文芸素人講釈

古今東西の文芸作品について、講釈垂れさせていただきます。

遂に、新しき詩歌のときは来りぬ、という話。

 

明治・大正 詩集の装幀:The Art of Japanese Book Covers: Late 19th and Early 20th Century (紫紅社文庫)

明治・大正 詩集の装幀:The Art of Japanese Book Covers: Late 19th and Early 20th Century (紫紅社文庫)

 

 講釈垂れさせていただきます。

 

文学士坪内雄蔵が小説の世界に西洋の風を招き入れるより3年前、一足早く西洋の風が吹いたのが、詩歌の世界でございました。

明治15年、外山正一、矢田部良吉、井上哲次郎という東京大学の教授、助教授によって英米仏の訳詩十四編と創作詩五編が収められた新体詩抄」は、俳句でも和歌でもない「詩」という新たな文学を世に提示したのでございます。

その3年後、湯浅半月は同志社英学校神学科の卒業式で全688行からなる一大長編叙事詩「十二の石塚」を朗読。後に出版された本書は日本の近代詩の嚆矢となりました。

また、同じくクリスチャンであった北村透谷が詩集「蓬莱曲」を出版したのが、明治21年のこと。透谷はまた評論家としても活躍し、若くして夭折するものの、後の島崎藤村らに大きな影響を与えます。

小説のみならず詩の世界においても西洋化、近代化をものにした大人物として、鴎外こと森林太郎、山田美妙の両者も忘れるわけにはいきませんね。

さらに、後に自然主義の先駆となる国木田独歩を中心に、田山花袋柳田國男らの詩が収められた「抒情詩」が発表されたのは、明治30年のことでした。

 

さて、明治初期の啓蒙主義と急激な欧化の風潮は、一方でナショナリズムを生み出すことにもなるのでございます。

そんな時代に登場した新体詩一番の大スターと言えば、島崎藤村でございましょう。明治30年に処女作若菜集で登場した藤村は、その後も「一葉舟」「落梅集」など明治の浪漫主義を体現する詩人でございました。

藤村と人気を二分したのが、土井晩翠でございます。その処女詩集天地有情は女性的で柔らかな抒情詩を得意とする藤村に対して男性的な叙事詩的作風で注目を集めました。

また明治33年には「明星」の刊行が始まります。与謝野晶子「みだれ髪」はもちろんのこと、与謝野鉄幹もまた多くの詩を発表し、特に晶子との合著である「毒草」は話題となりました。

後に小説家としても活躍する岩野泡鳴が登場したのもこの頃。自ら苦悶詩と称した作風で「夕潮」などの作品を残しました。

「明星」と人気を二分した詩歌雑誌が「文庫」でございます。ここで活躍したのが河井酔茗。第一詩集「無弦弓」などが有名ですね。

また河井酔茗とともに「文庫」の代表詩人と目されたのが、伊良子清白でございます。彼が発表した詩集は「孔雀船」ただ一編でしたが、近代詩至上の白眉と称される作品です。

 

さて、浪漫主義はやがて象徴主義へと発展してゆき、ボードレールランボーに影響された若い詩人たちが登場し始めます。

藤村が詩の世界から引退して後、詩壇の第一人者と目されたのは薄田泣菫でございました。「暮笛集」などの彼の詩は、後に北原白秋ら後世の詩人に大きな影響を与えたと言われています。

また日本における象徴詩を完成された人物として、蒲原有明を忘れるわけにはいきませんね。「春鳥集」は挿画が青木繁であることでも有名です。

明治28年に出版された上田敏の訳詩集海潮音は、実はこの時期に再評価されたのでした。上田は今では「近代詩壇の母」とも称されているそうでございます。

 

そして「白露」と並び称された北原白秋三木露風の時代が訪れます。

白秋が処女詩集邪宗門を刊行したのが明治42年、そしてこの年は三木露風が第二詩集「庭園」を発表、文語調の清新な詩風で評価を得た年でもありました。

白秋が設立した「パンの会」に加わった人物として、木下杢太郎がおりますね。エキゾチシズム溢れる江戸趣味を漂わせた情調詩が持ち味でございました。

 

時代は大正に移り、新象徴派の詩人たちが登場し始めます。日夏耿之介は第一詩集「転身の頌」を限定百部で出版、彼は自らの詩をゴシック・ロマンと称したのでした。

上田敏の「海潮音」と並んで名訳詩集の誉れが高いのが、堀口大学「月下の一群」でございます。堀口はまた、新感覚の知的抒情詩も多く創作しました。

大正時代の詩人の一番人気と言えば、やはり萩原朔太郎でございましょう。処女詩集「月に吠える」を発表したのが大正6年のこと。朔太郎の登場によって日本の詩壇は新たな展開を迎えたと言っても過言ではございますまい。

また「愛の詩集」で有名な室生犀星が登場したのもこの頃でございます。北原白秋を通じて始まった犀星と朔太郎の交流は、生涯続いたそうでございます。

大正13年宮沢賢治が生前に唯一発表した詩集が春と修羅でございます。これは著者の自費出版として刊行されました。

そして大正の末期、象徴主義に代わって吹き荒れたのが、ダダイズムでございます。虚無的で、既成芸術への反発心に満ちたこの前衛芸術からは高橋新吉ダダイスト新吉の詩」辻潤の編集によって刊行されたのでございます。

 

と、ざざざっと明治・大正の詩史を述べてまいりましたが、何をやりたかったかと言えば、本書に書影が掲載されている初版本を出来るだけ多く紹介したかったのでございます。

という事でちょっと付け足しますと、ほかにも石川啄木「一握の砂」とか、窪田空穂「まひる野」とか、竹久夢二「小夜曲」とか、あああ、全部はとても紹介しきれません!

 

ということで、ここに名前を出した名著の初版本を見てみたいなと思われた方がおられましたら、どうぞ本書を一度手に取っていただければ、これ講釈冥利に尽きるというものでございます。

 

いやはや、美しい本というのはいいですねえ。

最後に、本書の「はじめに」で引用されている、多くの詩集の装幀も手がけた恩地孝四郎の言葉から。

「本は文明の旗だ。その旗は当然美しくあらねばならない。美しくない旗は、旗の効用を無意味若しくは薄弱にする。美しくない本は、その効用を減殺される。すなわち本である以上美しくなければ意味がない。」

おなじみ工藤早弓「明治・大正詩集の装幀」の素人講釈でございました。

 

おまけ 本書の画像の一部をご紹介。

島崎藤村若菜集

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 北原白秋邪宗門

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萩原朔太郎猫町

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