文芸素人講釈

古今東西の文芸作品について、講釈垂れさせていただきます。

世界中のすべての女性にささげる話。

 

雪のひとひら (新潮文庫)

雪のひとひら (新潮文庫)

 

 

えー、相も変わりません。本日もまた、眉唾ものの素人講釈を一席お付き合いいただきたいわけでございます。

 

本日ご紹介したいのは、ポール・ギャリコの「雪のひとひら」でございます。

 

私はね、もう、この本が大好きで、何と4冊も持っているんですね。

 

え、何でそんなに持ってるかって? それはね、私の周りにいるかわいい雪のひとひらたちにプレゼントするためなのですよ。

 

ということでまずはこの物語のあらすじをぱぱっとご紹介いたしましょう。

 


ある冬の日に雲の中で生まれた雪のひとひらは、空から大地へと降りてきます。

 

そこでたくさんの仲間たちと共に降り積もった彼女は、春が訪れると水となり、川の流れに加わるのです。

 

川を流れていく雪のひとひらは、雨のしずくという男性と出会います。

 

そうして二人で助け合いながら流れてゆくうちに、子どもたちが生まれます。

 

流れてゆく間には、たくさんのことが起こります。

 

下水の中に紛れ込んでしまったり、消防車のタンクの中に紛れて炎と戦うことになったり。

 

やがて雨のしずくが死んでしまい、子どもたちが巣立っていきます。

 

再び一人になった雪のひとひらは川をずっと流れていき、海へと辿り着きます。

 

そしてこの海に漂いながら、雪のひとひらもまた天へと召されていくのでした。

 


そんなお話でございます。一人の女性の人生というものを、この物語は雪に例えているわけですね。

 

で、私はこの物語のとても重要なポイントは、作者のポール・ギャリコが男性であるということなのではないかと思うのです。

 

考えてみてください。なぜ雪のひとひらが女性なのか、ということを。なぜ、雪のひとひらが男性であってはいけないのでしょうか。

 

作者は女性は「雪」で男性は「雨」だと言っています。それはどういうことでしょう。

 

このことは、女性と男性の身体の違いを現しているのです。

 

要するに、女性はある年齢になると初潮が訪れ、それからは40年近くの間ずっと生理と付き合って生きていくという、そういうことを「雪」と表現しているわけですね。

 

だから雪のひとひらは、「春」が来ると「水」になるわけです。身体が子どもから大人へと変化するわけですね。

 

一方、雪のひとひらの夫である雨のしずくは、生まれた時から「水」なのです。男性には初潮も生理もありませんからね。

 

このことはすごく重要なことだと私は思うのです。というのは、男性が子どもから大人になるきっかけは何かと言えば、それは「社会的な要請」なわけです。

 

つまり、就職とか、結婚とか、子どもができるとか、そういうことなわけですよ。

 

で、そういうものは全部自分の身体に何か変化が起きるわけではなく、身の回りの環境が変わるわけです。

 

雪のひとひらと雨のしずくの間に子どもが生まれた時もね、雪のひとひらがそのことを雨のしずくに伝えると、雨のしずくは少しうろたえながら「あ、そ、そうなんだ」みたいな感じになるんですよね。まあ、そういうもんなんですよ、男というのは。

 

でも女性の場合、身の回りの環境が変化する前に否応なく自分の身体が変化することを実感するわけです。

 

まるで雪が雪のまま水へと変わるように。

 

その後で多くの女性は「社会的な要請」を受け入れるかどうかという課題が訪れるわけですね。

 

この物語の中で作者であるポール・ギャリコは、雪のひとひらが水へと変わることは「春」というとても詩的であり、また物語においても重要なシーンとして描いています。

 

一方で水となった雪のひとひらが「社会的な要請」を引き受けるシーンは、水車に巻き込まれてしまうシーンとして描かれています。ここで雪のひとひらは自分も川の流れという社会の一員だという自覚が芽生えるのです。

 

でもこの水車のシーンは非常にあっさりと描かれています。何と言うか、そんなことは大した問題ではないという感じです。

 

ここがね、私も男なのですごくよく分かるんです。水車のシーンとか、ほんとどうでもいいんですよ。大事なのは春が訪れるシーンなのです。

 

でもね、もしこの物語を女性が描いていたとしたら、恐らく逆になるのではないかと思うのです。

 

ジェンダー論とかフェミニズムとかそうじゃないですか。女性がいかに「社会の要請」を引き受けるのか、といったことの方がむしろテーマとなっているでしょう。

 

私はね、少年少女が社会人になることよりも、一人の少女が大人の女性に変わることの方がずっと神秘的だし、大切なことだと思うんです。

 

だって「社会の要請」って、曖昧ですよ。現代社会では大人であるかどうかってちゃんとお金が稼げるかどうかってことかもしれませんけど、今みたいに経済が価値観を支配していない時代や地域では、大人の意味も変わってしまうんです。

 

もし明日富士山が噴火したり南海トラフ地震が来て日本経済が壊滅してしまって、しかもその後に復興に失敗してしまったりしたら(多分10%位はそういう可能性あると思うんですけど)、今の世の中で上手くお金を稼げる能力とか何にも役に立たなくなるでしょう。むしろ健康で肉体的な強さを持った男性こそが「大人」になるでしょう。

 

「立派な大人」とか「立派な社会人」とかって所詮そういうものなんですよ。時代や環境によって変わるんです。

 

だからね、なんか「女性の経済的自立」みたいな話を聞くと、なんかもやっとするんですよね。別にそれが重要じゃないとは言いませんよ。大切なことなんですけど、でも、誤解を恐れずに言うならば、本当につまらない。せっかく女性に生まれついたのに、何を好き好んで「おっさん」になってるの? と私は思うんです。

 

それに男性の特性っていうのはね、危機的状況に対応できるように作られているわけですよ。「力が強い」とかね。「論理的」とか。

 

だから男性的論理が幅を利かせている時代っていうのは、要するに「人間の生きにくい」時代なのだから、さっさと終わった方がいいんです。

 

科学技術や社会環境が整っていって人間が暮らしやすくなっていけばいくほど、女性の感覚の方が重要になってくるんですよ。むしろそういうのを目指すべきじゃん、と私は思うんですよね。

 

 

……あれ、なんか話がずれてしまったぞ。何が言いたかったんだっけ。

 

えーっと、要するにですね、そうそう、「社会の要請」って時代や環境によって変わるという話です。でも女性が少女から女性に変わる変化って、もっと確実な話でしょう。1000年前だろうと1000年後だろうと、封建社会だろうと民主主義の社会だろうと、女性は10歳くらいになったら生理になるんです。こっちの方がよほど重要な問題ですよ。

 

そしてそういう身体で生まれてきているからこそ、女性は男性とは異なった思考ができるのだろうと私は思うんです。なんというか、矛盾に強いというか、不条理に強いというか。だって身体がもう、そうなってるんですからね。

 


多分ね、作者はそんなことを思いながらこの物語を書いたのだと私は思うんです。女性であるということは、ただそれだけでまるで雪のように美しいと。世界中の女性にそのことを伝えたくて。

 

それに、男性だけですからね、一人の女性に対して「あなたはただあなたが女性であるというだけで素晴らしい」と、そう言ってあげられるのは。そうでしょう?

 


ですからね、私はこの物語をすべての女性におすすめしたい。まだ読んだことがないなんて女性がいたら、もうそれは本当に、心の底から「なんてもったいない!」と思います。そんな人は9/4からブックポート大崎店で開催される#​棚​マ​ル​「​こ​の​本​に​惚​れ​ま​し​た​!​」​フ​ェ​ア​でこの本を買わなければなりません。いや、買いなさい。マジで。9月はなんと土曜日も特別営業するそうですから!行きなさい!お近くの人は!

 

そして私はポール・ギャリコにはなれないけれど、「ポール・ギャリコの『雪のひとひら』を知ってるおじさん」にはなれるので、この本をプレゼントしてあげようと、既にスタンバイしているわけですよ。

 

雪のひとひらたち、待っていなさいね。

 

おなじみポール・ギャリコ著「雪のひとひら」に関する素人講釈でございました。

 

雪のひとひら (新潮文庫)

雪のひとひら (新潮文庫)