかったので大名が帰ってから家来に作るように命じたのですが、この家来は大名様が召し上がるものだからと丁寧な調理法で料理をしたものの、大名はこれが美味しくない。そういう話でございます。

 

で、漱石先生は言うのですね、あなたがたにとっては私なんてものはこの秋刀魚のようなものでしょう、と。つまり私の話はあなた方の関心ごと、成功とか、出世とか、そんなものには何の役にも立ちませんよ、と言っているわけですね。

 

この秋刀魚の話というのが、ちょっとした小話の様でありながら実は後の話の伏線になっているわけですが、そのことはまた後ほど。

 

で、ここまでがいわば前置きのようなものですね。落語で言えばまくらです。もし漱石先生が落語家だったならば、ここで羽織をシュッと落とすところでございます。

 

さて、ここからこの講演の本題が始まるわけですねえ。
 


その本題というのが、まず漱石先生の若かりし頃の話から始まります。学校を卒業して、教師になって、イギリスへ留学して、帰ってきて作家になったという話でございます。

 

まあこれがね、一言で言えば「私、ずっとふらふらと生きてきました」という話なのですね。ちゃんと計画を立ててきたわけでもないし、真面目に生きてきたわけでもない。何となく、適当に生きてきたんです、というわけです。

漱石先生は言います。

 

「私はこの世に生まれてきた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当が付かない」

 

何かしなきゃいけないと思いつつ、何をしたらいいのか分からない、これは、今で言うならば中二病というやつですね。モラトリアムだったわけでございます。で、そのモラトリアムは学校を卒業しても続き、留学しても続いたのだ、と。

 

ところが漱石先生、留学先のロンドンで気づくのですね。

 

「この時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自力で作りあげるよりほかに、私を救う途はないのだと悟ったのです」

 

結局のところ、何をやってもつまらなく、何をやっても物足りなかったのは、誰かに合わせようとしていたからだ、と。人の言う「文学」を受け入れなければならないと思っていたから「文学」を勉強すればするほど「文学」とはなんなのか分からなくなったのだ、と。

 

で、漱石先生はある種の悟りを得て帰国するわけですが、帰ってきてから第二のモラトリアムに突入するわけです。

 

というのは、そう思っているのは自分だけでどうも周りは違うようだ、ということに気付くからなのですね。まあ、一言で言えば浮いちゃったわけです。空気を読まない奴になってしまった。

 

でも、このことが「吾輩は猫である」につながるわけですね。「文学」をするのが「人間」なんだったら、俺は「猫」でいいよ、と。というか「猫」の「文学」が俺の「文学」なんだよ、と。そんな漱石にとっての「個人」としての叫びこそが「吾輩は猫である」だったのでしょう。「吾輩は猫である」と言える人(いや猫?)こそが漱石にとっての「個人(いや個猫?)」だったわけです。

 

で、このことを漱石は問い続けていくわけです。例えば「草枕」とか、面白いですよね。だってあの小説もまた、主人公はある種「悟って」いるわけです。

 

草枕」の主人公の煩悶は、「文学とは、芸術とは何か」じゃないんですよね。あの主人公にとって、もう自分の中に「俺の文学」や「「俺の芸術」がすでにあるわけです。でもそれを実現するのが難しい、という苦悩が描かれている。「吾輩は猫である」の「猫」が「猫」として自我を確立しているのと同じなんですよね。

 

だからこそ漱石先生は言うのです。

 

「たとえばある西洋人が甲という同じ西洋人の作物を評したのを読んだとすると、その評の当否はまるで考えずに、自分の腑に落ちようが落ちまいが、むやみにその評を触れ散らかすのです。つまり鵜呑と云ってもよし、また器械的の知識と云ってもよし、とうていわが所有とも血とも肉とも云われない、よそよそしいものを我物顔にしゃべって歩くのです。しかるに時代が時代だから、またみんながそれを賞めるのです」

 

そうして、本当は「個人的」ではないくせに西洋からの「個人」という概念を真に受けて「俺は個人だ」という輩がどんどん出てくる、と。でもそれは違うだろう、と漱石先生は言うのですね。

 

「国家」という概念自体を明治時代に輸入した歴史があるにもかかわらず、その「国家」の概念を守ることを「保守」と呼ぶようなものですね。バークだとかチェスタトンとかの名を挙げて「保守主義とは!」とか言ってる人は、まじでイギリス行ってくれよ、という話です。そっちで保守やってくれと。そもそもバークもチェスタトンも日本人じゃねえじゃん。

 

で、最後に漱石先生はこんな話をするのです。それはある兄弟がいて、兄は世間体も良くて立派だと。一方弟はなんだか引きこもっていていけない、と。そこで兄は自分が釣りが趣味なものだから、弟を釣りに誘うわけです。弟は兄に逆らうのも面倒くさいから嫌々従うわけですが、どう考えたって釣りが弟の気性を変えるわけじゃない。弟はまずます引きこもるだけだよ、という、そんな話です。

 

でもそういうことって、今でも世の中に割と溢れているわけですね。例えばよくいるのが「小説ばっかり読んでいてはいけない!」とか、「日本の近現代史を勉強しろ!」とか言う人。ほっとけやという話なんですよね。こういうのは「確立した個人」とは言えないわけです。単なる「独善的」な烏合の衆なわけです。

 

でも、そんな言葉に惑わされてはいけません。というか、そんな言葉に惑わされるから「ああでもない、こうでもない」と煩悶しなければならないことになるわけです。「俺は小説しか読んでないから」なんてコンプレックスを感じなければいけなくなるわけです。そんなのただの趣味の問題なのに。

 

で、漱石先生は学生たちに言うのです。どうか君たちはそんな「困った大人」にならないでくれ、と。「個人主義」と「独善的」であることをはき違えて、他人に何かを押し付けるようなことはしないでくれ、と。「国家」だとか、あるいは「年長者」だとか、「社会」だとか、そういった「権力」を笠に着て人に何かを押し付けるようなことはしてくれるな、と。

 

そしてもし君たちが逆に誰かから押し付けられるようなことがあれば、「お前なんて所詮猫じゃないか」と言われたならば、その時は胸を張って「吾輩は猫である」と言いなさい。あるいは「吾輩は秋刀魚である」と。

 

それがこの講演で漱石が伝えたかったメッセージであり、そして漱石自身がその筆で描き続けたメッセージだと私は思うのでございます。


おなじみ夏目漱石著「私の個人主義」に関する素人講釈でございました。

 

 

私の個人主義 (講談社学術文庫)

私の個人主義 (講談社学術文庫)